Microsoftがガラスに1万年データ保存する技術を発表
はじめに
デジタルデータの長期保存は、現代社会が直面する重要な課題の一つです。ハードディスクの寿命は5〜10年、磁気テープでも30年程度が限界とされており、文化遺産や公文書を次世代に確実に残す手段が求められています。
Microsoftの研究チーム「Project Silica」は2026年2月、一般的なボロシリケートガラス(耐熱ガラス)にデジタルデータを1万年以上保存できる技術を科学誌Natureで発表しました。キッチン用品にも使われる安価なガラスに、フェムト秒レーザーで情報を刻み込むこの技術は、データストレージの概念を根本から変える可能性があります。
本記事では、この技術の仕組み、読み取り方法、そして日本が先行していた基礎研究について詳しく解説します。
ガラスにデータを書き込む仕組み
フェムト秒レーザーによる「ボクセル」の形成
Project Silicaの書き込みには「フェムト秒レーザー」が使われます。フェムト秒とは1,000兆分の1秒という極めて短い時間単位です。この超短パルスレーザーをガラス内部の特定の深さに集光照射すると、その一点で「プラズマナノ爆発」が起こり、ガラスの構造が永久的に変化します。
この変化した微小領域は「ボクセル(voxel)」と呼ばれます。ボクセルは3次元のピクセルのようなもので、ガラスの内部に立体的にデータを記録できます。1枚のガラスプレートの中に数百層のデータ層を形成し、DVD1枚程度の大きさのガラス板に最大4.84テラバイトものデータを格納できます。
2つの記録方式
今回のNature論文では、2つの記録方式が報告されています。
1つ目は「複屈折ボクセル」方式です。高価な石英ガラス(溶融シリカ)を使う従来の方法で、レーザーで形成したボクセルの「向き」と「強度」を変えることで、1つの点に複数ビットの情報を格納します。空間の3次元に加え、向きと強度の情報を含むため「5次元記録」とも呼ばれます。今回の改良では、ボクセル形成に必要なパルス数を従来の多数回からわずか2回に削減しました。
2つ目が新開発の「位相ボクセル」方式です。安価なボロシリケートガラスに対応した画期的な手法で、ガラスの偏光特性ではなく位相変化を利用します。たった1回のレーザーパルスでボクセルを形成でき、書き込み速度と製造コストの両面で大きな優位性があります。
データの読み取りとAIの役割
偏光顕微鏡とAzure AI
書き込まれたデータの読み取りには、偏光を利用した顕微鏡が使われます。偏光した光をガラスに透過させると、ボクセルの構造に応じて光の通り方が変わります。この変化をカメラで撮影し、画像として取得します。
従来の読み取りには3〜4台のカメラが必要でしたが、位相ボクセル方式では1台のカメラで読み取りが可能になりました。これにより読み取り装置のコストと複雑さが大幅に低減されています。
取得した画像データは、MicrosoftのクラウドAI基盤「Azure AI」で処理されます。機械学習アルゴリズムがボクセルのパターンを解析し、元のデジタルデータに復元します。ガラスの微細な構造変化を正確に読み取るには高度な画像認識技術が不可欠であり、AIの活用がこの技術の実用化を大きく後押ししています。
保存期間の検証方法
「1万年保存できる」という数値は、加速劣化試験によって検証されています。ボロシリケートガラスに書き込んだデータを290度の高温環境に置き、その劣化の進行を測定します。この結果を室温環境に換算すると、1万年以上にわたってデータが安定的に読み取り可能であることが示されました。
石英ガラスを使った場合はさらに長期の保存が可能で、1,000度・2時間の加熱試験でもデータの劣化が見られないという報告もあります。
安価なガラスで実用化が見えてきた
ボロシリケートガラスの意義
今回の最大のブレークスルーは、高価な石英ガラスだけでなく、日常的に使われるボロシリケートガラスでもデータ保存が可能になった点です。ボロシリケートガラスは、パイレックス(Pyrex)のブランド名で知られる耐熱ガラスと同じ素材です。オーブンの扉やキッチン用品に広く使われており、安価に大量生産できます。
これまでガラスストレージは、石英ガラスの高コストが実用化の大きな障壁でした。ボロシリケートガラスの採用により、アーカイブ用途での商業化が現実味を帯びてきています。
課題と現状の性能
一方で、実用化に向けた課題も残っています。現時点での書き込み速度は66メガビット毎秒で、1枚のガラスプレートを満杯にするには約150時間を要します。リアルタイムのデータ書き込みには向かず、用途はアーカイブ用途(コールドストレージ)に限定されます。
また、データは一度書き込むと上書きや消去ができない「ライトワンス」方式です。日常的なデータ保存にはハードディスクやSSDが引き続き使われますが、長期保存が求められるデータに対しては、ガラスストレージが最適な選択肢になり得ます。
日本は基礎技術で先行していた
京都大学と日立の共同研究
実は、ガラスにフェムト秒レーザーでデータを記録する基礎技術では、日本が世界に先行していました。京都大学工学研究科の三浦清貴教授と日立製作所は、2012年に石英ガラス内部にCD並みの容量のデジタルデータを記録・再生する技術を共同開発しています。
2014年には100層のデータ記録に成功し、ブルーレイディスク並みの記録密度を達成しました。さらに、1,000度・2時間の加熱試験でもデータ劣化がないことを確認し、数億年単位の保存が理論上可能であることを示しています。
この技術は実際に宇宙空間でも活用されています。2014年に打ち上げられた超小型深宇宙探査機「しんえん2」には、石英ガラスに刻まれた「3億年後へのメッセージ」が搭載されました。
英国サウサンプトン大学の5次元記録
ガラスストレージの分野では、英国サウサンプトン大学も重要な貢献をしています。同大学のチームは2013年に5次元光記録の試作品を発表し、CDサイズのガラスディスクに最大500テラバイトのデータを保存できる技術を開発しました。室温では「事実上、永遠に壊れない」とされ、190度の環境でも138億年保つと見積もられています。
同大学からスピンアウトしたスタートアップ「SPhotonix」は、この5次元メモリクリスタル技術のデータセンターへの導入を目指しています。
注意点・展望
既存ストレージとの使い分け
ガラスストレージは、すべてのデータ保存の問題を解決する万能技術ではありません。書き込み速度の制約やライトワンス方式という特性から、日常のファイル保存やデータベース用途には適していません。
最も価値を発揮するのは「コールドストレージ」と呼ばれる長期アーカイブ用途です。文化遺産のデジタルデータ、公文書、医療記録、学術データなど、長期間にわたり改変なく保存すべきデータの保管に最適です。
実用化の見通し
Microsoftは既にいくつかの実証実験を行っています。ワーナー・ブラザースの映画「スーパーマン」(1978年)の全編を石英ガラスに保存したほか、Global Music Vaultと提携して北極圏の地下に音楽データをガラスに保存するプロジェクトも進行中です。
今後は書き込み速度の向上と並列書き込み技術の改良が進めば、データセンター規模でのアーカイブシステムとして実装される可能性があります。
まとめ
Microsoftの「Project Silica」は、フェムト秒レーザーでガラス内部にデータを刻み込み、1万年以上にわたって保存する技術です。2026年2月のNature論文では、安価なボロシリケートガラスへの対応という大きな前進が報告されました。
京都大学と日立による先行研究が示すように、この分野の基礎技術では日本が先駆的な役割を果たしてきました。デジタル情報の爆発的増加が続く中、ガラスストレージはデータの「永久保存」を実現する有力な選択肢として注目されています。
今後の技術発展により、人類の知的遺産を確実に未来へ残す手段として、ガラスストレージが広く普及する日が訪れるかもしれません。
参考資料:
- Project Silica’s advances in glass storage technology - Microsoft Research
- Laser writing in glass for dense, fast and efficient archival data storage - Nature
- Microsoft、数万年持続するガラスストレージ「Project Silica」 - ITmedia NEWS
- 石英ガラス内部への半永久的データ記録 - 京都大学
- Microsoft’s Project Silica Develops Glass Data Storage - IEEE Spectrum
- 360TBのデータを「永遠に壊さずに」保存できるガラスのディスク - WIRED.jp
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