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by nicoxz

ビヨンセが映したカントリーのルーツ論争と米国社会の現在地とは

by nicoxz
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はじめに

「カントリーは白人の音楽なのか」という問いは、音楽ジャンルの話に見えて、実際には米国社会が誰を“本流”とみなしてきたかを問う議論です。ビヨンセの『Cowboy Carter』は、この論争を一気に表面化させました。そこにあった黒人の系譜を可視化したからです。

ビヨンセは2024年に「Texas Hold ’Em」でBillboardのHot Country Songs首位に立った初の黒人女性となり、2025年のグラミー賞では『Cowboy Carter』で最優秀カントリー・アルバム賞を受賞した初の黒人女性になりました。一方で、2024年のCMA賞では無冠に終わっています。このねじれは、聴衆の受容と業界の門番意識が一致していないことを示します。

カントリーが白く見えるようになった歴史

起源はもともと混ざり合っていた音楽

カントリーの起源をたどると、「白人音楽」という見方はかなり後から作られたイメージだと分かります。PBSの解説では、黒人ミュージシャンは常にカントリーの歴史の一部であり、業界が白人の民俗音楽を「ヒルビリー」、黒人の民俗音楽を「レース・レコード」として分けて売ったことが、後の境界線を強めたと説明しています。Ken BurnsのPBS作品も、カントリーをバラッド、ブルース、賛美歌が絡み合う「深くもつれたルーツ」から生まれた音楽として描いています。

その象徴的人物がCountry Music Hall of Fameが「国初期の最初のアフリカ系アメリカ人スター」と位置づけるDeFord Baileyです。彼はGrand Ole Opry初期の人気演奏家であり、同館は彼が番組名「Grand Ole Opry」の誕生に関わったとも紹介しています。つまり黒人は、カントリーの外から入ってきたのではなく、最初期から中心にいました。

忘れられた先人と再発見の流れ

Linda Martellの存在も重要です。Country Music Hall of Fameによると、彼女は1969年にGrand Ole Opryへ出演した最初の黒人女性カントリー歌手でした。ところが、その後の主流史では長く周縁化されました。Britannicaも、彼女が黒人女性として先駆的地位を築きながら、人種差別と業界内の障壁に直面したと整理しています。

この歴史が示すのは、黒人がカントリーに「進出した」のではなく、もともといたのに見えにくくされてきたということです。だからルーツ論争の本質は、誰が正統かではありません。誰の歴史が記録され、誰の貢献が後景化されてきたかという、米国文化の編集権をめぐる問題です。

ビヨンセが論争を再点火した理由

成功が大きすぎたからこそ生じた反発

ビヨンセの『Cowboy Carter』が特別なのは、単にカントリー風の作品だったからではありません。GRAMMY.comやGuardianが伝えた通り、「Texas Hold ’Em」は2024年2月にBillboard Hot Country Songsで首位となり、彼女は同チャート首位に立った初の黒人女性になりました。作品が周辺的な実験ではなく、商業的な中心に入ったことで、ジャンルの境界を誰が決めるのかという問題が避けられなくなったのです。

しかもビヨンセは、この議論を意識的に組み込んでいました。GRAMMY.comの記事によれば、彼女は2025年の受賞時に「genre is a code word」と述べ、ジャンルが人を定位置へ押し戻す装置にもなりうると示唆しました。『Cowboy Carter』でLinda Martellを前面に置いたことも、忘れられた系譜を作品そのものに埋め込む行為でした。

この点でビヨンセは、カントリーへ「越境」したというより、カントリーの記憶を書き換えたと言ったほうが正確です。政治的に見える、あるいは本物のカントリーではないといった批判が出たのは、音の問題以上に歴史の所有権が揺れたからです。

受賞と無視が同時に起きた意味

この論争を象徴するのが、グラミーとCMAの落差です。グラミーでは、ビヨンセは2025年に最優秀カントリー・アルバム賞を受賞した初の黒人女性となり、アルバム・オブ・ザ・イヤーも獲得しました。一方で、2024年のCMAでは『Cowboy Carter』が無冠に終わりました。Guardianなどが報じたこの結果は、作品の価値判断が単一ではないことを示しています。

同じ作品に対して「歴史的快挙」と「業界的な無視」が同時に起きた事実こそ、現在の米国を映しています。多様性を称賛する公的な言葉は広がっても、制度やコミュニティの内部規範は簡単には変わらない。そのずれが、カントリー論争に凝縮されています。

ルーツ論争が映す米国の今

ジャンル論争の裏にある文化の所有権

この論争は、音楽的な純度をめぐるものではありません。PBSの説明が示す通り、ジャンル区分そのものが市場とラジオによるマーケティングの産物でした。にもかかわらず、長い時間をかけて「カントリーらしさ」が白人性、南部性、保守性と強く結びつけられてきたため、黒人アーティストが中心へ来ると違和感が噴き出します。

言い換えれば、ビヨンセをめぐる反応は「この音がカントリーか」という問いより、「誰がアメリカの田舎や伝統を代表してよいのか」という問いに近いのです。だからこの議論は、移民、歴史教育、愛国表象をめぐる米国の分断と地続きです。カントリーは文化戦争から自由なジャンルではなく、むしろその最前線の一つになっています。

排除への対抗としての新しい共同体

一方で、変化も確実に進んでいます。Black Opryは、自らを「country, Americana, blues, folk and roots music」で活動する黒人アーティストやファン、業界関係者のホームだと掲げています。その説明では、黒人はこのジャンルの成立時から関わってきたのに、同じ長さだけ見過ごされてきたと明言しています。これは抗議の場であると同時に、既存の門番を通らなくても文化を育てられるという宣言でもあります。

この流れが示すのは、米国文化の中心が一枚岩ではなくなったことです。大手賞レースやラジオが唯一の承認装置だった時代に比べれば、配信、SNS、ツアー、コミュニティが新しい正統性を作り始めています。

注意点・展望

注意したいのは、この論争を「黒人対白人」という単純な対立図で読むことです。カントリーはもともと複数の伝統が交差して生まれた音楽であり、問題は誰かを追い出すことではなく、歴史を狭く定義してきた制度や慣習を問い直すことにあります。ビヨンセ自身も『Cowboy Carter』を純粋なカントリー作品というより、自らのルーツと米国音楽の系譜を横断する作品として提示していました。

今後の注目点は、単発の快挙が制度変化につながるかです。黒人アーティストのラジオ露出、授賞機会、フェス出演、批評言語がどう変わるかを見ない限り、「前進した」とは言い切れません。ただ、ビヨンセ以後、カントリーを白人音楽とだけ言い切ることは以前より難しくなりました。

まとめ

ビヨンセが引き起こしたカントリー論争は、ジャンルの好みを超えた文化政治の問題です。DeFord BaileyやLinda Martellの歴史が示す通り、黒人はカントリーの外部者ではありませんでした。にもかかわらず、その事実は長く十分に語られてこなかったのです。

『Cowboy Carter』が米国で大きな意味を持ったのは、その忘却を主流市場のど真ん中で可視化したからです。受賞、無視、称賛、反発が同時に起きたこと自体が、米国社会の複雑さを物語っています。カントリーは白人の音楽かという問いへの答えは、もはや単純ではありません。

参考資料:

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