米雇用9万人減の衝撃、スタグフレーション懸念が現実に
はじめに
2026年3月6日に発表された2月の米雇用統計は、市場に大きな衝撃を与えました。非農業部門雇用者数が9.2万人の減少を記録し、市場予想の5〜6万人増を大きく下回ったのです。民間部門に限れば8.6万人減と、約5年ぶりの落ち込みとなりました。
折しも米国・イスラエルによるイラン攻撃に伴う原油高騰が重なり、高インフレと景気悪化が同時に進行する「スタグフレーション」の懸念が急速に強まっています。5月に議長交代を控える米連邦準備理事会(FRB)は、極めて難しいかじ取りを迫られる局面に入りました。
2月雇用統計が示す米労働市場の変調
予想外のマイナスに転じた雇用者数
2月の非農業部門雇用者数は9.2万人の減少となりました。これは2021年以来、約5年ぶりのマイナスです。市場では5.5万人程度の増加が見込まれていたため、予想との乖離は非常に大きいものでした。
業種別に見ると、娯楽・ホスピタリティー部門での減少が目立ちました。建設業では悪天候の影響が指摘され、製造業、運輸・倉庫、情報分野でも雇用者が減少しています。特に注目すべきは、これまで米国の雇用増の過半数を占めてきた医療・社会扶助セクターで約1万9,000人の雇用が失われた点です。
ストライキの影響と構造的な弱さ
雇用減少の一因として、カリフォルニア州看護師協会のストライキが挙げられています。約3万1,000人のストライキ参加者が統計に影響した可能性がありますが、それを差し引いても雇用の伸びは市場予想を下回る水準にとどまります。
失業率は4.4%に上昇し、市場予想の4.3%を上回りました。一方で平均時給は前月比0.4%上昇(予想0.3%)、前年比では3.8%上昇(予想3.7%)と、賃金面ではインフレ圧力が依然として根強いことが示されました。景気が減速しているにもかかわらず賃金が上昇するという、まさにスタグフレーション的な兆候が表れています。
イラン攻撃と原油高がインフレを加速
ホルムズ海峡の緊迫と原油急騰
雇用市場の悪化に追い打ちをかけているのが、イラン情勢の緊迫化に伴う原油価格の急騰です。米国とイスラエルが2月28日にイランへの直接攻撃を実施して以降、原油市場は「戦争プレミアム」を一気に織り込みました。
WTI原油先物は攻撃前の67ドル台から、3月4日には一時78ドル台まで急騰。上昇率は約12%に達しました。世界の石油海上輸送の27%にあたる日量約2,010万バレルが通過するホルムズ海峡が事実上の封鎖状態となり、供給途絶への懸念が価格を押し上げています。
物価高と景気悪化の二重苦
原油高はガソリン価格の上昇を通じて消費者物価を直接的に押し上げます。これに加え、トランプ政権の関税政策の影響が実体経済に波及し始めており、輸入物価の上昇も重なっています。
一方で雇用統計が示すように、労働市場は明確な減速局面に入っています。物価は上がるのに景気は悪化する——この「スタグフレーション」は、中央銀行にとって最も対処が難しい経済状況です。利下げをすればインフレを助長し、利上げをすれば景気をさらに冷え込ませるという、政策のジレンマに直面するからです。
議長交代を控えるFRBの難路
パウエルからウォーシュへ
FRBは5月にパウエル議長の任期満了を迎え、トランプ大統領が1月30日に指名したケビン・ウォーシュ元FRB理事が新議長に就任する予定です。ウォーシュ氏は2006年に35歳でFRB理事に就任した経歴を持ち、早ければ3月のFOMC(連邦公開市場委員会)から理事として参加する可能性があります。
この議長交代のタイミングが、市場の不確実性をさらに高めています。金融政策の方向性が変わる可能性があるなかで、スタグフレーションという難題に取り組まなければならないからです。
利下げ路線の見直しは不可避か
FRBは2025年12月に3回連続の利下げを実施しましたが、2026年の利下げ見通しは1回にとどまるとの見方が広がっていました。しかし、2月の雇用統計を受けて状況は一変しています。
景気悪化を受ければ利下げ圧力が高まりますが、原油高と関税によるインフレ圧力を考えれば、安易な利下げは物価をさらに押し上げるリスクがあります。ウォーシュ新議長がどのようなスタンスで金融政策を運営するかは、米国経済のみならず世界の金融市場にとって最大の関心事となっています。
注意点・展望
スタグフレーションは「最悪のシナリオ」ではない
現時点では、1970年代のような本格的なスタグフレーションに突入するとは限りません。2月の雇用統計にはストライキという一時的要因が含まれており、3月以降の反動増の可能性もあります。また、原油価格もイラン情勢の推移次第で落ち着く可能性があります。
ただし、関税政策による構造的なインフレ圧力は持続的であり、楽観論がしぼんでいることは事実です。今後数カ月の経済指標が、一時的な悪化なのか本格的なスタグフレーションの入り口なのかを見極める上で極めて重要になります。
日本経済への波及
米国経済の変調は日本にも影響を及ぼします。ドル高・円安の進行は輸入物価の上昇を通じて国内の物価高を助長し、米国の景気減速は輸出企業の業績に逆風となります。日本銀行の金融政策判断にも影響を与える可能性があり、注視が必要です。
まとめ
2月の米雇用統計は、米国の労働市場の楽観論に冷水を浴びせる結果となりました。非農業部門9.2万人減という数字は、約5年ぶりのマイナスであり、イラン攻撃に伴う原油高騰と合わせてスタグフレーション懸念を一段と強めています。
5月のFRB議長交代という金融政策の転換点を控え、市場の不確実性は高まる一方です。今後の雇用・物価データとイラン情勢の推移が、米国経済と世界の金融市場の行方を大きく左右することになります。
参考資料:
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