熱海の干物老舗×JTB「シェフ・イン・レジデンス」の挑戦
はじめに
静岡県熱海市で、創業160年超の干物の老舗「釜鶴(かまつる)」とJTBによる「シェフ・イン・レジデンス」実証事業が2026年2月19日にスタートしました。東京からシェフを招いて熱海に滞在させ、干物を使ったフレンチ・イタリアンのコースディナーを提供する取り組みです。
熱海は近年観光客の回復が目覚ましい一方で、「夕食難民」と呼ばれる深刻な課題を抱えています。夜に食事ができる場所が極端に少なく、宿泊客が食事場所に困る状況が続いています。この問題を「食」の力で解決しようとする挑戦の全容を解説します。
「Himono Dining かまなり」と釜鶴の歩み
5代目が拓いた干物の新境地
「Himono Dining かまなり」は、熱海の老舗干物店「釜鶴」の5代目が2023年に開業した干物を使った洋食レストランです。「干物の可能性を広げたい」という思いから、従来の焼き魚としての干物を超えた創作料理を提供しています。
店舗は熱海市銀座町に位置し、蒸す・燻す・揚げるなど多彩な調理法で干物の魅力を引き出しています。「ヒモノデリプレート」(1,900円)や「スモーク鯖バーガー」「ヒモノカレー」(各1,500円)といったメニューに加え、テイクアウトの「ヒモノ&チップス」も人気です。干物作り体験のワークショップコーナーや、源泉を利用した足湯も併設しています。
通常の営業時間は朝8時から夕方5時までで、ディナー営業は行っていませんでした。ここに、JTBとの連携による新たな挑戦が加わりました。
JTBとの連携——「シェフ・イン・レジデンス」とは
「シェフ・イン・レジデンス」とは、料理人が一定期間その地域に滞在し、地元の食材や文化に触れながら料理を提供するプログラムです。アーティスト・イン・レジデンスから着想を得た取り組みで、「住まうシェフ」とも呼ばれます。
JTBが2026年2月に開始した「熱海シェフ・イン・レジデンス『Himono Dining かまなり ─ Night Residence ─』」では、東京から招いたシェフが熱海銀座のゲストハウス「MARUYA」に滞在します。シェフは朝市を巡り、街を歩き、「今日の熱海」を感じた上で、その日のメニューに反映させます。カウンター越しに一皿一皿のストーリーを語りながら提供するスタイルです。
夕食難民問題と熱海の現実
「昼は賑わっても夜は閑散」の構造
熱海は東京から新幹線で約50分というアクセスの良さから、日帰り客が増加しています。しかし、その結果として「昼は賑わっても夜は閑散」という二極化が進んでいます。
コロナ禍以降、多くの飲食店が18時には閉店するようになりました。中小の高齢経営者が運営する宿では、料理人が離職したり体力的な問題で食事提供をあきらめたりするケースが相次ぎ、「泊食分離」(素泊まりプラン)が主流になりつつあります。
結果として、素泊まりで宿泊した観光客が夜に食事場所を見つけられない「夕食難民」が大量に発生しています。夜の熱海は「死んだ街」とも評され、わざわざ泊まる温泉地ではなくなりつつあるという指摘もあります。
全国の温泉地に共通する課題
この問題は熱海に限りません。越後湯沢では約50軒の宿泊施設のうち半数が素泊まりとなり、「予約していないとご飯が食べられない」という異常事態が報告されています。草津温泉でも繁忙期には夕食難民が発生しています。
背景には、経営者の高齢化、人手不足、コロナ禍による業態転換があります。泊食分離の流れは合理的な経営判断ですが、地域全体としてみると魅力の低下につながるジレンマを抱えています。
コースディナーの詳細と狙い
3つのコースで幅広い層に対応
「Himono Dining かまなり ─ Night Residence ─」では、3段階のコースを用意しています。カジュアルコースは5,500円(税込)、スタンダードフルコースは8,800円、1日1〜2組限定のスペシャルコースは14,300円からです。
メニューは「HIMONO Gastronomy」と題し、釜鶴の高品質な干物をフレンチやイタリアンの技法で再構築しています。伊豆の地魚や旬の野菜を組み合わせ、ソムリエが選んだワインとのペアリングも楽しめます。
営業期間は2026年2月19日から3月22日まで、18時から21時30分(ラストオーダー21時)、水曜定休です。
「食」を起点としたエリア開発
JTBがこの事業に取り組む背景には、「食を通じたエリア開発」という戦略があります。JTBは2023年にガストロノミーツーリズム推進を目的にフードプラットフォーム「byFood.com」を運営するテーブルクロス社に出資しており、食文化を活かした観光開発を加速させています。
今回の実証事業では、シェフ・イン・レジデンスモデルが飲食店の人手不足解消や空き店舗活用の有効な手段となるかを検証します。成功すれば、熱海の他のエリアへの展開や、全国の観光地における新たな観光マネジメントのモデルとなる可能性があります。
注意点・展望
「熱海の奇跡」の延長線上にある挑戦
熱海はかつてバブル崩壊後に衰退し、宿泊客数は2011年に246万人まで落ち込みました。しかし、市来広一郎氏が率いるmachimori社を中心とした民間主導のまちづくりにより、2018年には309万人までV字回復を遂げています。
空き店舗のリノベーション、ゲストハウス「MARUYA」の開業、コワーキングスペース「naedoco」の設立など、補助金に頼らない「熱海の奇跡」は全国的に注目されました。今回のシェフ・イン・レジデンス事業は、この流れの延長線上にあり、昼だけでなく夜の経済を活性化する次のステップです。
持続可能なモデルの構築が鍵
実証期間は約1か月と短く、この取り組みが持続可能なビジネスモデルとして成立するかは今後の課題です。シェフの滞在コスト、食材の調達、集客の安定性など、事業としての採算性をどう確保するかが問われます。
観光客向けの高単価ディナーだけでなく、地元住民も楽しめる価格帯や頻度を確保することが、真の「夕食難民」解消につながるでしょう。
まとめ
熱海の干物老舗「釜鶴」とJTBによる「シェフ・イン・レジデンス」は、観光地が抱える夕食難民問題に対する新しいアプローチです。伝統的な干物をフレンチ・イタリアンの技法で再解釈し、「一夜限りの食体験」として付加価値を生み出しています。
この取り組みが成功すれば、全国の温泉地や観光地が抱える「夜の空洞化」問題への解決策のモデルとなる可能性があります。食を起点とした地域活性化の最前線として、今後の展開に注目です。
参考資料:
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