Research
Research

by nicoxz

人的資本開示が経営戦略連動へ転換、政府が指針改訂

by nicoxz
URLをコピーしました

はじめに

内閣官房・金融庁・経済産業省の3省庁が共同で、「人的資本可視化指針」の改訂版を公表しました。2022年に策定された初版から約3年半を経ての大幅な見直しとなります。

今回の改訂の最大のポイントは、女性管理職比率や離職率といった定量指標のみを重視する姿勢からの転換です。企業に対して、経営戦略と連動した人材戦略を明確にし、それを踏まえた人的資本投資の全体像を開示するよう求めています。2026年3月期の有価証券報告書から全上場企業に適用される開示拡充と連動した動きであり、日本の人的資本開示は新たなステージに入ります。

改訂版指針の主な変更点

「あるべき組織・人材の姿」の明確化を要求

改訂版の指針は「第1部 経営戦略と人材戦略の連動」と「第2部 4つの要素に従った開示」の2部構成となっています。最大の特徴は、企業に対して「あるべき組織・人材の姿」を明確にし、その実現に必要な人的資本投資を体系的に整理・開示することを求めている点です。

初版の指針では、ISO 30414などの国際規格に基づく7分野19項目の開示が推奨されていましたが、多くの企業が女性管理職比率や有給取得率といった数値の羅列にとどまっていました。改訂版では、こうした指標偏重の開示を見直し、「なぜその人材戦略を選んだのか」「経営戦略とどう結びつくのか」というストーリーの開示を重視しています。

国際基準との整合性を強化

改訂版は、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が策定したIFRS S1号「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項」の活用を推奨しています。また、日本のサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が開発した国内基準の4つの要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標及び目標)を踏まえた開示の枠組みを示しています。

これにより、人的資本の開示が国際的な非財務情報開示の流れと整合するようになり、海外投資家にとっても理解しやすい形式となります。グローバルな投資マネーを呼び込むうえで、比較可能性の高い開示の実現は重要な一歩です。

開示府令の改正で義務化が本格始動

2026年3月期から新たな記載事項が追加

今回の指針改訂と並行して、金融庁は「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正を進めてきました。2025年11月に改正案が公表され、2026年2月20日に公布・施行されています。

新たに有価証券報告書への記載が義務付けられる項目は、主に以下の3点です。

  1. 企業戦略と関連付けた人材戦略: 経営戦略とどのように連動しているかを具体的に記載
  2. 従業員の給与等の額及び内容の決定に関する方針: 報酬決定の基本的な考え方を開示
  3. 平均年間給与の対前事業年度増減率: 賃上げの実態を定量的に示す

これらの情報は、従来のサステナビリティ情報とは別に「従業員の状況等」の欄に記載することが求められます。2026年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書から適用されるため、多くの上場企業は今期の有報から対応が必要です。

従来の開示の課題

これまでの人的資本開示には、いくつかの構造的な課題がありました。2022年の初版指針では7分野19項目の開示が示されていたものの、具体的な定義や開示方法についてはほとんど規定がなく、企業ごとに開示内容のばらつきが大きい状況でした。

PwC Japanグループの分析によると、多くの企業が定量データの開示にとどまっており、経営戦略との関連性や将来の人材投資計画を示す企業は限定的でした。結果として、投資家にとって企業間の比較が困難であり、人的資本情報が投資判断に十分活用されていないという指摘が出ていました。

企業が直面する実務上の課題

ストーリー型開示への転換が急務

改訂版の指針が求める「経営戦略と人材戦略の連動」を開示するには、単にデータを集計するだけでは不十分です。企業は自社の経営ビジョンから逆算して、どのような人材が必要で、そのためにどのような投資を行っているかを一貫したストーリーとして語る必要があります。

大和総研のレポートでは、改訂版の活用を通じて「経営戦略と人材戦略の連動が深化するとともに、比較可能性の高い開示が進むこと」が期待される一方で、経営陣の人的資本に対する理解度やコミットメントが問われると指摘されています。

中小上場企業への影響

特に課題が大きいのは、人事部門のリソースが限られる中小規模の上場企業です。経営戦略と連動した人材戦略の策定には、経営企画部門と人事部門の緊密な連携が不可欠ですが、こうした部門横断的な取り組みに不慣れな企業も少なくありません。

また、給与決定方針の開示は、同業他社との比較を容易にする一方で、競合企業への情報流出を懸念する声もあります。どこまで具体的に開示するかの判断は、各企業の経営判断に委ねられる部分が大きくなります。

注意点・展望

今回の指針改訂と開示府令の改正は、日本の人的資本開示を「形式的な指標の羅列」から「実質的な戦略開示」へと転換させる大きな一歩です。ただし、実効性を高めるには、いくつかの点に注意が必要です。

まず、開示の質を担保する仕組みの整備です。指針はあくまでガイドラインであり、開示内容の妥当性を検証する枠組みは現時点では十分ではありません。今後、監査法人やESG評価機関による第三者検証の仕組みが求められる可能性があります。

次に、投資家サイドの活用体制です。企業が質の高い開示を行っても、投資家がそれを適切に評価・活用できなければ、開示のインセンティブは働きません。機関投資家のエンゲージメント強化が、開示の質を引き上げる鍵となります。

さらに、2026年4月からは女性活躍推進法の改正により、従業員101人以上の企業に対して女性管理職比率等の公表が義務化されます。人的資本の開示義務化は今後さらに拡大していく見通しです。

まとめ

政府の人的資本可視化指針の改訂は、数値指標の開示から経営戦略と連動した人材戦略の開示へという大きな方針転換を意味します。2026年3月期から適用される開示府令の改正と合わせて、全上場企業は実質的な対応を迫られています。

企業にとっては負担増となる面もありますが、経営戦略と人材戦略の連動を明確にすることは、投資家との対話を深め、企業価値の向上にもつながります。単なるコンプライアンス対応としてではなく、経営改革の契機として活用することが重要です。

参考資料:

関連記事

育休がビジネス力を鍛える?不確実性への耐性と組織強化の新常識

男性育休取得率が40%を超えた今、育児休業が個人のスキル向上や組織のレジリエンス強化につながるという新たな視点が注目されています。三井住友銀行の先進事例とともに、育休の意外な経営効果を解説します。

最新ニュース