中国海底ケーブル阻止へ米がチリに制裁、通信網の米中攻防
はじめに
南米チリで中国主導の海底通信ケーブル構想をめぐり、大きな論争が巻き起こっています。米国は安全保障上の懸念を理由に、この構想に関与したチリ政府高官のビザを取り消す制裁措置を発動しました。
2026年3月11日にはトランプ米大統領に近いカスト新政権の発足を控えており、チリは最大の貿易相手国である中国と、最大の外国投資家である米国の板挟みに置かれています。本記事では、通信インフラをめぐる米中の覇権争いの最前線を解説します。
チリ・中国エクスプレスケーブル構想とは
太平洋を横断する巨大プロジェクト
問題の焦点となっているのは「チリ・チャイナ・エクスプレス」と呼ばれる海底通信ケーブルプロジェクトです。中国最大の通信キャリアであるチャイナ・モバイル(中国移動)が主導し、HMNテクノロジーズやヘントン・オプティック・エレクトリックといった中国企業が参画しています。
このプロジェクトは、チリのバルパライソ港と香港を太平洋横断の光ファイバーケーブルで直結する計画です。投資額は約5億ドル(約780億円)と見積もられており、実現すれば太平洋地域のデータ通信容量と接続性を大幅に拡大する可能性があります。
なぜ海底ケーブルが重要なのか
国際通信の約99%は海底ケーブルを通じて行われています。衛星通信が注目を集める現代でも、大容量データの伝送において海底ケーブルの重要性は圧倒的です。AI時代の到来により、データセンター間の通信需要は急増しており、海底ケーブルは「デジタル経済の命綱」とも呼ばれています。
このため、海底ケーブルの敷設は単なるインフラ投資にとどまらず、データの流れを支配するという意味で地政学的な戦略資産としての性格を持ちます。
米国の制裁と安全保障上の懸念
チリ高官3人のビザを取り消し
米国務省は2026年2月20日、チリの運輸通信大臣を含む3人の政府高官のビザを取り消す措置を発表しました。中国主導のケーブルプロジェクトを推進したことが、地域の安全保障を損なうと判断したためです。
さらに米国大使は、このプロジェクトが進めば、チリとの情報共有体制全体を見直す可能性があると警告しました。チリが唯一のラテンアメリカ対象国となっている米国渡航ビザ免除プログラム(VWP)への影響も示唆されており、年間30万人以上のチリ国民に影響が及ぶ可能性があります。
米国が懸念する「デジタル主権」
米国がこのプロジェクトに強硬に反対する背景には、中国企業が敷設・管理する海底ケーブルを通じた情報傍受やデータ収集のリスクがあります。海底ケーブルは陸揚げ局で信号を増幅する際にデータへのアクセスが技術的に可能であり、中国政府と密接な関係にある通信企業がこのインフラを管理することへの懸念は根深いものがあります。
米国は世界各地で中国企業による海底ケーブル敷設プロジェクトに反対しており、チリの事例はこの広範な戦略の一環です。
チリ政権移行期の混乱
ボリッチ大統領とカスト次期大統領の対立
この問題は、チリの政権移行期に深刻な混乱を引き起こしています。退任間近の左派ボリッチ大統領は、カスト次期大統領に対してケーブル計画についての情報提供を試みたと主張しましたが、カスト氏はそのような情報共有はなかったと否定しました。
カスト次期大統領は3月3日、「提供される情報を信用できない」として、現職ボリッチ大統領との政権移行手続きを停止すると表明しました。政権移行のわずか1週間前という異例の事態です。
最大の貿易相手国と最大の投資国の間で
カスト新政権は、トランプ米大統領に近い保守派政権とされています。しかし、中国はチリにとって最大の貿易相手国であり、銅をはじめとする鉱物資源の最大の輸出先です。一方、米国はチリ最大の外国投資家です。
カスト氏は就任後、中国との経済関係を維持しながら米国の安全保障上の要求にも応えるという難しい舵取りを迫られます。
注意点・展望
南米全体に広がる米中デジタル覇権争い
チリのケースは氷山の一角に過ぎません。中国は南米、アフリカ、東南アジアなど世界各地で海底ケーブルの敷設プロジェクトを推進しており、米国はそれぞれの地域で対抗措置を講じています。
「デジタルシルクロード」とも呼ばれる中国の通信インフラ戦略は、一帯一路構想の重要な柱です。これに対し米国は、同盟国や友好国と連携して「信頼できるネットワーク」の構築を推進しています。
日本の立ち位置
日本もこの問題と無縁ではありません。NECや富士通といった日本企業は海底ケーブルの製造・敷設で世界的なシェアを持っており、米国主導の「脱中国」戦略の中で役割を拡大しています。日本企業にとっては事業機会が広がる一方、地政学的リスクへの対応も求められます。
まとめ
チリの海底ケーブル問題は、通信インフラをめぐる米中の覇権争いが南米にまで及んでいることを象徴する出来事です。米国は安全保障を理由に制裁を発動し、中国は経済関係を武器に影響力の拡大を図っています。
3月11日に発足するカスト新政権がこの問題にどう対応するかは、南米における米中のパワーバランスを測る重要な指標となるでしょう。「デジタル時代の地政学」は、もはや先進国だけの問題ではなくなっています。
参考資料:
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