日立が生成AIで熟練の知恵を継承、若手が即戦力に
はじめに
日本の製造業が直面する最大の課題の一つが、熟練技術者の退職に伴う技術やノウハウの消失です。長年の経験で培われた「暗黙知」は、マニュアルだけでは伝えきれない貴重な知的資産ですが、団塊世代の大量退職とともに急速に失われつつあります。
この課題に対し、日立製作所が画期的なアプローチを打ち出しています。大みか事業所(茨城県日立市)で、ベテラン技術者の暗黙知を生成AIに取り込み、入社2年目の若手社員でもベテラン並みの判断ができる仕組みを構築しました。本記事では、この取り組みの詳細と、製造業におけるAI活用の最新動向を解説します。
大みか事業所での生成AI導入——その全貌
社会インフラを支える拠点での挑戦
日立製作所の大みか事業所は、電力、鉄道、上下水道など社会インフラ向けの情報制御システムを開発・提供する重要拠点です。ここで開発される列車運行管理システムは、ダイヤの乱れが生じた際に迅速な回復に向けた予測ダイヤを指令員に提示するなど、高い信頼性と品質が求められます。
こうしたシステムの品質保証業務には、過去のトラブル事例や対処法に関する膨大な知識が必要です。しかし、その知識の多くはベテラン技術者の経験と勘に依存しており、体系的に共有されていませんでした。
暗黙知を形式知に変換する仕組み
日立は2024年10月から2025年3月にかけて、鉄道システムを対象とした実証実験を実施しました。過去のトラブル対応記録やベテラン技術者の知見を生成AIに読み込ませ、品質保証業務を支援するAIエージェントを構築したのです。
このAIエージェントは、暗黙知と形式知の変換プロセスに「SECIモデル」を活用しています。具体的には、ベテラン技術者の暗黙知を形式知として「表出化」し、既存のドキュメントと照合して体系化します。そして、この拡張された形式知を持つAIエージェントが若手技術者のコパイロット(伴走者)となり、効率的な知識の継承とトレーニングを支援するのです。
分析時間8割以上の削減を達成
実証実験の成果は目覚ましいものでした。生成AIを活用した特徴量抽出・分析により、トラブル発生時の分析時間が8割以上削減されました。さらに、顧客への初報レポートのドラフト自動生成により、レポート作成時間も8割以上の短縮を実現しています。
これにより、入社2年目の若手社員でも、AIの支援を受けることでベテラン技術者に近い水準の対応が可能になりました。熟練者の過去のトラブル対応記録へのアクセスが容易になり、組織全体でのナレッジ共有が飛躍的に進んだのです。
日立グループ全体に広がるAI活用
AIエージェント「Naivy」による現場支援
日立の取り組みは大みか事業所にとどまりません。日立製作所と子会社の日立プラントサービスは、生産現場向けのAIエージェント「Frontline Coordinator - Naivy」を共同開発しました。このシステムは、生産現場で必要な知見やノウハウをメタバース上で可視化し、非熟練者に伝授する機能を持っています。
Naivyの特徴的な点は、現場の作業者とAI、あるいは熟練技術者とのやり取りのログもナレッジとして蓄積していく「学習する仕組み」を備えていることです。使えば使うほど、AIの知識が充実していく設計になっています。
年間130万件のナレッジを活用
日立システムズでは、エレベーターや建物設備の保守業務に生成AIを実用化しています。年間130万件にも及ぶ蓄積した現場ナレッジと生成AIを組み合わせた業務支援アプリケーションを開発し、保守エンジニアの技術継承と業務効率化を同時に実現しています。保守問い合わせAIの精度は約8割に達し、初動判断が大幅に高速化されました。
ノウハウ消失リスクへの包括的対策
日立製作所は「ノウハウ視える化・継承ソリューション」の提供も開始しました。企業の実務ノウハウを「技術」「業務」「プロセス」「人的コネクション」の4つに分類して可視化し、属人化や消失リスクを低減します。生成AIを活用して定着度の確認や教育支援も行い、組織的なナレッジマネジメントを実現しています。
製造業AI活用の最前線——他社の動向
トヨタ・JFEスチールの取り組み
日立以外の日本の製造業大手も、AI活用による技術継承に積極的です。トヨタ自動車はMicrosoftと共同で生成AIエージェントシステム「O-Beya(大部屋)」を開発し、パワートレーン開発部門に導入しています。過去の設計データや技術文書、ベテランエンジニアの著書までをデータベース化し、約800名のエンジニアが活用しています。
JFEスチールでは、膨大な過去の技術資料や報告書をAIでナレッジ化し、若手社員でも過去の知見を自然言語で検索して迅速に問題解決できる仕組みを構築しました。従来は何年もかかっていた技術習得期間が、AIのサポートにより大幅に短縮された事例も報告されています。
今後の展望と課題
2026年度以降の拡大計画
日立の大みか事業所では、2026年度に鉄道システム以外の電力や上下水道など、事業所全体の品質保証業務にAIエージェントの適用範囲を拡大する計画です。品質保証部門にとどまらず、システム開発のあらゆる工程への適用も視野に入れています。
また、日立は2025年3月より「AIエージェント開発・運用・環境提供サービス」の販売を開始しており、建設、輸送、電力、ガス、鉄道などの現場で働くフロントラインワーカー向けに、熟練者のノウハウを取り込んだカスタムAIエージェントを提供しています。
AIは人を代替するのではなく成長を支援する
注目すべきは、日立のアプローチが「AIによる人の代替」ではなく「AIによる人の成長支援」を目指している点です。AIはあくまでベテランの知恵を若手に橋渡しするツールであり、最終的な判断は人間が行います。AIとの対話を通じて若手が自らの暗黙知を形成していく、という長期的な人材育成の視点が組み込まれているのです。
まとめ
日立製作所の大みか事業所での取り組みは、製造業が抱える技術継承問題に対する有力な解決策を示しています。生成AIを活用してベテランの暗黙知を形式知に変換し、若手社員の即戦力化を実現するこのアプローチは、分析時間8割削減という具体的な成果を上げています。
日本の製造業全体で熟練技術者の退職が加速する中、AIによるナレッジの体系化と継承は今後ますます重要性を増すでしょう。自社の技術的なノウハウがどこに蓄積されているかを把握し、AI活用による知識の共有体制を検討することが、企業の競争力維持に直結する時代が到来しています。
参考資料:
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