ラピダスが挑む半導体復権、7兆円投資の成否

by nicoxz

はじめに

日本の半導体産業が、かつての世界一の座を取り戻すための最後の挑戦に直面しています。その中核を担うのが、北海道千歳市に拠点を構えるラピダス株式会社です。官民合わせて7兆円という巨額の投資を背景に、2027年の量産開始を目指す同社の挑戦は、単なる企業プロジェクトを超えた国家戦略として位置づけられています。1988年に世界シェア50.3%を誇った日本の半導体産業は、2019年には10.0%まで縮小しました。ラピダスの東哲郎会長が「これを逃すと後はない」と強調するように、この挑戦は日本にとって半導体復権の最後の機会といえるでしょう。本記事では、ラピダスのプロジェクトの全貌、技術的な挑戦、そして実現に向けた課題を詳しく解説します。

ラピダスとは何か:日本半導体復権の切り札

プロジェクトの概要

ラピダスは2022年に設立された、次世代半導体の国産化を目指す半導体製造企業です。トヨタ、ソニー、NTTなど日本を代表する企業8社が共同で出資し、その後ホンダ、キヤノン、京セラ、千葉銀行など20社以上が新たに参画し、現在の株主は約30社に達しています。同社が目指すのは、回路線幅2ナノメートル(ナノは10億分の1)相当の次世代半導体の製造です。この2nm半導体は、従来の7nm技術と比較して45%高い性能と75%の消費電力削減を実現する革新的な技術とされています。

北海道千歳市に建設された製造拠点「IIM-1」では、2025年4月に試作ラインが稼働を開始しました。同年7月には2nmプロセスを用いたGAA(ゲート・オール・アラウンド)トランジスタの試作に成功し、2027年度後半の量産開始に向けて順調に歩を進めています。現在の従業員数は約1,000人ですが、量産開始時には2,000人体制に拡大する計画です。

IBM との戦略的提携

ラピダスの技術開発の核となるのが、米IBMとの戦略的提携です。2022年12月に発表されたこの提携により、ラピダスはIBMの2nmノード技術を導入し、共同開発を進めています。ラピダスは約150人のエンジニアをIBMのニューヨーク州オルバニーの研究開発拠点に派遣し、約400のテーマについて共同研究を実施しています。

この提携は単なる技術ライセンス契約ではなく、実際の量産技術の確立を目指した実践的な協力関係です。2024年12月の国際電子デバイス会議(IEDM)では、両社が共同で2nm半導体を設計通りの性能で動作させる核心技術の開発に成功したことを発表しました。これは日本が先端半導体製造技術を再び手にする上で、重要なマイルストーンとなりました。

7兆円投資の内訳と政府支援

官民の投資構造

ラピダスプロジェクトの総投資額は7兆円超に達する見込みで、これは単独の半導体プロジェクトとしては国内史上最大規模です。この投資は官民が協力して進められており、政府からの公的支援と民間企業からの出資が組み合わされています。

政府支援については、経済産業省が2026〜27年度に約1兆円を追加支援する方針を示しており、累計の支援額は2.9兆円に達する見通しです。具体的には、2026年度に約6,300億円の補助金に加え、情報処理推進機構(IPA)を通じて1,500億円以上を出資し、2027年度にはさらに約3,000億円を支援する計画となっています。

民間出資については、2025年度に1,300億円規模の資金調達にめどをつけており、新たに参画した企業群がラピダスの財務基盤を強化しています。量産開始後には株式上場も視野に入れており、市場からの資金調達も計画されています。

国家戦略としての位置づけ

このプロジェクトは、単独企業の事業展開を超えた国家戦略として位置づけられています。政府は2024年11月、今後10年間で10兆円以上のAI・半導体分野への公的支援を行う「AI・半導体産業基盤強化フレーム」を策定しました。この枠組みでは、官民合わせて50兆円超の投資を誘発し、160兆円の経済波及効果を見込んでいます。

ラピダスはこの戦略の中核プロジェクトとして、日本の半導体エコシステム全体の再構築を牽引する役割を担っています。北海道に形成される半導体産業集積は、材料、装置、後工程など関連産業の発展も促し、地域経済の活性化にも貢献すると期待されています。

日本半導体産業の栄枯盛衰

1980年代の栄光

日本の半導体産業は、1980年代に世界の頂点に立っていました。1988年には世界シェア50.3%を記録し、グローバル市場を支配していました。同年の半導体メーカー売上ランキングでは、トップ10社中6社が日本企業で占められ、NEC(1位)、東芝(2位)、日立製作所(3位)、富士通(6位)、三菱電機(8位)、松下電子工業(9位)が名を連ねていました。

この成功の背景には、垂直統合型のビジネスモデルがありました。日本企業は設計から製造まで一貫して手がけ、高品質な製品を安定的に供給できる体制を構築していました。また、通産省(現経済産業省)の産業政策によるサポートや、企業間の協調的な技術開発も成功の要因となりました。

韓国・台湾への敗北

しかし、1990年代以降、日本の半導体産業は急速に衰退します。2019年には世界シェアは10.0%まで低下し、かつての栄光は見る影もありませんでした。この衰退の最大の原因は、韓国や台湾との投資競争に敗れたことです。

韓国のサムスン電子やSKハイニックスは、DRAM分野で大規模な設備投資を継続的に行い、1990年代には日本メーカーを技術開発と量産の両面で追い越しました。台湾は1980年代に新竹サイエンスパークをアジアのシリコンバレーとして整備し、TSMC(台湾積体電路製造)のようなファウンドリー企業を育成しました。TSMCは現在、世界最大の半導体受託製造企業として君臨しています。

日本企業は、半導体製造に必要な巨額の継続的投資を維持できず、2000年代前半には先端開発から撤退しました。技術は停滞し、かつて世界をリードした日本の半導体産業は、周回遅れの状態に陥りました。

2027年量産に向けた課題

技術的ハードル

2nm半導体の量産は、技術的に極めて高いハードルを伴います。IBMが開発したGAA構造は、従来のFinFET構造と比較して製造プロセスが複雑で、歩留まりの向上が大きな課題となります。試作段階で成功したとしても、量産レベルで安定した品質と十分な生産量を確保するには、さらなる技術改良と製造ノウハウの蓄積が必要です。

また、2nm半導体の製造には最先端のEUV(極紫外線)露光装置が不可欠です。この装置はオランダのASML社がほぼ独占的に供給しており、1台あたり数百億円という高額な投資が必要です。ラピダスが計画通りに量産を開始するためには、これらの装置を確実に調達し、操作できる人材を育成する必要があります。

人材確保の難題

ラピダスプロジェクトの最大の課題の一つが、人材確保です。業界団体の電子情報技術産業協会(JEITA)は、今後10年間で主要8社だけで少なくとも4万人の追加人材が必要になると推計しています。ラピダス自体も、量産開始時に現在の1,000人から2,000人体制に拡大する計画ですが、先端半導体の設計・製造に精通した人材は国内に限られています。

特にソフトウェア人材の確保は深刻な課題です。現代の半導体開発では、ハードウェアとソフトウェアの協調設計が不可欠ですが、この分野の専門家は日本では母数が少なく、確保が困難です。人材不足は製造のチョークポイントとなる可能性があり、課題解決までに長い時間を要することから、積極的な対策が急務となっています。

エコシステムの再構築

半導体製造は、単独企業だけで完結するものではありません。材料、製造装置、設計ツール、後工程など、幅広いサプライチェーンが必要です。日本が半導体産業で競争力を取り戻すには、ラピダスを中心としたエコシステム全体の再構築が不可欠です。

北海道では、ラピダスの後工程(チップを電子基板に実装する工程)の試作ラインが2026年春に稼働予定で、地域に半導体産業の集積を形成する取り組みが進んでいます。また、九州ではTSMCの熊本工場が稼働を始めており、日本全体で半導体エコシステムを再構築する動きが加速しています。しかし、これらの取り組みが実を結び、国際競争力のあるエコシステムとして機能するかどうかは、今後の産官学連携の成否にかかっています。

注意点と今後の展望

実現性への懸念

ラピダスプロジェクトに対しては、期待と同時に懸念の声も存在します。最大の懸念は、2027年という極めてタイトなスケジュールで本当に量産が可能なのかという点です。半導体業界では、新しいプロセス技術の量産化には通常5〜7年程度かかるとされています。ラピダスは2022年に設立され、わずか5年で量産開始を目指しており、このスケジュールは業界標準から見ても極めて野心的です。

また、仮に技術的に量産が可能になったとしても、ビジネスとして成立するかどうかは別問題です。2nm半導体の主要顧客となるのは、AppleやNVIDIAなどの大手ファブレス企業ですが、これらの企業は既にTSMCやサムスンとの強固な関係を構築しています。ラピダスが市場に参入し、十分な受注を獲得できるかどうかは不透明です。

世界の半導体競争

半導体産業を巡る国際競争は激化しています。米国は半導体・科学法(CHIPSアクト)により520億ドルの補助金を投じて国内製造能力を強化しており、欧州も同様の政策を推進しています。中国も巨額の投資で自国の半導体産業を育成しようとしており、米中対立の中で技術覇権争いが繰り広げられています。

このような環境の中で、日本が単独で競争力を維持することは困難です。ラピダスの成功には、米国やヨーロッパの企業・研究機関との国際連携が不可欠であり、IBMとの提携はその第一歩といえます。今後、さらなる国際協力の枠組みを構築できるかどうかが、プロジェクトの成否を左右するでしょう。

人材育成への投資

人材不足の課題に対しては、産官学連携による人材育成の取り組みが始まっています。2025年6月には、経済産業省近畿経済産業局主導で「関西半導体人材育成等連絡協議会」が設立されました。また、次世代半導体の設計・製造を担うプロフェッショナル・グローバル人材の育成を目指し、LSTC(最先端半導体技術センター)が中心となった教育プログラムも展開されています。

これらの取り組みが実を結ぶには時間がかかりますが、長期的な競争力確保のためには不可欠です。大学や高専での半導体教育の充実、海外からの人材獲得、企業での実践的な研修など、多角的なアプローチが求められています。

まとめ

ラピダスによる2nm半導体の国産化プロジェクトは、日本の半導体産業復権をかけた最後のチャンスです。官民7兆円という巨額の投資、IBMとの戦略的提携、北海道でのエコシステム構築など、これまでにない規模と内容の取り組みが進んでいます。2025年の試作成功は重要なマイルストーンとなりましたが、2027年の量産開始に向けては、技術的ハードル、人材確保、ビジネス面での受注獲得など、多くの課題が残されています。

1988年に世界シェア50.3%を誇った日本の半導体産業が、再び国際競争力を取り戻せるかどうか。東哲郎会長が「これを逃すと後はない」と語るように、このプロジェクトの成否は日本の産業競争力の将来を大きく左右することになるでしょう。今後数年間のラピダスの歩みから目が離せません。

参考資料:

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