止まらぬ「絶望死」、白人労働者のトランプ支持
はじめに
アメリカで「絶望死(Deaths of Despair)」と呼ばれる現象が、依然として深刻な社会問題であり続けています。薬物中毒、アルコール依存、そして自殺——この3つに起因する死亡が、特に大学の学位を持たない白人労働者層の間で高止まりしています。
こうした絶望感が2016年のトランプ大統領誕生の原動力の一つとなりましたが、第2次トランプ政権の発足から1年以上が経った今、彼らの状況に変化はあるのでしょうか。本記事では「絶望死」の実態とトランプ支持の背景、そして政権の政策がもたらす影響を解説します。
「絶望死」とは何か——アメリカ特有の危機
ケース=ディートンの警告
「絶望死」という概念は、プリンストン大学の経済学者アン・ケースとノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートンによって提唱されました。彼らの研究は、1990年代後半から大卒未満の中年白人の死亡率が上昇し続けているという衝撃的な事実を明らかにしました。
先進国では通常、医療の進歩により全年齢層で死亡率が低下していきます。しかしアメリカだけが例外で、特に大学教育を受けていない白人層の死亡率が逆に上昇するという異常な状況が続いているのです。
3つの死因の実態
絶望死を構成する3つの死因は、それぞれ深刻な問題を抱えています。
薬物過剰摂取による死亡は、オピオイド危機の深刻化とともに急増しました。特に合成オピオイドのフェンタニルは、モルヒネの50〜100倍の効力を持つ極めて危険な薬物で、近年の過剰摂取死の主要因となっています。2018年時点で、薬物、アルコール、自殺を合わせた絶望死は年間15万8,000人を超え、1995年の6万5,000人から約2.4倍に膨れ上がりました。
アルコール性肝疾患による死亡も増加傾向にあります。経済的困窮や孤立感から飲酒に走る人々が後を絶たず、肝硬変などの深刻な健康被害につながっています。自殺率も上昇しており、特に農村部や旧工業地域で顕著です。
アパラチアの苦境——絶望の地理学
取り残された地域
アパラチア地域は、絶望死の問題が最も深刻な地域の一つです。ウェストバージニア州全域とペンシルベニア州やオハイオ州など12州の一部にまたがるこの地域は、かつて炭鉱業や製造業で栄えましたが、グローバル化と産業構造の変化により急速に衰退しました。
アパラチア地域委員会(ARC)の報告によると、同地域の絶望死の死亡率は全米平均を大幅に上回っており、2017年時点でアパラチア以外の地域より45%も高い水準にありました。この格差は近年さらに拡大しています。
ペンシルベニア州の現実
ペンシルベニア州南西部のアパラチア山脈沿いの地方都市では、かつてのスティール・ベルト(鉄鋼地帯)の面影が消え、薬物やアルコールへの依存が蔓延しています。良質な雇用機会の喪失、医療へのアクセス困難、コミュニティの崩壊が連鎖的に進行し、住民を絶望に追いやっています。
トランプ支持との深い関係
絶望が生むポピュリズム
研究データは、絶望死の発生率とトランプ支持率の間に明確な相関関係があることを示しています。2016年の大統領選において、絶望死の死亡率が高い郡ほどトランプ候補への投票率が高く、2008年と比べて共和党への傾斜が大きかった郡では死亡率が15%も高いという調査結果が出ています。
低所得の白人労働者にとって、トランプ氏はワシントンのエリート層や既存の政治体制への怒りの代弁者でした。まともな仕事に就けず、社会的な尊厳を失い、先行きに希望を見いだせない——そうした絶望感がポピュリズムの温床となったのです。
第2次政権下での変化
2025年1月に発足した第2次トランプ政権では、不法移民の取り締まり強化やフェンタニルの流入阻止が重点政策として掲げられました。メキシコ国境での取り締まり強化は、薬物の密輸ルートに一定の影響を与えたとされます。
しかし、絶望死の根本原因である経済的格差や医療へのアクセス問題、コミュニティの崩壊は構造的な問題であり、短期間での改善は難しい状況です。薬物の供給を断つだけでは、需要側の問題——すなわち人々が薬物に逃避する原因——は解決しません。
注意点・展望
複合的な要因への対処が必要
絶望死は単一の政策で解決できる問題ではありません。オピオイド危機への対応、メンタルヘルスケアの充実、雇用機会の創出、教育機会の拡大など、複合的なアプローチが求められます。
ケースとディートンが指摘するように、アメリカの医療制度の構造的問題——高額な医療費、過剰な処方薬依存、予防医療の不足——も大きな要因です。先進国でアメリカだけが絶望死の増加に直面している事実は、社会制度そのものの見直しが必要であることを示しています。
政治的分断の深化
絶望死の問題は、アメリカの政治的分断をさらに深める要因ともなっています。都市部のエリート層と農村部の労働者層の間の溝は埋まるどころか広がり続けており、選挙のたびにこの分断が政治利用されるという悪循環に陥っています。
まとめ
「絶望死」は、アメリカ社会の深い構造的問題を映し出す鏡です。薬物中毒、アルコール依存、自殺で命を落とす人々の多くは、グローバル化の波に取り残された白人労働者層であり、その絶望感がトランプ支持の大きな原動力となりました。
第2次トランプ政権は薬物流入の阻止に力を入れていますが、根本的な解決には経済・医療・教育を含む総合的な取り組みが不可欠です。アメリカ社会が抱えるこの「静かな危機」に、どう向き合っていくのかが問われています。
参考資料:
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