スターリンク1強が揺るがす安全保障、欧州と中国の対抗策
はじめに
米SpaceXが展開する衛星通信サービス「スターリンク(Starlink)」が、世界の通信インフラと安全保障の構図を大きく変えつつあります。低軌道に展開された衛星数は8,000機を超え、稼働数は2026年中に1万2,000機に達する見通しです。
150以上の国・地域でサービスを提供するスターリンクは、通信インフラが脆弱な地域や紛争地帯で不可欠な存在となっています。一方で、国家の安全保障に関わる通信インフラを民間企業1社に依存するリスクへの懸念が高まっています。
欧州や中国は独自の衛星通信網の構築に動き出しました。MWC2026(バルセロナ)ではSpaceXのグウィン・ショットウェルCOOが登壇し、衛星通信の未来が議論の中心テーマとなっています。
スターリンクの圧倒的優位
衛星数で世界を圧倒
SpaceXはこれまでに累計9,000機以上のスターリンク衛星を打ち上げており、そのうち8,000機以上が現在稼働中です。このペースが続けば、2026年中には稼働衛星数が1万2,000機に達すると見込まれています。
この数は、ライバル企業はもちろん、主要国家が保有する衛星数をもはるかに上回ります。中国の「国網(Guowang)」計画は1万3,000機を目標としていますが、現時点で打ち上げ済みは約60機にとどまります。上海が支援する「千帆(Qianfan)」プロジェクトも打ち上げ済みは約90機です。
次世代V2衛星の能力
MWC2026で発表されたスターリンクの次世代衛星「V2」は、SpaceX独自開発のシリコンチップとフェーズドアレイアンテナを搭載しています。数千のスペーシャルビームを同時にサポートでき、第1世代と比較して約20倍のスループット能力を実現します。
携帯電話との直接通信(Direct to Cell)にも対応しており、基地局のない地域でもスマートフォンから直接衛星通信を利用できる技術が実用段階に入っています。
安全保障上の懸念
民間企業1社への依存リスク
スターリンクが国家安全保障にとって不可欠なインフラとなりつつあることは、深刻なリスクをはらんでいます。ウクライナ紛争ではスターリンクが軍事通信のバックボーンとして機能しましたが、サービスの提供・停止がSpaceXの経営判断に委ねられている点は多くの専門家が懸念しています。
2026年1月にはイラン政府によるインターネット遮断に対して、イーロン・マスクがスターリンクの無料提供を表明し、市民の通信手段として活用されました。人道的な意義がある一方で、一企業のCEOの判断が国家レベルの通信に影響を与えるという構造的な問題が浮き彫りになっています。
中国の強い警戒
中国はスターリンクの急速な拡大に対して強い警戒感を示しています。中国の代表は国際電気通信連合(ITU)に対し、スターリンク計画が「周波数と軌道資源を奪取しようとする意図は明らかである」と指摘しました。
ITUでは軌道とスペクトルの取得が「先着順」の原則に基づいているため、SpaceXが大量の衛星を先行配置することで、他国が利用可能な周波数帯や軌道位置が制限される懸念があります。
さらに2021年にはスターリンク衛星が中国の宇宙ステーション「天宮」に接近するインシデントも発生しており、SpaceXは2026年中に4,400機以上の衛星の軌道を低高度に変更する計画を発表しています。
欧州と中国の独自衛星網構築
欧州:IRIS2計画
欧州連合(EU)は独自の衛星通信コンステレーション「IRIS2(Infrastructure for Resilience, Interconnectivity and Security by Satellite)」の構築を進めています。290機の衛星で構成される計画で、暗号化された安全な通信を欧州全域に提供することを目指しています。
EU防衛・宇宙担当委員のアンドリウス・クビリウス氏は「我々は米国のサービスにかなり依存している」と述べ、「欧州全体の接続性と主権を、完全な欧州の管理下で保証する」ことがIRIS2の目標だと強調しました。
本格運用は2030年を予定しており、スターリンクに対して価格面と性能面で競争力を持つことが求められています。軍事通信、災害対応、政府機関の安全な通信など、主権に関わる用途が優先されます。
中国:国網と千帆
中国は国家主導で複数の衛星通信コンステレーション計画を推進しています。政府系の「国網(Guowang)」は1万3,000機体制を目標とし、上海が支援する民間プロジェクト「千帆(Qianfan)」はブラジルやカザフスタン、アフリカ諸国への売り込みも開始しています。
中国にとって独自の衛星通信網は、スターリンクへの対抗だけでなく、デジタル・シルクロード構想の一環として、新興国への影響力を拡大する戦略的ツールでもあります。
注意点・展望
宇宙空間の混雑問題
衛星の大量配置は宇宙空間の混雑とスペースデブリ(宇宙ごみ)のリスクを高めます。低軌道上の衛星密度が増すことで、衝突リスクや他の宇宙活動への影響が懸念されています。国際的なルール整備が追いつかないまま、各国の衛星打ち上げ競争が激化する可能性があります。
通信主権の時代
今後は、通信インフラの「主権」が安全保障の重要な柱として位置づけられるようになります。欧州のIRIS2や中国の独自計画は、通信の自律性を確保するための動きです。日本を含む他の先進国も、スターリンク依存からの分散を検討する必要に迫られる可能性があります。
ただし、スターリンクのコスト競争力と技術的優位は簡単には覆りません。欧州のIRIS2も本格運用は2030年であり、当面はスターリンクの優位が続くと見られます。
まとめ
SpaceXのスターリンクは8,000機以上の稼働衛星と150以上の国・地域でのサービス展開で、衛星通信市場における圧倒的な「1強」の地位を築いています。イラン危機での活用やMWC2026での次世代衛星発表など、その存在感は増す一方です。
しかし、国家安全保障に関わる通信を1社の民間企業に依存するリスクは見過ごせません。欧州はIRIS2計画で、中国は国網・千帆で、それぞれ独自の衛星通信網を構築する動きを加速しています。衛星通信をめぐる国際的な競争は、今後の安全保障の構図を大きく左右する重要なテーマです。
参考資料:
- Europe launches IRIS2 satellites as war looms and Starlink threatens sovereignty - Capacity
- Beijing Warns UN of ‘Safety and Security’ Risks from Starlink Expansion - SatNews
- Starlink in Europe – US satellites, EU security, and space sovereignty - Cybernews
- SpaceX’s Starlink is a lifeline amid Iran protest internet blackouts - NBC News
- MWC: Starlink Mobile unveils plans for V2 satellites - Fierce Network
- China warns Starlink satellites pose ‘safety and security’ risk - South China Morning Post
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