写真家・大石芳野が伝える沖縄戦の記憶
はじめに
日本経済新聞の連載「私の履歴書」で、報道写真家の大石芳野氏が自身の沖縄取材について語っています。2026年2月の連載第18回では、本土復帰前の沖縄への渡航から、沖縄戦で日本兵による住民虐殺を経験した遺族との出会いまでが綴られました。
大石氏は1944年生まれ。ベトナム、カンボジア、アフガニスタンなど世界各地の紛争地で、戦争に翻弄される市民の姿を撮り続けてきた写真家です。本記事では、大石氏の沖縄への眼差しと、沖縄戦の歴史的な実相について解説します。
大石芳野という写真家
戦争と市民を撮り続けた半世紀
大石芳野氏は東京都出身で、日本大学藝術学部写真学科を卒業後、ドキュメンタリー写真家として世界各地を取材してきました。パプアニューギニア、カンボジア、ベトナム、コソボ、アフガニスタン、スーダンのダルフールなど、紛争と暴力の傷跡が残る地域を訪れ、そこに暮らす人々の姿をカメラに収めています。
その活動は高く評価されており、1982年に『無告の民』で日本写真協会年度賞を受賞、2001年には『ベトナム凜と』で土門拳賞を受賞しています。2004年からは世界平和アピール七人委員会の委員も務めています。
大石氏の作品に一貫しているのは、戦争の加害と被害の両面から市民の生活を見つめる視点です。権力や軍事の論理ではなく、その下で生きる人々の顔と暮らしに焦点を当てるアプローチは、フォトジャーナリズムの重要な系譜に位置づけられます。
沖縄との出会い
大石氏が沖縄に強い関心を抱いたのは1960年代のことです。当時の沖縄は米国統治下にあり、日本本土からの渡航にはパスポートだけでなく現地の身元引受人が必要でした。大石氏は与論島(鹿児島県)や台湾から沖縄を遠望し、渡航への思いを募らせていたといいます。
実際に沖縄を訪れることができたのは、1972年の本土復帰直後でした。強烈な陽光、ガジュマルの木やハイビスカスの赤い花、サトウキビ畑に見え隠れするすげ笠――東南アジアの取材経験がある大石氏にとって、沖縄の風景には親しみを感じる部分があったようです。
沖縄戦と住民虐殺の実相
20万人が犠牲になった地上戦
1945年の沖縄戦は、太平洋戦争末期に行われた日本国内唯一の大規模地上戦です。「本土防衛の最後の砦」として位置づけられた沖縄では、約3カ月にわたる激戦が繰り広げられました。犠牲者は20万人を超え、県民の4人に1人が命を落としたとされています。
沖縄戦の最大の特徴は、正規の軍人よりも一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことです。米英軍の無差別砲爆撃による被害に加え、日本軍による住民の殺害が各地で発生しました。
日本兵による住民虐殺
「日本兵が怖かった」――この言葉は、沖縄戦を経験した住民の共通した記憶の一つです。日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺を行い、壕(防空壕)からの追い出し、米軍に探知されないための乳幼児の殺害、住民の食糧の強奪などを行いました。
久米島では、守備隊長が住民だけでなく、沖縄本島から脱出してきた日本兵に対しても「戦線離脱」を理由に処刑を命じました。今帰仁村をはじめとする北部地域でも住民虐殺が相次ぎ、「米軍が正確に攻撃できるのは住民がスパイをしているからだ」という論理で、投降を呼びかけた人が殺害されるケースもありました。
こうした事実は長い間語られることが少なく、戦後数十年を経て遺族や生存者の証言によって明らかにされてきました。大石氏が出会った遺族の「憤怒」は、この歴史的経験に根ざしたものです。
「軍隊は住民を守らない」
沖縄戦の経験から導き出された教訓として、「軍隊は住民を守らない」という認識が沖縄社会に深く根付いています。住民は本土防衛のための「捨て石」にされ、日本軍からも米軍からも命を脅かされる存在でした。
この経験は、戦後の沖縄における基地問題に対する住民感情にも大きな影響を与えています。本土復帰後も多くの米軍基地が残され、沖縄県民は日本の安全保障の負担を不均衡に背負い続けています。
写真が伝える戦争の記憶
「顔と風景に刻まれた記憶と歴史」
大石氏は沖縄の人々と交流する中で、薩摩藩による支配の歴史と太平洋戦争の沖縄戦が、人々の心の根底にあることに気づきました。戦争で心も体も傷ついた人たちの姿と、文化的な暮らしを一つの作品の中で結びつけたいと考え、何年にもわたって沖縄に通い続けています。
写真展「戦世(いくさよ)をこえて」では、「終わらない戦争」というメッセージとともに、沖縄をはじめとする戦禍の地で撮影した作品が展示されました。大石氏の写真は、統計や文書だけでは伝わらない戦争の実態を、人々の表情や暮らしの中から浮かび上がらせます。
戦争体験者の高齢化と記憶の継承
沖縄戦から80年以上が経過し、戦争体験者の高齢化が進んでいます。証言を直接聞ける機会は年々減少しており、記憶の継承は喫緊の課題です。沖縄県平和祈念資料館では戦争体験者の多言語証言映像を制作・公開するなど、記録の保存に取り組んでいます。
大石氏のような写真家による記録は、言葉だけでは伝えきれない戦争の記憶を視覚的に残す貴重な手段です。「私は世界を知りたい。そして知ったことを伝えたい。そのためにカメラがあるのです」という大石氏の言葉は、報道写真の原点を示しています。
注意点・展望
沖縄戦の歴史については、教科書記述をめぐる論争や歴史修正主義の動きもあり、正確な事実の共有が依然として重要です。住民虐殺や集団自決の強制に関する記述については、政治的な議論の対象になることもありますが、生存者の証言と歴史的記録に基づく事実の検証が欠かせません。
大石氏の「私の履歴書」連載は、こうした歴史を広く一般読者に伝える機会として意義があります。経済紙の連載という形式を通じて、普段は接点の少ない読者層にも沖縄戦の記憶が届くことが期待されます。
まとめ
報道写真家・大石芳野氏の「私の履歴書」は、沖縄戦の歴史と住民の記憶を伝える重要な連載です。本土復帰前の沖縄への強い関心から始まり、住民虐殺の遺族との出会いを通じて、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を改めて浮き彫りにしています。
戦争体験者の高齢化が進む今、写真やドキュメンタリーによる記録の価値はますます高まっています。大石氏の仕事は、過去の記憶を未来に伝えるための貴重な架け橋です。
参考資料:
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