世界の軍事費が過去最大400兆円、欧州急拡大の背景
はじめに
英シンクタンクの国際戦略研究所(IISS)が2026年2月24日に公表した「ミリタリー・バランス2026」によると、2025年の世界の軍事費総額は名目ベースで前年比7%増の2兆6091億ドル(約400兆円)に達し、過去最大を更新しました。
特に注目すべきは欧州の動きです。トランプ米政権が「ドンロー主義」と呼ばれる西半球最優先の外交方針を打ち出したことで、米国の欧州への安全保障関与が低下。ロシアの軍事的脅威に直面する欧州諸国は、自力での防衛力強化を迫られ、軍事費を21%増の5629億ドルに急拡大させました。本記事では、世界の軍事費増大の構造と各地域の動向を詳しく解説します。
欧州の防衛費急拡大とその構造
ドイツが牽引する欧州軍拡
欧州の軍事費増加を最も強く牽引しているのがドイツです。ドイツの防衛費は2025年に1070億ドルに達し、前年の860億ドルから約24%増加しました。この金額は世界第4位の規模であり、欧州全体の増加額の約4分の1をドイツ1国が占めています。
ドイツは2024年まで防衛費がGDP比2%に届いていませんでしたが、憲法を改正して「債務ブレーキ」を緩和し、GDP比1%を超える防衛費については借り入れで賄えるようにしました。2026年度の安全保障・防衛関連予算は1080億ユーロを超える規模が計画されています。ベルギー、北欧諸国、スペインなども大幅な増額を実施しています。
NATO目標の引き上げ
欧州のNATO加盟国の防衛費は平均でGDP比2.16%に達しました。しかし、2025年6月のNATO首脳会議では、2035年までに防衛費をGDP比5%に引き上げるという新目標が正式に決定されています。これはトランプ政権が非公式に求めてきた水準であり、従来のGDP比2%目標から大幅に引き上げられた形です。
フランスもマクロン大統領が2026年に35億ユーロ、2027年にさらに30億ユーロの防衛予算の追加を表明しています。欧州全体が「自国の防衛は自国で担う」という方向に大きくかじを切りつつあります。
「ドンロー主義」が変える安全保障の構図
モンロー主義の現代版
トランプ政権が掲げる「ドンロー主義」とは、19世紀のモンロー主義(欧州と米州の相互不干渉)をもじった造語です。トランプ大統領の名前「ドナルド」とモンロー主義を組み合わせたもので、米国が西半球の支配的地位を最優先する外交方針を示しています。
ただし、歴史上のモンロー主義が「相互不干渉」を掲げたのとは異なり、ドンロー主義はより攻撃的な性格を持ちます。グリーンランドの取得への意欲やベネズエラへの強硬姿勢に象徴されるように、米国の利益に脅威を与える国や問題に対しては積極的に介入する権利を主張しています。
欧州が迫られた自立
この方針転換の影響を最も強く受けたのが欧州です。トランプ政権は2025年3月にウクライナへの軍事援助の「一時停止」を発表するなど、欧州防衛への関与を明確に縮小させました。第二次世界大戦後、米国がNATOを通じて提供してきた安全保障の傘が揺らぐ中、ロシアの脅威に直面する欧州諸国は、独自の防衛力構築を急いでいます。
フォン・デア・ライエンEU委員長は大幅な軍事費拡大を提案し、EU全体の防衛政策は新たな段階に入りました。欧州にとって軍事費の増加は選択ではなく、生存のための必然となっています。
地域別に見る軍事費の動向
アジア太平洋:中国が地域の44%を占有
アジア太平洋地域では中国の軍事費拡大が突出しています。中国は地域全体の防衛費の44%を占め、過去10年の平均37%から大幅に拡大しました。2025年の中国の国防費は前年比7.2%増の約2930億ドルと推定されています。
人民解放軍海軍は3隻目の空母「福建」を就役させ、2021年から2025年の間に10隻の新型原子力潜水艦を進水させるなど、海軍力の増強を加速しています。こうした中国の軍拡は、周辺諸国の防衛費増加を連鎖的に引き起こしています。
日本の防衛費も2024年に前年比21%増と大幅に拡大し、2025年度の防衛予算は関連経費を含めて約9.9兆円、GDP比1.8%に達しています。
中東:GDP比4.3%の高水準
中東・湾岸地域の防衛費は2025年に2190億ドルに達しました。各国のGDP比は平均4.3%と、世界で最も高い水準にあります。イランの核問題やイスラエルをめぐる緊張、イエメン情勢の不安定化など、地域の安全保障環境が軍事費を押し上げています。
ロシア:戦時体制で急膨張
ロシアの軍事予算は2025年に約1090億ドルと推定され、2021年水準から68%増という急激な膨張を見せています。ウクライナ侵攻の長期化に伴い、国家予算の約3分の1を軍事費に充てる戦時体制が続いています。
注意点・展望
世界的な軍拡競争にはいくつかの構造的な問題があります。IISSは、欧州において「調達改革の遅れと限定的な産業能力が、生産の拡大と防衛力の強化を制約している」と警告しています。特にNATOの東側面における防空・ミサイル防衛などの重要分野で、装備品の調達が需要に追いついていない状況です。
軍事費の増大は各国の財政を圧迫するリスクもあります。欧州諸国がGDP比5%の目標を達成するには、社会保障や教育への支出を削減するか、大規模な財政赤字を受け入れる必要があります。ドイツの債務ブレーキ緩和はその象徴的な例です。
今後の焦点は、欧州がこの急速な軍事費増加を持続可能な防衛力の構築に結びつけられるかどうかです。単に予算を増やすだけでなく、防衛産業の生産能力拡大、共同調達の促進、技術開発への投資といった構造改革が不可欠です。
まとめ
2025年の世界軍事費は約400兆円と過去最大を更新しました。最大の変化は欧州です。トランプ政権の「ドンロー主義」による米国の関与低下とロシアの脅威を受け、欧州は防衛費を21%増と急拡大させ、NATOではGDP比5%という新目標を掲げるに至りました。
アジアでは中国の軍拡が地域全体の緊張を高め、中東では地政学リスクが高水準の軍事支出を維持させています。世界的な安全保障環境の変化は構造的であり、軍事費の増大傾向は今後も続く見通しです。各国にとっては、限られた財源の中で「どこに、どれだけ投資するか」という戦略的な判断がますます重要になっています。
参考資料:
- Rising tensions drive global defence spending to record $2.63 trillion
- Global military spending rises to record €2.23 trillion in 2025
- Europe ramps up defense spending to 21% of global total, led by Berlin
- Global defence spending continues to grow amid geopolitical uncertainty - IISS
- NATO defense spending: Tracking the numbers - McKinsey
- Trump’s Five Percent Doctrine and NATO Defense Spending - PIIE
- トランプ「ドンロー主義」は欧州や東アジアの秩序を変える - ダイヤモンド・オンライン
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