五神真氏が語る半導体人材の歯がゆさとラピダスへの期待

by nicoxz

はじめに

「彼ら彼女らは東大生の中でも上位5%に入る優秀層。自ら課題を設定し、自ら答えを見つけ出せる能力を鍛えた俊英たちだが、それにふさわしいフロンティアを切り開くような仕事を会社で十分にできたのか」——東京大学前総長で現在は理化学研究所(理研)理事長を務める五神真氏は、自身が東大工学部で教えた21年間に送り出した約100人の学生・院生のうち、半導体事業を選んだ多くの人材について、こう歯がゆい思いを抱いています。日本半導体産業が1980年代の世界シェア50%から現在の1桁台へと凋落する中で、優秀な人材が本来の力を発揮できなかった歴史があります。2027年の量産開始を目指すラピダスは、この歴史を克服できるのでしょうか。

失われた半導体人材のフロンティア

優秀層が活躍できなかった過去

五神氏が東大工学部の物理工学科で教えた21年間、自身の研究室から約100人の学生・院生を送り出し、うち6割は民間企業に就職し、その多くは半導体事業を選びました。これらの人材は「東大生の中でも上位5%に入る優秀層」で、「自ら課題を設定し、自ら答えを見つけ出せる能力を鍛えた俊英たち」です。

しかし、五神氏が抱く歯がゆさは、こうした優秀な人材が「それにふさわしいフロンティアを切り開くような仕事を会社で十分にできたのか」という点にあります。日本の半導体産業が構造的な問題を抱える中で、個々の技術者がどれほど優秀であっても、組織や産業全体の戦略的失敗により、その能力を十分に発揮できなかった歴史があるのです。

日本半導体産業の衰退史

1980年代、日本の半導体産業は世界市場の約50%のシェアを獲得し、1986年には半導体産業売上ランキングでTOP3を日本企業が独占していました。当時は「日の丸半導体」と呼ばれ、高い製造技術と品質管理、政府の支援(VLSIプロジェクトなど産官学連携の技術開発)、ものづくり文化が成功を支えていました。

しかし、その後の衰退は急速でした。2019年には日本のシェアは1割まで落ち込んでいます。主な原因としては、以下の要因が挙げられます。

日米半導体協定による政治的圧力:1987年の日米半導体協定により、日本市場における外国製半導体の比率を20%にするという購買義務が課され、韓国企業に製造技術を提供することになりました。

市場構造の変化への対応失敗:1990年代以降、パソコンが急成長する中で、CPU部分はインテルが市場を独占し、日本が強かったDRAMというメモリ部分は韓国に追い越されました。

投資戦略の問題:日本の大手半導体メーカーの多くは総合電機メーカーの一部門に過ぎず、経営トップ層が半導体ビジネスに精通していないことも多く、戦略的な投資判断が難しかった面があります。韓国サムスン電子には、中途半端な投資とタイミングの悪さでコスト面で敗れました。

こうした構造的問題の中で、五神氏が育てた優秀な人材たちも、個人の能力だけでは産業全体の流れを変えることができなかったのです。

深刻化する半導体人材不足

数字が示す危機的状況

現在、グローバル規模で半導体技術者の需要が高まり、人材不足が深刻化しています。2030年までに半導体業界で150万人の新規労働者が追加で必要になる見通しです。日本国内では、電子情報技術産業協会(JEITA)が、今後10年間で主要8社だけで少なくとも4万人の人材が追加で必要になると推計しています。

構造的な要因

人材不足は単なる数の問題ではありません。ベテラン世代の大量退職が迫っており、日本の半導体産業を支えてきた熟練技術者の多くは50代後半から60代に集中しており、今後数年で退職が加速します。しかし、次世代リーダー層の育成は十分に進んでいません。

過去20年間で半導体産業で働く従業員数は約3割減り、熟練の技術者の多くが引退したり、他の業界へ、あるいは海外へと移ったりしたと考えられます。さらに、学生やその親世代に対して半導体業界の魅力を十分に伝える機会が限られていたことも、人材確保に課題が生じています。

技術継承の危機

日本の半導体産業が国際競争力を堅持し、今後も持続的に発展していく上で重視しなければならないのが、蓄積された技術・ノウハウを継承していく人材の確保・育成です。しかし、現状ではこの技術継承が危機に瀕しています。

ラピダスが直面する壁

2027年量産化への険しい道のり

ラピダスは、トヨタ、NTT、ソニーなど国内主要企業が出資して2022年8月に設立された次世代半導体の量産製造拠点です。2022年12月には、世界初の2nmクラスの半導体開発に成功した米IBMとの間に戦略的パートナーシップ協定を締結しました。

IBMはラピダスに2nm半導体技術ライセンスを供与し、約150人のエンジニアがラピダスからIBMのニューヨークにある研究開発拠点に派遣されました。IBMが提供する2nm世代技術は、GAA(Gate All Around)と呼ぶ新しいトランジスタ構造を採用し、7nm技術と比較して性能が45%高く、消費電力は75%削減できるとされています。

2025年4月1日、ラピダスは北海道千歳市の次世代半導体製造拠点「IIM(イーム)」において、2nm世代の先端半導体に向けた試作ラインの稼働を正式に開始しました。2025年7月18日には2nm級半導体の試作に成功し、正常な動作も確認しています。

経産省は量産開始時期を「2027年後半、おそらく10月になる」としていますが、ラピダスの小池淳義社長は、27年量産開始までの現在の進捗を「まだ1合目」と表現しています。

技術的課題

量産に向けて性能や歩留まりの向上、顧客確保が課題になります。2nmプロセスは世界的に確立されていない技術で、TSMCやサムスンでさえ、歩留まりの改善には数年を要すると見込まれています。試作成功と量産化の間には大きな技術的ハードルが残されています。

資金調達の課題

量産までには総額約5兆円の巨額資金が必要です。研究開発にかかる2兆円はおおむね賄えるものの、量産に向けてはさらに3兆円くらいの資金が必要になるとされています。政府の累計支援額は2.9兆円に及び、各年度の予算案に計上し国会の審議を経ます。

競合との差

台湾TSMCは2025年内にも2nmの量産を開始する予定で、すでに欧米大手顧客との長期契約も進めています。サムスンも同様に2nmの量産を目指し、大規模投資を継続しています。ラピダスは技術的に周回遅れの状況からのスタートとなっています。

過去の「日の丸連合」の教訓

経産省自身が「失敗だった」と反省しているのが、過去の「日の丸連合」という過ちです。企業連合による意思決定の遅さが本質的な問題の一つで、以下のようなリスクが指摘されています。

  • 特定の株主企業のための低収益製品を作らされる
  • 本来必要な設備投資や研究開発が遅れる
  • 迅速な意思決定ができない
  • 経営責任の所在が曖昧になる

歩留まりが確保できなかった場合、作れても顧客がつかなかった場合、投資回収が進まず財務的に行き詰まった場合、誰が責任を取るのか——国か、経営陣か、株主企業か——いずれも曖昧とされています。

産学連携による人材育成の新たな試み

全国で進む人材育成拠点の整備

こうした課題に対応するため、経済産業省の地方機関である経済産業局を中心に、2022年以降に相次いで全国6つの産官学コンソーシアムが発足しました。文部科学省は国内7大学に半導体の設計や生産に関わる人材育成の拠点をつくり、選定した大学の教育プログラムに各地域内の専門教員が加わり、即戦力を輩出する計画です。

東京大学の取り組み

東京大学工学部では2024年4月より、学部横断型教育プログラム「半導体教育プログラム(SPIRIT: Semiconductor education Program for Interdisciplinary Research and InnovaTion)」を開始しました。このプログラムでは、半導体に関連する素材・プロセス・デバイス・回路・プロセッサ・アーキテクチャを俯瞰する基礎的な講義と、産業界を中心に一線で活躍する研究者による特別講義を提供しています。

また、東京大学の黒田忠広教授が2019年に立ち上げた半導体システムデザインセンター「d.lab」(ディーラボ)は、レゾナックをはじめ多くの半導体関連企業が参画し、東京大学内の電子工学系の各研究室とも連携しながら、次世代半導体の開発に取り組むオープンイノベーションの場となっています。

理研の役割

五神真理事長が率いる理化学研究所では、産学連携について独自の立ち位置を明確にしています。五神理事長は「理研が社会から遊離しないように自己確認するために重要」としながらも、「国立大学における産学連携とも違う」と説明しています。

理研では、基礎科学研究を未来の成長の機会を創る源泉と捉え、「単に過去の研究成果を既存の産業界に展開するのではなく、日本の産業全体を伸ばしていくために、産業構造を未来型に変えていく」ことを重視しています。

五神理事長は「ビヨンド5Gと先端半導体、量子技術は一体的に進めていく必要がある」と述べ、これらの技術分野を統合的に推進する重要性を強調しています。また、「日本も先端半導体では大胆にかじを切って、TSMCの工場を熊本に誘致したり、Rapidusに投資したりしています」と、国家戦略としての半導体産業再興を評価しています。

ラピダスが克服すべき本質的課題

フロンティアを切り開く環境の創出

五神氏が抱く歯がゆさの本質は、優秀な人材が「フロンティアを切り開くような仕事」をできる環境があるかどうかという点にあります。ラピダスが過去の失敗を繰り返さないためには、以下の要素が不可欠です。

迅速な意思決定メカニズム:企業連合の枠組みでありながら、個別企業の利害に左右されない独立した経営判断ができる体制が必要です。

長期的視点での投資:短期的な収益を求めるのではなく、技術開発と人材育成に長期的に投資し続ける覚悟が求められます。

若手人材への権限委譲:五神氏が育てたような「自ら課題を設定し、自ら答えを見つけ出せる」人材に、実際にフロンティアを切り開く機会を与える組織文化が必要です。

グローバル競争を勝ち抜く戦略

TSMCやサムスンに対抗するためには、単に技術を追いかけるだけでなく、独自の強みを確立する必要があります。日本の強みである高い製造技術と品質管理、きめ細かな顧客対応を活かしつつ、新しい市場を創造していく視点が重要です。

産学官の真の連携

過去のVLSIプロジェクトのような形式的な産学官連携ではなく、五神理事長が理研で目指すような「産業構造を未来型に変えていく」ための本質的な協力関係が求められます。大学や研究機関が基礎研究で蓄積した知見を、企業が迅速に製品化につなげ、政府が長期的視点で支援する——この三者の有機的な連携が、ラピダスの成否を左右します。

注意点と今後の展望

失敗許容度の低さ

ラピダスには失敗が許されない重圧があります。累計2.9兆円という巨額の公的資金が投入されており、失敗すれば日本の半導体戦略全体に大きな打撃となります。この重圧が、かえって保守的な意思決定を招き、五神氏が懸念する「フロンティアを切り開く」挑戦を阻害するリスクがあります。

人材の流動性

優秀な人材を確保するためには、国内だけでなくグローバルな人材市場で競争力のある処遇と環境を提供する必要があります。しかし、日本企業特有の年功序列や終身雇用の文化が、人材の流動性を阻害する可能性があります。

顧客開拓の重要性

技術開発と並行して、実際に製品を買ってくれる顧客を確保することが極めて重要です。TSMCやサムスンがすでに欧米大手顧客との長期契約を結んでいる中で、ラピダスは独自の顧客基盤を構築する必要があります。

2027年以降の持続可能性

2027年の量産開始は一つのマイルストーンに過ぎません。その後、継続的に技術革新を進め、2nm以降の1nm台、さらにその先の世代へと進化し続ける必要があります。ラピダスは既に「イーム2」(第2棟)で「2nmの次の世代(1nm台)をつくる」計画を発表していますが、これを実現するには持続的な投資と人材育成が不可欠です。

まとめ

五神真氏が抱く「歯がゆさ」は、日本の半導体産業が直面してきた構造的問題の本質を突いています。1980年代に世界トップだった日本の半導体産業は、個々の技術者の優秀さにもかかわらず、戦略的失敗により凋落しました。優秀な人材が「フロンティアを切り開くような仕事」をできる環境を整備できなかったことが、最大の敗因の一つです。

ラピダスは、2027年の2nm半導体量産化という野心的な目標に向けて前進していますが、技術的課題、資金調達、競合との差、組織運営など、多くの壁に直面しています。過去の「日の丸連合」の失敗を繰り返さず、真にフロンティアを切り開く企業となれるかどうかが、日本の半導体産業再興の鍵を握ります。

産学官の連携による人材育成の取り組みも進んでいますが、重要なのは単に人材を「供給」することではなく、その人材が本来の能力を発揮できる「場」を創出することです。五神氏が育てた優秀な人材たちが十分に活躍できなかった歴史を繰り返さないために、ラピダスには過去とは異なる、真に革新的な組織文化と戦略的ビジョンが求められています。

参考資料:

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