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by nicoxz

サカナAIが説く国産AIの必然性と巨額投資の行方

by nicoxz
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はじめに

日本最大のAIスタートアップであるサカナAI(Sakana AI)のデビッド・ハ(David Ha)CEOが、ラジオNIKKEIのポッドキャスト番組「吉野直也のNIKKEI切り抜きニュース」に出演し、国産AI開発の重要性について語りました。ハCEOは、日本独自の文化や伝統を未来に継承するためには、日本発のAI開発が不可欠であるとの考えを示しています。サカナAIはこれまでに累計約520億円を調達し、企業価値は約4,000億円に達していますが、一方でAI業界全体に漂う巨額投資の持続性への疑問も無視できません。本記事では、サカナAIの実績と戦略、国産AI開発をめぐる議論、そして投資の持続可能性について多角的に掘り下げます。

サカナAIの概要と急成長の軌跡

世界トップクラスの研究者が東京で起業

サカナAIは2023年7月、元Google Brain研究者のデビッド・ハ氏(CEO)、Transformerアーキテクチャの共同発明者であるリオン・ジョーンズ氏(CTO)、そして伊藤蓮氏(COO)の3名によって東京で設立されました。社名の「サカナ」は日本語の「魚」に由来し、魚の群れが見せる集合知(スウォームインテリジェンス)からインスピレーションを得た、自然界の知恵に学ぶAI開発を志向しています。

ハCEO自身は、ゴールドマン・サックスのマネージング・ディレクターからGoogle Brainの研究者へと異色のキャリアチェンジを果たした人物です。金融業界で培った定量分析とシステム思考の能力を、AI研究の世界で発揮しています。2025年にはTIME誌の「AI分野で最も影響力のある100人」にも選出されました。

CTOのジョーンズ氏は、2017年の画期的論文「Attention Is All You Need」の共著者であり、「Transformer」という名称の名付け親としても知られています。興味深いことに、ジョーンズ氏自身はTransformerに「もう飽きた」と公言しており、次世代のAIアーキテクチャの探求に情熱を燃やしています。

驚異的な資金調達ペース

サカナAIの資金調達の歩みは、日本のスタートアップ史において際立っています。設立からわずか1年でユニコーン企業(企業価値10億ドル超)の仲間入りを果たし、これは国内史上最速の記録でした。

主な資金調達の推移は以下のとおりです。設立初期の2024年には約45億円を調達してスタートを切りました。2024年のシリーズAラウンドでは約300億円(約2億1,400万ドル)を集め、企業価値は約1,500億円(15億ドル)に達しました。そして2025年11月のシリーズBラウンドでは約200億円(約1億3,500万ドル)を調達し、企業価値は約4,000億円(26億5,000万ドル)にまで跳ね上がりました。累計調達額は約520億円に上ります。

投資家の顔ぶれも豪華です。NVIDIAをはじめ、米国のKhosla Ventures、NEA、Lux Capital、さらには米情報機関関連のIn-Q-Tel(IQT)といったグローバル投資家に加え、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)や四国電力グループのSTNetなど、国内の大手企業からも出資を受けています。

独自の技術アプローチ:「車輪の再発明をしない」

サカナAIの技術戦略で特筆すべきは、OpenAIやGoogle、Metaといった巨大テック企業と計算資源の投入量で正面衝突することを避け、独自のアプローチを追求している点です。

同社が開発した「進化的モデルマージ(Evolutionary Model Merge)」技術は、既存の複数のオープンソースAIモデルを進化的アルゴリズムによって統合し、新たな基盤モデルを自動生成する手法です。この技術により、日本語に最適化されたEvoLLM-JPやEvoVLM-JPといった基盤モデルを、従来よりも短期間かつ低コストで開発することに成功しています。

また、「AIサイエンティスト(AI Scientist)」と呼ばれる、AIが自律的に科学的発見を行うシステムの研究でも注目を集めています。ハCEOはこの方針を「車輪の再発明をしない」と表現し、世界中の既存モデルを賢く組み合わせることで、膨大なエネルギー消費を伴う一からの再構築を回避しています。

国産AI開発の重要性と課題

なぜ国産AIが文化継承に必要なのか

ハCEOが訴える「国産AIの文化的必要性」は、単なるナショナリズムの発露ではありません。AIは今後、人間の思考や行動、さらには社会の意思決定に深く影響を及ぼす技術です。そのAIが特定の国や文化の価値観だけに基づいて設計されていれば、他の文化圏の人々にとっては本質的に合わないものになりかねません。

ハCEOは、日本はアメリカや中国、ヨーロッパと同様に文化的に重要な国であり、最先端のAI技術が日本の文化的価値に基づいていないことは問題だと指摘しています。日本語特有の表現やニュアンス、社会規範、ビジネス慣行といったものを正しく理解し反映できるAIは、日本で開発されるべきだという主張です。

同時に、ハCEOは100%海外製AIに頼ることも、100%国産AIに閉じることも推奨していません。国内外で生まれた技術をバランスよく組み合わせる「ハイブリッド戦略」を日本が採るべきだと提言しています。これは、特定の大企業や国家がAI技術を寡占しない多極的な世界の実現を目指す思想でもあります。

「ソブリンAI」という概念の台頭

サカナAIの戦略を理解する上で欠かせないキーワードが「ソブリンAI」です。ソブリンAIとは、国や企業が自国・自社のデータや技術基盤を活用し、外部への依存を最小限に抑えながらAIシステムを自立的に開発・運用する能力を指します。その根幹にあるのは「データ主権」と「技術的自立性」の確保です。

サカナAIはシリーズBで調達した資金の用途として、データやシステムが国内インフラ内で完結するソブリンAIの開発を明確に掲げています。金融分野での実績をベースに、2026年以降は防衛、製造業、政府部門といった日本の基幹産業へのAI社会実装を加速させる方針です。

日本政府もこの流れと歩調を合わせています。2025年12月に閣議決定された「人工知能基本計画」では、「信頼できるAI」による「日本再起」を掲げ、日本の文化や習慣に適合したAI基盤モデルの開発と技術的自律性の確保が国家目標として位置づけられました。経済産業省は2026年度から5年間で総額約1兆円規模の公的支援を計画しており、ソフトバンクやプリファードネットワークスなど国内企業10社以上が参画する新会社の設立構想も進んでいます。

巨額投資の持続可能性に対する懸念

しかし、こうした動きには冷静な検証も必要です。世界のAI開発競争では、米中の大手企業が1兆パラメーター級の超大規模モデル開発にしのぎを削っており、投入される計算資源と資金の規模は天文学的な水準に達しています。日本がこの投資額の競争に真正面から参入することは、経済規模を考えても現実的ではないという見方が根強くあります。

さらに、「2026年問題」と呼ばれる構造的な懸念も浮上しています。これは、生成AIが2026年末頃までに学習可能な高品質データをほぼ使い尽くし、これまでのような急激な性能向上が鈍化するのではないかという見通しです。もしこれが現実になれば、巨額投資に見合うリターンはさらに不透明になります。

サカナAI自身も、大量の計算資源に依存する開発競争の限界を認識しています。だからこそ「車輪の再発明をしない」効率重視の戦略を採っているわけですが、累計520億円という調達額は、投資家への将来的なリターンを前提としたものです。企業向けAIサービスの本格的な収益化がどのタイミングで実現するかは、同社の持続的成長を左右する最大の焦点と言えるでしょう。

注意点・展望

サカナAIの戦略は、日本のAI開発における一つの有力なモデルを示しています。既存技術の効率的な活用と日本市場への最適化という方向性は、計算資源の物量勝負では不利な日本にとって合理的なアプローチです。

一方で、注意すべき点もあります。まず、国産AIの「文化的必要性」という主張は説得力がありますが、それが実際のビジネスとして十分な市場規模を生み出せるかは別の問題です。日本語や日本文化に特化したAIへの需要が、4,000億円という企業価値を正当化するほどの収益に結びつくかどうかは、今後の事業展開にかかっています。

また、日本政府の1兆円規模の支援策についても、過去の半導体政策などの例を見ると、巨額の公的資金投入が必ずしも産業競争力の向上に直結しなかったケースがあることは記憶にとどめるべきでしょう。

2026年以降、サカナAIが金融・防衛・製造業・政府部門へとビジネスを拡大し、さらには戦略的投資やM&Aを通じたグローバル成長を追求する中で、技術的優位性と収益基盤の両立を実現できるかが問われることになります。

まとめ

サカナAIのデビッド・ハCEOが提起した「国産AIは文化継承に不可欠」というメッセージは、AI時代における技術主権と文化的アイデンティティの関係を考えさせる重要な問題提起です。同社は「進化的モデルマージ」という独自技術と、「車輪の再発明をしない」という効率的な戦略で、累計520億円の資金を集め、企業価値4,000億円の日本最大のAIスタートアップに成長しました。日本政府も国産AI開発に1兆円規模の支援を計画しており、国を挙げた取り組みが本格化しつつあります。しかし、巨額投資の持続可能性や収益化の時期については不確実性が残ります。技術の独自性と事業の収益性を両立させながら、日本の文化と社会に真に適合したAIを育てていけるか。サカナAIと日本のAI戦略は、今まさに正念場を迎えています。

参考資料

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