久米宏さん死去、81歳 ニュースステーションで報道を変えた
はじめに
「ニュースステーション」のメインキャスターとして、日本のテレビ報道に革命をもたらしたフリーアナウンサーの久米宏さんが、2026年1月1日に肺がんのため亡くなりました。81歳でした。
1985年から18年半にわたって続いた「ニュースステーション」は、それまでの硬いニュース番組の概念を覆し、「中学生でもわかるニュース」をコンセプトに新たな報道スタイルを確立しました。歯に衣着せぬコメントと親しみやすい語り口で、平均視聴率20%前後を記録する人気番組へと成長させました。
本記事では、日本のテレビ史に大きな足跡を残した久米宏さんの功績と、テレビ報道への影響を振り返ります。
TBS時代の輝き
「視聴率90%男」の誕生
久米宏さんは1944年7月14日、埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。早稲田大学政経学部を卒業後、1967年にTBSにアナウンサーとして入社しました。
入社当初は緊張のあまり、鉛筆が汗で滑って握れないほどだったといいます。ラジオのマイクの前では一言二言口にするだけで吐きそうになり、神経性の胃腸炎から栄養失調、さらには結核にまでかかるほど苦しんだ時期がありました。
しかし闘病中に他人の放送に耳を傾け続けたことが転機となります。「久米宏の話し方を見つけなければ」と自分の声質に合った軽いノリを心がけ、数々の生中継で話術を鍛えていきました。
黄金期のバラエティ番組
TBS時代の久米さんは、「ザ・ベストテン」「ぴったしカン・カン」「料理天国」などの人気番組で司会を務め、「視聴率90%男」と呼ばれるほどの人気を誇りました。
特に「ザ・ベストテン」では、俳優の黒柳徹子さんとの絶妙な掛け合いが話題を呼びました。音楽番組の枠を超えた自由なトークと、生放送ならではのハプニングを楽しむ姿勢が視聴者の心を掴みました。
1979年にTBSを退社しフリーとなり、その後の活躍の場を広げていきます。
「ニュースステーション」の革命
前代未聞の番組制作体制
1985年10月7日、テレビ朝日で「ニュースステーション」がスタートしました。この番組は、日本のテレビ報道の歴史を変える画期的な試みでした。
それまでのニュース番組は、報道局の記者が書いた原稿をキャスターが読むという形式が一般的でした。しかし「ニュースステーション」は、テレビ朝日の制作局・報道局と、久米さんが所属する制作会社「オフィス・トゥー・ワン」がチームを組んで番組を制作するという前代未聞の体制を採用しました。
「中学生でもわかるニュース」
番組のコンセプトは「中学生でもわかるニュース」。徹底したのは「視覚主義」でした。ブーメラン型の半円テーブルに出演者が配置されるおしゃれなセットを設置し、難解なニュース用語もフリップや模型、人形、積み木などを使って視覚的に解説しました。
久米さんは「神は細部に宿る」と、番組制作の中枢を担いました。報道記者が書いてきた原稿は必ず手直しし、紋切り型の表現や慣用句を排除して、自分の話し言葉に変えていきました。意見を述べる場面では、他のニュース番組や新聞の主張と重なる表現は絶対に使わないというこだわりを貫きました。
18年半にわたる功績
「ニュースステーション」は2004年3月まで18年半続き、平均視聴率は20%前後を記録しました。フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼びながらも、テレビ朝日の看板番組へと成長しました。
テレビ朝日は久米さんの訃報を受け、「日本のテレビ報道における新しいスタイルのニュース番組を切り開いていただきました。テレビ司会者としての天賦の才と、ニュース番組のメインキャスターとしての見識で、当社の報道に多大な貢献を頂きました」とコメントしています。
報道姿勢と信念
「反政権与党」のスタンス
久米さんは自らの報道姿勢について、明確な信念を持っていました。「僕は、社会党が政権を取ったら、アンチ社会党になりますから。共産党が政権取れば、アンチ共産党です」と語り、「だいたいマスコミが政権と同じ所に立ったらめちゃくちゃですから、その国は。なぜ反自民かというと、政権を取っているからです」と「反政権与党」のスタンスを表明していました。
この姿勢は、時に激しい批判を浴びることもありましたが、権力を監視するジャーナリズムの役割を体現するものでもありました。
伝えるから「考えさせる」へ
久米さんの自然体でフランクな語り口、時には鋭い質問や独自の視点を交えたコメントは、視聴者の心を引きつけました。生放送での柔軟な進行は、テレビ報道に新風を吹き込んだだけでなく、情報を「伝える」から「考えさせる」スタイルへと進化させました。
専門用語をかみ砕き、時に冗談を交えながら語るスタイルは、それまでの「硬い報道番組」の常識を打ち破りました。この革新は、その後の民放ニュース番組の方向性に大きな影響を与えています。
晩年とラジオ活動
「久米宏 ラジオなんですけど」
「ニュースステーション」終了後も、久米さんはラジオを中心に活動を続けました。TBSラジオで2006年から2020年まで14年にわたり「久米宏 ラジオなんですけど」を担当し、テレビとは違うトーンで社会を語り続けました。
近年はインターネット上でも活動し、YouTube番組「久米宏がヤバい」を配信するなど、新しいメディアへの挑戦も続けていました。
最期の瞬間
妻の麗子さんは久米さんの最期について、「久米は、最後まで”らしさ”を通したと思います。大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように。自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います」とコメントしました。
「ニュースステーション」最終回では、番組の最後に一人でビールを飲み干すというパフォーマンスが話題を呼びました。最期の瞬間も、その伝説のシーンを彷彿とさせるものだったといいます。
各界からの追悼
後継者たちの言葉
久米さんの後を継いで「報道ステーション」のメインキャスターを務めた古舘伊知郎さんは、「やっぱりかなわない」と追悼の言葉を述べました。
テレビ朝日「報道ステーション」は、久米さんの訃報を受けて特別版を放送。「ニュースステーション」時代の映像とともに、久米さんの功績を振り返りました。
受賞歴と評価
久米さんは1990年、ニュースステーションのキャスターとしての業績に対し、第27回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞しています。TBS時代は「視聴率90%男」として人気を集め、フリー転身後は報道番組に革命を起こすなど、希代のスターアナウンサーとして放送史に功績を刻みました。
まとめ
久米宏さんは、日本のテレビ報道の歴史を変えた稀有な存在でした。「中学生でもわかるニュース」というコンセプトのもと、難解な報道を視覚的にわかりやすく伝える手法を確立し、後続のニュース番組に大きな影響を与えました。
歯に衣着せぬコメントと、権力を監視する姿勢は、時に批判を浴びながらも、ジャーナリズムの本質を体現するものでした。「自由な表現者として駆け抜けた日々」を生きた久米さんの功績は、今後も日本のテレビ報道に生き続けることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
参考資料:
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