イラン向け「乱数放送」が復活 冷戦型スパイ通信の全貌
はじめに
2026年2月末、米国とイスラエルによるイラン攻撃が開始されたわずか12時間後、短波ラジオの周波数帯に不気味な放送が現れました。ペルシャ語で数字を淡々と読み上げる男性の声——これは「乱数放送(ナンバーズステーション)」と呼ばれる、冷戦時代から続く諜報機関の通信手法です。
無線愛好家や情報機関の専門家が注目するこの放送は、「V32」というコードネームで登録されました。イラン国内で展開される情報戦の新たな局面を示す重要な兆候として、世界中の関心を集めています。本記事では、V32局の詳細と乱数放送の仕組み、そしてなぜ今この古典的手法が復活したのかを解説します。
V32局とは何か
突如出現した謎の放送
V32局は2026年2月28日に初めて確認されました。周波数7910kHz(USB)で、協定世界時(UTC)の午前2時と午後6時の1日2回、ペルシャ語による数字の読み上げが行われています。放送の冒頭では「タヴァッジョ(注意)」というペルシャ語の呼びかけが繰り返され、その後に構造化された数字の列が続きます。
この局は、世界中の乱数放送を監視・記録する団体「ENIGMA 2000」によって3月3日に「V32」として正式に分類されました。短波リスナーのコミュニティでは発見直後から活発な議論が交わされ、送信元の特定を試みる動きが始まりました。
送信元はドイツの米軍基地か
複数の無線愛好家や専門家による三角測量(トライアンギュレーション)の結果、V32の送信元はドイツ南部シュトゥットガルト近郊のベブリンゲンにある米軍基地内の短波送信施設であると推定されています。この分析結果は、V32が米国の情報機関によるイラン向けの諜報通信である可能性を強く示唆しています。
元米情報当局者らも、この放送が米政府によるイラン国内の工作員への指示伝達手段である可能性が高いとの見方を示しています。
イランによる妨害と周波数変更
V32の存在はイラン当局にも察知されました。3月4日、イランは「バブルジャマー」と呼ばれる妨害電波を7910kHzに発信し始め、放送の受信をほぼ不可能にしました。これに対しV32は一時送信を停止した後、3月6日に7842kHzへと周波数を変更して放送を再開しました。
興味深いことに、イランの妨害電波はV32が既に移動した後も、元の7910kHzを3月9日まで妨害し続けていました。その後、3月18日にV32は再び元の7910kHzに戻って放送を継続しています。この「いたちごっこ」は、電波を巡る両国の攻防を如実に物語っています。
乱数放送の仕組みと歴史
なぜ短波ラジオなのか
デジタル通信が当たり前の現代において、なぜ100年前の技術である短波ラジオが使われるのでしょうか。その答えは、短波通信が持つ独特の利点にあります。
短波ラジオの電波は電離層で反射するため、数千キロメートル離れた場所にも到達できます。受信に必要なのは安価な短波ラジオ受信機だけで、特別な通信インフラは不要です。さらに重要なのは、誰が受信しているかを送信側も第三者も追跡できないという点です。インターネットやモバイル通信のように通信記録が残ることはありません。
イラン国内ではインターネットが厳しく監視・遮断されている状況下で、短波ラジオは外部との通信手段として極めて有効です。実際、イラン攻撃開始後にはNHKも短波による臨時放送を開始しており、短波通信の実用性が改めて注目されました。
ワンタイムパッドによる暗号化
乱数放送で読み上げられる数字列は、「ワンタイムパッド(使い捨て暗号表)」と組み合わせることで意味のあるメッセージに変換されます。ワンタイムパッドとは、送信者と受信者だけが持つ乱数表で、各数字をこの表と照合することで暗号が解読できます。
ワンタイムパッドの最大の特徴は、正しく運用すれば理論上解読が不可能という点です。暗号表は一度使ったら破棄するため、たとえ放送が傍受されても、暗号表なしではメッセージの内容を知ることはできません。量子コンピューターであっても解読できない、究極の暗号方式といえます。
冷戦時代からの系譜
乱数放送の歴史は第一次世界大戦にまで遡ります。当初はモルス信号で送信されていましたが、1920年代に短波が普及すると音声による放送が主流となりました。冷戦期には東西陣営の情報機関が活発にこの手法を利用し、ピーク時には数十の乱数放送局が世界中で稼働していました。
乱数放送が実際の諜報活動に使われていた証拠は、複数の裁判で明らかになっています。2001年の「キューバン・ファイブ」事件では、キューバのスパイ5名が米国内で短波放送による指示を受けていたことが立証されました。また2010年のロシアスパイ網「イリーガルズ・プログラム」の摘発でも、乱数放送の使用が確認されています。
なぜ今、冷戦型手法が復活したのか
デジタル通信の脆弱性
現代の軍事・諜報作戦において、なぜ古典的な手法が再び注目されているのでしょうか。最大の理由は、デジタル通信環境の脆弱性です。
イランは国内のインターネットを厳しく管理しており、有事の際にはネットワークの遮断や大規模な監視が行われます。暗号化メッセージアプリやVPNも検知・遮断の対象となり得ます。こうした状況下で、アナログな短波通信は「デジタルの確実性が崩壊した時のための耐久性のある通信手段」として再評価されています。
情報戦の新局面
V32の出現は、米イスラエルとイランの対立が軍事的な衝突だけでなく、情報・諜報の領域でも新たな段階に入ったことを示しています。爆撃開始からわずか半日後に放送が始まったことは、この通信チャネルが事前に準備されていた可能性を示唆しており、長期的な情報戦略の一環であると考えられます。
注意点・展望
乱数放送の送信元や目的については、公式な確認は一切なされていません。米国政府もV32に関する公式コメントを出しておらず、送信元の特定も無線愛好家の分析に基づく推定です。
今後の展開として注目されるのは、イランの妨害技術がV32の周波数変更にどこまで追随できるかという点です。また、V32以外にも新たな乱数放送が出現する可能性もあります。デジタル時代においても、情報戦の最前線では古典的な手法と最新技術が複雑に絡み合っている現実が浮き彫りになっています。
まとめ
2026年2月末に出現したV32局は、冷戦時代の諜報手法が現代の紛争においても有効であることを証明しました。短波ラジオとワンタイムパッドという組み合わせは、デジタル監視が強化される環境下でこそ、その真価を発揮します。
イラン情勢が緊迫する中、V32の動向は米国の情報活動を推察する上で重要な手がかりとなります。短波ラジオの周波数帯では、見えない戦いが今も静かに続いています。
参考資料:
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