日銀が当座預金のトークン化構想を始動した背景と狙い
はじめに
日本銀行が、当座預金の一部をブロックチェーン(分散型台帳)上でデジタル化する「トークン化構想」を本格始動させました。実現すれば、大口の企業間決済が24時間365日可能になり、国をまたいだ即時決済やコスト削減にもつながる可能性があります。
この構想は、日銀がこれまで取り組んできた中央銀行デジタル通貨(CBDC)の研究の延長線上にあります。しかし、個人がスマートフォンで使う「デジタル円」とは根本的に異なるものです。本記事では、日銀のトークン化構想の仕組みと狙い、そして既存のデジタル通貨との違いについて解説します。
当座預金トークン化の仕組み
1円=1トークンで即時決済
日銀の当座預金トークン化とは、金融機関が日銀に保有する当座預金口座の残高を、ブロックチェーン上で「1円=1トークン」の単位でデジタル変換する仕組みです。これにより、従来は営業時間内に限られていた銀行間の大口決済が、時間や曜日を問わず実行可能になります。
ブロックチェーン上のスマートコントラクト(自動実行プログラム)を活用することで、あらかじめ設定した条件が満たされると自動的に決済が完了します。たとえば、証券の引き渡しと代金の支払いを同時に処理する「DVP(Delivery Versus Payment)」決済が実現でき、決済リスクを大幅に軽減できます。
ホールセール型に特化
この構想が対象とするのは、金融機関同士の大口取引、いわゆる「ホールセール型」の決済です。個人がスーパーやコンビニで使うような一般消費者向けのデジタル通貨とは目的が異なります。
日銀に当座預金口座を持つ銀行や証券会社が主な利用者です。企業間の大口送金、証券決済、外国為替取引など、現在は営業時間や仲介手数料の制約を受けている取引を効率化する狙いがあります。
CBDCやステーブルコインとの違い
3種類のデジタル通貨を整理する
デジタル通貨をめぐっては、複数の種類が並行して検討・開発されています。混同されがちですが、それぞれの仕組みと目的は明確に異なります。
CBDC(中央銀行デジタル通貨) は、中央銀行が直接発行するデジタル通貨です。日銀が研究を進める「デジタル円」は一般利用型CBDCと呼ばれ、個人がスマートフォンなどを通じて日常的な支払いに使うことを想定しています。
トークン化預金 は、民間銀行の預金債務をブロックチェーン上でトークン化したものです。発行主体は銀行などの預金取扱金融機関であり、既存の預金保険制度の対象となります。今回の日銀構想は、中央銀行の当座預金をトークン化するという点で、通常のトークン化預金とはやや異なる位置づけです。
ステーブルコイン は、主に民間の非銀行事業者が発行するデジタル通貨です。法定通貨や国債などの準備資産を裏付けに、1対1の価格連動を維持します。日本では資金決済法に基づく「電子決済手段」として法整備が進んでいます。
三者の使い分け
これら3種類のデジタル通貨は、競合するものではなく補完関係にあります。CBDCは中央銀行の信用を裏付けとした汎用型、トークン化預金は銀行の信用力を活かした金融機関向け、ステーブルコインは民間主導の柔軟なデジタル決済手段です。日銀のトークン化構想は、このうちホールセール型の金融インフラ基盤として機能することが期待されています。
国内外の実証実験と連携
3メガバンクとの実証実験
日銀は民間金融機関と連携し、模擬的に当座預金をトークン化する実証実験を進めています。三菱UFJ、三井住友、みずほの3メガバンクが発行するステーブルコインとの連携も視野に入っています。
国内では、SBI証券や大和証券、SBI新生銀行、ディーカレットDCPなどが参加するデジタル通貨を用いた証券DVP決済の実証実験も進行中です。2025年8月にはテストデータを用いた検証が完了し、実際の発行に向けた検証へと段階を進めています。デジタル証券市場はすでに公募発行額が1,500億円を超える規模にまで成長しています。
国際的な潮流 — プロジェクト・アゴラ
日銀の取り組みは国際的な動きとも連動しています。国際決済銀行(BIS)が主導する「プロジェクト・アゴラ」には、日銀を含む7つの中央銀行と40を超える民間金融機関が参加しています。フランス銀行、イングランド銀行、ニューヨーク連邦準備銀行、韓国銀行なども名を連ねています。
このプロジェクトでは、トークン化された民間銀行の預金とホールセール型CBDCをシームレスに統合する方法を調査しています。スマートコントラクトによる処理速度の向上、手数料の大幅削減、取引履歴の一元管理と透明性の向上が期待されています。
韓国では、韓国中央銀行が2024年11月にホールセールCBDCと預金トークンを活用した実証実験のMOU(基本合意書)を締結し、7つの国内銀行に預金トークン発行業務を許可するなど、アジアでも先行的な取り組みが進んでいます。
注意点・展望
日銀のトークン化構想には、いくつかの技術的・制度的課題があります。ブロックチェーン上での大量取引処理能力(スケーラビリティ)の確保、サイバーセキュリティの強化、既存の決済システムとの互換性の維持などが挙げられます。
また、法制度面での整備も必要です。トークン化された当座預金の法的な位置づけや、万が一のシステム障害時の責任分担などは、まだ明確になっていない部分があります。
一方で、国際的には中央銀行のデジタル通貨実験に取り組む国が急速に増えており、日本が出遅れるリスクもあります。今後の実証実験の結果を踏まえ、2020年代後半には本格的な実装段階へ移行する可能性があります。
まとめ
日銀の当座預金トークン化構想は、日本の金融インフラを大きく変革する可能性を秘めた取り組みです。24時間365日の企業間即時決済、クロスボーダー取引の効率化、スマートコントラクトによる自動決済など、実現すれば金融業界に大きなインパクトをもたらします。
一般消費者が直接恩恵を受けるのは先の話ですが、企業間取引のコスト削減や処理速度の向上は、最終的に経済全体の効率化につながります。BISのプロジェクト・アゴラなど国際連携も進んでおり、日本のデジタル金融インフラがどのように発展するか注目されます。
参考資料:
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