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by nicoxz

はるな愛映画This is Iが映すトランスジェンダー現在地

by nicoxz
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はじめに

Netflix映画『This is I』は、タレントのはるな愛さんをモデルにした実話ベースの作品です。作品の中心にあるのは、芸能界で成功した人物の華やかな歩みだけではありません。幼少期から性別への違和感を抱え、偏見や孤独に向き合いながら生きた個人史と、その時代に性別適合手術へ向き合った医師の物語です。

この題材がいま重要なのは、日本社会の制度と意識が大きく動いている最中だからです。2023年には戸籍上の性別変更を巡る最高裁判断があり、同じ年には理解増進法も施行されました。一方で、職場や日常の言葉づかいにはなおギャップが残ります。この記事では、映画『This is I』を入り口に、日本のトランスジェンダーを巡る環境の現在地を整理します。

映画が掘り起こした個人史と時代背景

実話映画としての構図

Netflix公式発表によると、『This is I』は、はるな愛さんと医師の和田耕治氏の実話をもとにした作品です。主人公は幼い頃から「本当の自分とは何か」に悩み、世間の冷たい視線に苦しみながらも夢を手放さなかった人物として描かれています。和田医師は、Netflixの紹介で「600人以上の性別適合手術を執刀」した存在とされ、作品は当事者と医療者の双方を軸に組み立てられています。

興味深いのは、制作側がこの作品を単なる社会問題の説明としてではなく、「ひとりの人間の物語」として打ち出している点です。WIRED JAPANの取材では、Netflix側の担当者が、LGBTQ+の話題が政治的対立の材料として扱われがちなことへの違和感を語っています。そのうえで、多様性という抽象語ではなく、人生の物語として描くことに注力したと説明しました。論点を制度論だけに閉じず、個人の尊厳と選択に引き戻そうとする姿勢が見えます。

配信後の受け止めも一定の広がりを見せました。Lmaga.jpは、2026年2月10日の配信開始後、この作品が日本の週間TOP10〈映画〉で一時1位になったと伝えています。娯楽作品として広く届いたことは、このテーマが一部の当事者だけの話ではなく、一般の視聴者が共有する公共的な話題へ移っていることを示します。

タブー視された医療と芸能の交差点

ただし、映画が描く時代背景を現在の感覚で単純化すると、本質を見落とします。Netflix公式の紹介文は、和田医師とはるな愛さんの歩みを「当時タブーとされていた性別適合手術の扉を開いた」実話として位置づけています。つまり作品の核には、自己表現の自由だけでなく、医療へのアクセスそのものが社会的な偏見の対象だった時代があります。

この点は、はるな愛さんの芸能活動の見え方とも関係します。テレビでは明るく親しみやすいキャラクターとして知られていても、その背後で本人が抱えていた違和感や、医療と法制度の壁は長く可視化されてきませんでした。Lmaga.jpの取材で、はるな愛さんは小中学校時代に「自分は何者かなって思う時」があったと振り返っています。笑いに支えられたという言葉は象徴的ですが、裏を返せば、公的制度や学校環境が十分な支えになっていたわけではないことも読み取れます。

映画が意味を持つのは、この見えにくかった時間を物語として可視化したからです。個人の成功談に還元せず、社会が何を見落としてきたのかを問う材料になっています。

制度前進と残る生活上の壁

最高裁判断と理解増進法の現在地

制度面では、日本は確かに前進しています。裁判所の案内ページによると、戸籍上の性別変更に関する制度では、もともと6つの要件が示されていました。そのうち5番目の「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」について、裁判所は2023年10月25日付の最高裁大法廷決定で、憲法13条に違反し無効との判断が示されたと明記しています。長く批判されてきた手術要件の一部が崩れた点は、明確な転換点です。

一方で、制度が一気に完成したわけではありません。内閣府の説明では、2023年施行の「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」は、理解増進を目的とする理念法です。内閣府Q&Aでも、同法の施行によって国民が新しい権利を取得したり義務を負ったりするものではなく、差別禁止規定を設けた法律でもないと整理されています。

ここが誤解されやすい点です。理解増進法は前進ですが、包括的な差別禁止法ではありません。最高裁判断も重要ですが、法的性別変更に関する議論全体が解決したわけでもありません。つまり日本の制度は、かつてより進んだが、生活上の不利益を広く解消する段階までは到達していないというのが現状です。

職場対応と日常会話に残るギャップ

生活実感との距離は、職場のルールと日常の行動を見るとさらに明瞭です。厚生労働省は、職場のセクシュアルハラスメントについて、相手の性的指向または性自認にかかわらず該当し得ると説明しています。さらに、「ホモ」「オカマ」「レズ」などを含む言動は、セクシュアルハラスメントの背景にもなり得ると明示しています。行政の基準上、こうした言葉は単なる冗談ではなく、就業環境を害し得るものとして扱われています。

それでも、社会の意識と行動には差があります。電通グループの「LGBTQ+調査2023」では、57,500人を対象としたスクリーニング調査でLGBTQ+当事者層の割合は9.7%でした。非当事者層の84.6%が、職場や学校でカミングアウトされたらありのまま受け入れたいと答え、84.5%が自分らしくいてほしいと回答しています。表面的な受容意識は高いと言えます。

ただし、行動面では差が大きいです。同調査では、性別を特定しない言葉を使うようにしている人は17.1%にとどまり、差別的言動を目の前で見たときに話題を変えたり注意したりする人も36.7%でした。受け入れたいという気持ちはあっても、実際の言動や職場文化の修正まで踏み込める人はまだ限られます。映画が広く見られる意義もここにあります。制度改正だけでは届きにくい生活感覚の更新に、物語が働きかける余地があるからです。

注意点・展望

このテーマで避けたい誤解は二つあります。第一に、作品がヒットしたことをもって、日本社会が十分に変わったと見なすことです。可視化が進むことと、困難が解消することは別です。法制度、学校、職場、家族関係のそれぞれに課題が残ります。

第二に、論点を医療の話だけに縮めることです。映画の発端には性別適合手術を巡る歴史がありますが、現在の当事者が直面する問題は、戸籍、採用、ハラスメント、言葉づかい、地域での暮らしまで広がっています。内閣府が理解増進法の目的を「寛容な社会の実現」と整理し、厚労省が職場での言動に具体的な注意を促しているのは、この問題が生活全体にまたがるからです。

今後の焦点は、司法判断の積み重ねだけでなく、企業や学校が具体的にどう運用を変えるかに移ります。電通調査では、LGBTQ+関連の取り組みを行う企業に対し、全体の約6割が働きたい意向を示しました。包摂的な環境整備は、権利保障だけでなく、人材確保や組織の信頼にも直結する論点になりつつあります。

まとめ

『This is I』が映しているのは、はるな愛さん個人の半生だけではありません。性別違和を抱える人が社会からどう見られ、医療や法制度がそれにどう応じてきたかという、日本社会の変化そのものです。最高裁判断や理解増進法で前進はありましたが、日常の言葉や職場文化まで含めると、課題はまだ続いています。

だからこそ、この映画は「感動作」で終わらせず、現在地を確かめる材料として受け取る価値があります。作品をきっかけに、制度の変化と生活実感のずれを一緒に見ることが、次の前進につながります。

参考資料:

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