イラン人は本当に狂信的か?知られざる個人主義社会の実像
はじめに
「イラン」と聞くと、多くの人はテレビで見る反米デモや、厳格なイスラム体制のイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、イラン現代文学を専門とする藤元優子・大阪大学名誉教授をはじめとする研究者たちは、こうした「狂信的で抑圧的なイスラム世界」というイメージが、実際のイラン社会とは大きくかけ離れていると指摘しています。
実は、イランは世界でも類を見ない「個人主義大国」としての顔を持ち、市民は海外の文化に積極的に親しみ、独立心と社交性を兼ね備えた人々が暮らす社会です。本記事では、ステレオタイプの裏にあるイラン社会の実像に迫ります。
「狂信的」イメージはなぜ生まれたのか
メディア報道が作るイラン像
テレビのニュースでは、米国やイスラエルへの敵意をむき出しにし、激しい言葉で報復を訴えるイラン人の姿がしばしば映し出されます。1979年のイラン革命以降、西側メディアは40年以上にわたり、黒い衣装に身を包んだ女性や街頭デモの映像を繰り返し報じてきました。
しかし、こうした映像はイラン社会のごく一部を切り取ったものにすぎません。英国の異文化理解を推進する団体SIETARは、イランに関する「致命的なステレオタイプ」として、「イラン人は宗教的狂信者である」「イランはアラブの国である」といった誤解を挙げています。実際には、イランはペルシャ語を話す非アラブの国であり、市民の宗教観も一枚岩ではありません。
政治体制と市民社会のギャップ
イランの政治体制は確かにイスラム法に基づく統治を行っています。しかし、政府の公式な姿勢と、8,800万人を超える国民の日常生活には大きな隔たりがあります。米国イラン評議会(American Iranian Council)の調査によると、イラン人は西洋文化に対して強い関心を持っており、政府の公式的な反西側の姿勢とは裏腹に、市民レベルでは活発な文化交流が行われています。
「群れない社会」に見るイランの個人主義
日本とは対極の社会構造
アジア経済研究所の岩崎葉子氏は、著書『「個人主義」大国イラン―群れない社会の社交的なひとびと』の中で、イラン社会の本質を鮮やかに描き出しています。岩崎氏によれば、イランでは「組織に属し従うことが当たり前」という日本の常識がまったく通用しません。
イラン人はみな独立独歩を好み、勤め人であっても意識は常にフリーランスです。行き詰まればいつでも転身し、同調圧力などどこ吹く風で、一国一城の主としてそれぞれ我が道を進みます。それでいて社会はきちんと機能しているのです。
群れないけれど孤独ではない
ここで重要なのは、イランの個人主義が「孤立」を意味しないという点です。米国の学術誌に掲載された研究でも、イランにおいて個人主義的価値観と集団主義的価値観は両立可能であることが示されています。
イラン人は群れることを好みませんが、社交性は極めて高いのが特徴です。おしゃべりを愛し、猛烈な交渉力を発揮し、緊密な人間関係のネットワークを築きます。バザール商人のつながり、拡大家族の絆、宗教コミュニティのネットワークなど、個人の独立性と社会的な紐帯が共存する独特の社会構造が形成されています。
海外文化を楽しむイランの若者たち
K-POPの熱狂的なファン層
イランの若者文化を語る上で欠かせないのが、韓国のポップカルチャーの浸透です。イラン政府は西洋メディアや音楽に対する規制を敷いていますが、K-POPはオンラインプラットフォームやSNSを通じてイランの若者の間に確固たる地位を築いています。
2025年にはイランの文化大臣が、若者のK-POP人気の高まりに懸念を表明するほどの社会現象となりました。言葉遣い、ファッション、メイク、音楽の好み、さらにはキャリアの志向にまで、韓国文化の影響が及んでいるとされています。
トルコドラマとグローバルなエンタメ消費
トルコのテレビドラマも、イランで絶大な人気を誇っています。政府に禁止された衛星放送を通じて視聴されるトルコドラマは、男女を問わず多くのイラン人に愛されています。トルコ語を学ぶイラン人が増えるなど、文化的な影響は言語習得にまで波及しています。
こうした海外コンテンツの消費は、イラン人が決して閉鎖的ではなく、むしろ積極的に外の世界とつながろうとしていることを示しています。
VPNで世界とつながる若者たち
イラン政府はインターネットの厳しい規制を行っていますが、若者たちはVPN(仮想プライベートネットワーク)を駆使してこれを回避しています。2024年の調査では、30歳未満のイラン人の93.8%がVPNなどの検閲回避ツールを使用しているという驚くべき数字が報告されています。
2024年2月にはVPNの無許可使用が犯罪化されましたが、それでもなお若者たちはInstagramやTelegramを通じて世界の情報にアクセスし続けています。Instagramは友人とのコミュニケーションだけでなく、手工芸品やケーキの販売など、小規模ビジネスのプラットフォームとしても活用されています。
千年の教養が息づくペルシャ文化
詩を愛する国民性
イラン社会を理解するうえで忘れてはならないのが、ペルシャ文学の伝統です。ペルシャ語による文学は10世紀にまで遡り、千年以上の歴史を誇ります。14世紀の詩人ハーフェズは、イランで最も敬愛される文学者であり、その抒情詩集はドイツの文豪ゲーテにも影響を与え、28以上の言語に翻訳されています。
現代のイラン人も日常的に詩を引用し、文学的な教養は社会の根幹に深く根付いています。藤元優子・大阪大学名誉教授は、イラン現代文学の研究を通じて、特に女性作家たちの豊かな表現活動にも光を当てています。
イスラム以前からの多層的な文化
イランの文化はイスラムだけで説明できるものではありません。紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャに始まる古代文明、ゾロアスター教の伝統、イスラム文明との融合、そしてモンゴル帝国やサファヴィー朝を経て形成された多層的な文化遺産があります。こうした歴史的な厚みが、単純な「イスラム国家」というレッテルでは捉えきれないイラン社会の複雑さと豊かさを生み出しているのです。
注意点・展望
よくある誤解を避けるために
イラン社会を理解する際に注意すべき点がいくつかあります。まず、イランをアラブ諸国と混同しないことです。イラン人はペルシャ語を話し、独自の文化的アイデンティティを強く持っています。また、政府の立場と市民の考えを同一視しないことも重要です。
さらに、イランの個人主義を西洋的な個人主義と同じものと考えるのも正確ではありません。イランの個人主義は、社交性や家族の絆と共存する独特のものであり、文化的文脈の中で理解する必要があります。
今後の日本とイランの関係
日本はイランと伝統的に良好な関係を維持してきました。しかし、メディアのステレオタイプに頼らず、イラン社会の実像を知ることは、今後の両国関係をより深い相互理解に基づくものにするために不可欠です。特に、人口の約60%が30歳未満という若い国であるイランの市民社会の動向は、中東地域全体の将来を考える上でも重要な意味を持っています。
まとめ
「イラン人は狂信的」というステレオタイプは、実際のイラン社会の姿から大きくかけ離れています。イランは「群れないけれど孤独ではない」個人主義的な社会であり、K-POPやトルコドラマを楽しむグローバルな感性を持つ若者が人口の大半を占める国です。
千年の文学的伝統に裏打ちされた教養と、VPNを駆使して世界とつながる現代性が共存するイラン社会。その多面的な実像を知ることは、ステレオタイプを超えた国際理解の第一歩となるはずです。イランに関心を持った方は、ぜひ岩崎葉子氏の著書や、イラン現代文学の翻訳作品を手に取ってみてください。
参考資料:
- 「個人主義」大国イラン - 平凡社
- Iran – Stereotypes We Need to Start Smashing - SIETAR UK
- MYTH vs. FACT: Iranians & Western Culture — American Iranian Council
- Embracing East: K-pop and K-drama Among Iranian Youth - WANA
- Youth Culture in Iran: A Generation on the Move - Free Iran Scholars Network
- Report Shows 94% of Iranian Youth Defy Regime’s Internet Iron Curtain - NCRI
- ペルシア文学(総説) - 立命館大学アジア・日本研究所
- 藤元優子 研究者情報 - J-GLOBAL
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