二・二六事件と「歌人将軍」斎藤瀏――武と歌の狭間で
はじめに
1936年(昭和11年)2月26日未明、東京は季節外れの大雪に覆われていました。その雪の中を、陸軍皇道派の青年将校約20名が約1,500名の兵を率いて蜂起し、政府要人を次々と襲撃しました。世に言う「二・二六事件」です。この昭和最大のクーデター未遂事件の背後には、一人の異色の軍人がいました。予備役陸軍少将・斎藤瀏(さいとう りゅう)、当時56歳。軍人でありながら歌人としても知られ、「歌人将軍」と呼ばれた人物です。本記事では、二・二六事件の全容とともに、青年将校たちにほだされた斎藤瀏の実像に迫ります。
二・二六事件の背景と経過
皇道派と統制派の対立
二・二六事件を理解するには、当時の陸軍内部の深刻な派閥対立を知る必要があります。1930年代初頭、陸軍の高級幹部は大きく二つのグループに分かれていました。一つは荒木貞夫大将や真崎甚三郎大将を中心とする「皇道派」で、天皇中心の日本精神を重んじ、ソビエト連邦への対抗を主張していました。もう一つは永田鉄山少将を中心とする「統制派」で、総力戦理論に基づく中央集権的な軍事・経済体制の構築を目指していました。
両派の対立は1935年に激化します。皇道派の重鎮・真崎が教育総監を辞職させられると、同年8月、皇道派に共感する相沢三郎中佐が統制派の中心人物・永田鉄山を陸軍省内で斬殺する「相沢事件」が発生しました。この事件は青年将校たちの危機感を一層煽ることになります。
社会的背景と青年将校の動機
事件の根底には、深刻な社会問題がありました。第一次世界大戦後の不況、政財界の腐敗、そして特に東北地方の農村を襲った構造的な貧困です。都市労働者の困窮も著しく、政党政治への不信感が広がっていました。多くの青年将校は農村出身の兵士たちの窮状を目の当たりにし、「昭和維新」を掲げて国家改造を志すようになりました。彼らは天皇親政による政治の刷新を理想とし、財閥や政党政治家、軍上層部の「君側の奸」を排除することで、天皇を中心とした理想国家を実現しようとしたのです。
雪の朝の蜂起
1936年2月26日午前5時頃、栗原安秀中尉、安藤輝三大尉、野中四郎大尉らが率いる部隊は、一斉に行動を開始しました。歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊などから動員された兵士たちは、首相官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞社などを占拠しました。同時に、複数の部隊が政府要人や重臣の官邸・私邸を襲撃しています。
斎藤實内大臣は全身に40数発の銃弾を浴びて即死し、かばおうとした夫人も重傷を負いました。高橋是清大蔵大臣は拳銃で撃たれた上に軍刀でとどめを刺されました。渡辺錠太郎教育総監も殺害され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負いました。一方、岡田啓介首相と牧野伸顕前内大臣は辛うじて難を逃れています。
天皇の激怒と事件の終結
青年将校たちは、天皇が自分たちの行動を理解し「昭和維新」の大号令を下すことを期待していました。しかし、昭和天皇はこの蜂起に激怒しました。天皇は自ら「近衛師団を率いて鎮圧するも辞さず」との意向を示し、叛乱の鎮圧を命じます。2月29日、青年将校たちは下士官・兵を原隊に帰還させ、一部は自決しましたが、大半は投降しました。その後、特設軍法会議による一審制の裁判が行われ、首謀者の将校たちと民間思想家の北一輝らに死刑判決が下されました。
「歌人将軍」斎藤瀏の実像
軍人と歌人の二つの顔
斎藤瀏は1879年(明治12年)、長野県北安曇郡七貴村(現・安曇野市)に旧松本藩士の四男として生まれました。1901年に陸軍士官学校を卒業して歩兵少尉に任官し、1904年には日露戦争に従軍して負傷、功五級金鵄勲章を受けています。その後、陸軍大学校を卒業し、1927年に陸軍少将に昇進しました。
斎藤が歌の道に入ったのは日露戦争の従軍中のことです。戦場で短歌を詠み始め、帰国後に歌人・佐佐木信綱に手紙を送って入門を請いました。竹柏会の歌誌『心の花』で師事し、その歌は明治天皇の目にも留まったと伝えられています。「生涯歌はやめぬ」と決意した斎藤は、軍務の傍ら歌を詠み続け、1929年には歌集『霧華』を刊行しました。軍人としての峻厳さと、歌人としての繊細な感性を併せ持つ稀有な存在として、やがて「歌人将軍」と呼ばれるようになります。
青年将校との交わり
1928年の山東出兵で歩兵第11旅団長として済南事件に関わった斎藤は、その後の処分で待命となり、1930年に予備役に編入されました。現役を退いた後も、陸軍内の皇道派の将校たちとの交流は続いていました。とりわけ、首謀者の一人である栗原安秀中尉とは家族ぐるみの付き合いがあったとされています。
栗原安秀は1908年、島根県松江市に生まれ、歩兵第1連隊付の中尉として皇道派青年将校の中心的存在となった人物です。「反乱将校中第一の急進論者」とも評され、二・二六事件では機関銃隊を率いて首相官邸を襲撃しました。栗原はかねてから斎藤瀏を「おじさん」と慕い、斎藤の家族とも親しい関係にあったのです。
事件への連座と獄中の日々
二・二六事件において、斎藤瀏は青年将校たちに資金を提供し、事件中も栗原安秀らと電話で頻繁に連絡を取り合っていたことが記録に残っています。1987年に発見された電話傍受の録音には、事件終結直前の2月29日未明に栗原が首相官邸から斎藤に電話をかけ、軍による討伐が迫っていることを告げる通話が記録されていました。
斎藤瀏は「終始一貫青年将校の味方であり、節を変へなかつたただ一人の人物」と評されています。叛乱協力者として逮捕された斎藤は、禁錮5年の刑を受けて入獄しました。栗原安秀には死刑判決が下され、判決直後、獄中で栗原は斎藤にメモを送っています。そこには「おわかれです。おじさん最後のお礼を申します。史さん、おばさんによろしく クリコ」と記されていました。「史さん」とは斎藤の長女・斎藤史のことであり、「クリコ」は栗原の愛称です。この短い言葉に、両者の深い絆がにじんでいます。
父から娘へ――歌人・斎藤史の誕生
事件が変えた歌の道
斎藤史は1909年(明治42年)、東京市四谷区に生まれました。17歳のとき、歌人・若山牧水に勧められて短歌を始め、18歳から父と同じ『心の花』に作品を発表するようになります。初期の斎藤史は、前衛的で想像力豊かな歌風で注目を集めていました。
しかし、1936年の二・二六事件は彼女の歌人人生を根底から変えることになります。父が連座して投獄され、親しい青年将校たちが処刑されるという壮絶な体験を経て、斎藤史の歌は鋭く時代を見つめるものへと変貌していきました。「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」(暴力がこのように美しい世に住んで、一日中歌う私の子守唄)という一首は、事件の衝撃を受けて詠まれたものとして知られています。
昭和を代表する女流歌人へ
1938年に出獄した父・斎藤瀏は、1939年に歌誌『短歌人』を創刊・主宰し、歌の道に本格的に専念しました。娘の斎藤史もまた、歌を生涯の仕事として歩み続けます。
斎藤史は1940年に第一歌集『魚歌』を刊行し、その後も『朱天』(1943年)、『うたのゆくへ』(1953年)、『密閉部落』(1959年)と歌集を重ねました。1977年には『ひたくれなゐ』で第11回迢空賞を受賞し、1986年には『渉りかゆかむ』で第37回読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞しています。1993年には女性歌人として初めて日本芸術院会員に選ばれ、1997年には宮中歌会始の召人を務めました。2002年に93歳で亡くなるまで、昭和から平成にかけての日本歌壇を代表する存在であり続けたのです。
事件の歴史的意義と現代への示唆
二・二六事件は単なる軍事クーデター未遂にとどまらない、日本の近代史における重大な転換点でした。事件後、岡田内閣は総辞職し、後継の広田弘毅内閣のもとで軍部の政治的影響力が飛躍的に増大しました。軍部大臣現役武官制が復活し、軍が内閣の命運を左右する時代が本格化します。結果として、日本は日中戦争から太平洋戦争へと突き進む道を歩むことになりました。
一方で、斎藤瀏と青年将校たちの関係は、理想と暴力の危うい接点を示しています。歌を愛し、文化人としての顔を持つ知識人が、なぜ武力蜂起に加担したのか。そこには、社会的不正義への憤りと、若い理想主義者たちへの共感という、時代を超えた人間的な問題が横たわっています。暴力による変革の誘惑に対して、私たちは常に冷静な判断力を保つことが求められます。
まとめ
二・二六事件から90年が経とうとしています。「歌人将軍」斎藤瀏の物語は、武と文、理想と現実、世代を超えた絆と悲劇が交錯する、昭和史の一断面です。56歳の予備役少将が青年将校たちの情熱にほだされ、人生を賭してしまった経緯は、歴史の持つ複雑さと人間の弱さを物語っています。そして、事件の衝撃を受け止めた長女・斎藤史が日本を代表する歌人へと成長していった事実は、悲劇の中からも文学が生まれ得ることを教えてくれます。歴史を学ぶことは、同じ過ちを繰り返さないための最良の手段です。
参考資料
- 斎藤瀏 - Wikipedia
- 斎藤史 - Wikipedia
- 二・二六事件 - Wikipedia
- 栗原安秀 - Wikipedia
- 斉藤瀏 - 安曇野ゆかりの先人たち(安曇野市公式ホームページ)
- 栗原安秀 - コトバンク
- 二・二六事件(事件の概要) - 奥州市公式ホームページ
- 二・二六事件 - ジャパンナレッジ
- February 26 incident - Wikipedia(英語版)
- February 26 Incident - Britannica
- 短歌人会とは - 短歌人
- 書評「もう一人の昭和維新 歌人将軍 斉藤瀏の二・二六」(note)
- 昭和11年(1936)2月 二・二六事件 - 国立公文書館
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