丹羽宇一郎氏死去、伊藤忠V字回復と民間初の中国大使

by nicoxz

はじめに

元伊藤忠商事社長で、民間出身者として初めて駐中国大使を務めた丹羽宇一郎氏が2025年12月24日、老衰のため死去しました。86歳でした。

丹羽氏は伊藤忠商事の社長として4000億円規模の不良債権処理を断行し、会社をV字回復させた経営者として知られています。その後、2010年から2012年まで駐中国大使を務め、尖閣諸島問題で日中関係が悪化する中、両国の架け橋となるべく尽力しました。

本記事では、丹羽氏の経営者としての実績と、外交官としての活動を振り返ります。

穀物トレーダーから経営者へ

食料部門で頭角を現す

丹羽宇一郎氏は1939年1月29日、愛知県名古屋市に生まれました。愛知県立惟信高等学校を経て名古屋大学法学部を卒業後、1962年に伊藤忠商事に入社しています。

入社後は食料部門に長く携わり、穀物トレーダーとして頭角を現しました。商社マンとして培った交渉力と決断力は、後の経営者としての資質を形成することになります。

社長就任と不良債権処理

1998年、丹羽氏は伊藤忠商事の代表取締役社長に就任しました。当時の伊藤忠は、バブル崩壊の後遺症に苦しみ、二期連続で無配を続け、役員報酬だけでなく一般社員の給与削減も実施していた厳しい状況でした。

丹羽氏は就任直後、「20世紀に起きたことは20世紀のうちに片付ける」と宣言。1999年に約4000億円の不良債権を一括処理するという決断を下しました。成長性が見込めない部門や赤字の関連会社の整理を猛スピードで進め、翌年度の2001年3月期決算では過去最高益となる705億円の黒字を計上するまでに回復させました。

先送りしない経営

丹羽氏は当時、「二、三年にわけて償却するソフトランディングの方法もあったとは思います。しかし、スピードが要求される時代に不良資産に足を取られている余裕はない」と語っています。

目先の利益にとらわれず、攻守ともに必要な施策を先送りしなかったこの経営姿勢は、「経営者として最上級の英断」と評価されています。この改革が土台となり、伊藤忠は後に商社業界首位へと上り詰めることになります。

話題を呼んだ経営スタイル

丹羽氏は政治・経済の問題に積極的な発言をすることでも知られ、赤字決算時の報酬返上や電車通勤といったスタイルも話題となりました。2004年には会長に就任し、2006年から2008年まで内閣府経済財政諮問会議議員、2007年からは内閣府地方分権改革推進委員会委員長も務めています。

民間初の駐中国大使として

異例の人事

2010年6月17日、丹羽氏は中華人民共和国駐箚特命全権大使に就任しました。民間出身者として中国大使に就任するのは、丹羽氏が初めてのことでした。

当時の民主党政権は、中国政府関係者との豊富な人脈を持つ財界人として丹羽氏を起用しました。伊藤忠商事は中国ビジネスに注力しており、丹羽氏自身も中国との太いパイプを持っていたためです。

尖閣諸島問題の渦中へ

しかし、丹羽氏の大使在任中は、日中関係にとって極めて困難な時期となりました。丹羽氏自身が後に「尖閣に始まり尖閣で終わった」と振り返るほど、尖閣諸島問題が任期を通じて大きな影を落としました。

2010年9月7日、尖閣諸島周辺で中国漁船が日本の海上保安庁巡視船に衝突する事件が発生。この事件後、中国側は丹羽大使を繰り返し呼び出し抗議を行いました。9月12日には日本時間の深夜1時に呼び出されるという異例の対応を受けることもありました。

発言をめぐる論争

2012年、東京都が尖閣諸島を購入する計画を発表すると、丹羽氏はこれに対して「もし計画が実行されれば、日中関係にきわめて深刻な危機をもたらす」と発言。この発言は国内で大きな論争を呼び、自由民主党は「日本の国益を損なう」として更迭を要求する事態となりました。

丹羽氏の発言は、日中関係の安定を最優先に考えた外交官としての判断でしたが、国内世論との乖離が問題視されることになりました。

経済界・外交界での幅広い貢献

様々な要職を歴任

丹羽氏は伊藤忠商事を離れた後も、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長など、様々な要職を歴任しました。

2015年6月には日中友好協会会長に就任し、両国の民間交流促進に尽力しました。グローバルビジネス学会会長としても活動し、次世代の経営者育成にも貢献しています。2024年6月に日中友好協会会長を退任し、名誉会長に就任していました。

多くの著書を執筆

丹羽氏は経営論や国際関係に関する著書を数多く執筆し、自身の経験と見識を後世に伝える活動も積極的に行っていました。

注意点・展望

丹羽氏が残した遺産

丹羽氏の経営手法——特に不良債権の一括処理による「膿を出し切る」アプローチ——は、日本企業の経営再建における一つのモデルケースとなっています。バブル後遺症に苦しむ多くの企業が「先送り」を続ける中、丹羽氏は痛みを伴う改革を断行し、短期間で結果を出しました。

日中関係への示唆

民間外交の重要性を体現した丹羽氏の活動は、政府間関係が悪化した時こそ民間の交流が重要になることを示しています。現在も日中関係には様々な課題がありますが、丹羽氏が築いた人脈やネットワークは、両国の架け橋として今後も活かされていくことが期待されます。

経営者・外交官としての評価

経営者としては「先送りしない経営」で伊藤忠を再生させた功績は揺るぎないものがあります。一方、外交官としての評価は、尖閣問題への対応をめぐって意見が分かれる部分もあります。しかし、困難な時期に両国関係の安定化に努めた姿勢は、多くの関係者から敬意を持って語られています。

まとめ

丹羽宇一郎氏は、伊藤忠商事社長として4000億円の不良債権処理を断行し、会社をV字回復させた経営者でした。その後、民間出身者として初めて駐中国大使に就任し、尖閣問題で揺れる日中関係の安定化に尽力しました。

穀物トレーダーから経営者、そして外交官へ——丹羽氏の86年の生涯は、日本経済と日中関係の歴史に深く刻まれています。

経済界・外交界から惜しむ声が上がる中、丹羽氏が残した「先送りしない経営」の精神と、民間交流の重要性という教訓は、これからも受け継がれていくことでしょう。

参考資料:

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