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by nicoxz

片野坂真哉の原点に学ぶ航空営業と旅行会社時代の構造転換の内幕

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はじめに

ANAホールディングスの片野坂真哉氏は、IR BANK掲載の役員略歴によれば1979年に全日本空輸へ入社し、営業、人事、経営の各部門を経て社長、会長へ進みました。今回の回想が描くのは、その出発点にあたる営業現場です。いまの感覚では、航空券はウェブで買い、座席はリアルタイムで検索するものです。しかし1980年代前後の国内線営業では、旅行会社や法人を回り、繁忙期の団体席をどれだけ確保できるかが営業力そのものでした。

この違いを理解すると、単なる武勇伝ではなく、日本の航空流通がどう変わったのかが見えてきます。規制に縛られた路線配分、旅行会社が握る販売チャネル、電話や端末を使った発券、そして1990年代後半からの規制緩和とネット化です。本記事では、片野坂氏の原点を手がかりに、航空営業の仕事が「座席を売る仕事」から「需要を設計する仕事」へどう変わったのかを読み解きます。

旅行会社が販売の主役だった時代の構図

切符販売から旅行商品への進化

日本の旅行会社は、もともと鉄道や船の切符を手配する「チケット・エージェント」として成長しました。JTBの110年史を見ると、1930年代には乗車券の販売・配達を行い、1962年には「セット旅行」を始め、1971年には国内主催旅行「エース」を販売開始しています。つまり、旅行会社は単なる窓口ではなく、交通機関の座席と宿泊を組み合わせて需要を束ねる存在へ早い段階で進化していました。

この構造は航空にもそのまま及びます。旅行産業の業界解説では、旅行会社の仕入れは交通機関の座席やホテル客室の確保が中核であり、大量かつ早期の仕入れが交渉力を左右すると説明されています。団体旅行や季節商品では、販売担当者は「売ってから席を探す」のではなく、「先に席を押さえて商品化する」必要がありました。だからこそ、航空会社の営業担当は、旅行会社の企画担当者やカウンター担当者と密接に動く必要がありました。

回想に出てくる「人気座席の確保に四苦八苦」という表現は、この時代の営業の本質をよく表しています。売り先は個人客ではなく、需要を束ねる旅行会社や企業総務であり、彼らにとって重要なのは運賃表より「繁忙期に何席取れるか」でした。営業担当が信頼を得るとは、空席のない日にどう席をひねり出せるかという意味を持っていたのです。

団体需要と繁忙期争奪の現場

当時の国内旅行市場では、お盆、年末年始、修学旅行、社員旅行、北海道スキー需要のような繁忙期のまとまった需要が大きな比重を占めていました。JTB史では、国内旅行の大衆化を引っ張った商品として周遊券、セット旅行、国内主催旅行が並びます。こうした商品が成長するほど、航空会社の座席は「単発の個人予約」ではなく「まとまった需要の仕入れ先」として扱われます。

ANAの年表を見ても、1990年代前半まで札幌線の拡充が目立ちます。高松、岡山、福岡、富山、鹿児島、松山、庄内など各地から札幌路線が次々に就航しており、北海道方面の需要の厚さがうかがえます。大阪発札幌行きの直行便が取りづらければ、東京経由で組み直すという回想は、まさに座席供給の制約下で旅行商品を成立させる営業の知恵でした。

ここで重要なのは、営業担当の仕事が単なる販売ノルマの達成ではなかったことです。代理店の団体案件を成立させるには、予約、発券、運賃、接続、空港オペレーションまで含めて調整する必要がありました。現代のシステム上の自動処理に見える作業の多くを、人間関係と電話と端末操作で回していたのがこの時代です。

規制と供給制約が生んだ営業力

規制緩和前の国内線競争の制約

航空営業が座席確保中心になった理由は、販売チャネルだけではありません。供給そのものが政策的に制約されていたためです。ANAの「Turning Point」では、1972年の業界政策でANAが国際線から制限されていたこと、1985年にその政策が撤廃されたことが紹介されています。国内線でも長く需給調整の発想が残り、自由にどの会社でもどの路線に入れる環境ではありませんでした。

国土交通白書によれば、航空事業では1990年代まで段階的な規制緩和が進み、1997年にダブル・トリプルトラック化基準が撤廃され、2000年2月に需給調整規制が廃止されました。運輸政策用語集でも、1986年にはダブル化基準が年間70万人、トリプル化基準が100万人だったものが、1996年には大幅に引き下げられ、1997年に撤廃された経緯が整理されています。

この時代の営業現場では、座席は単に「売れば増やせる在庫」ではありません。発着枠、就航規制、機材繰りの制約が強く、繁忙期の供給余地は限られていました。そのため、代理店や法人との関係性が強い営業担当ほど、希少な席をどう配分するかで存在感を持ちました。回想に出てくる苦労は、需要が多かったからだけでなく、供給を柔軟に増やしにくい時代だったからです。

営業現場に求められた調整力

この環境下で評価されたのは、現在でいうマーケティング分析力より、まず調整力でした。代理店から「この日程で何席必要か」という相談が入ると、営業担当は支店内外の座席管理、他支店案件との兼ね合い、経由便への組み替えまで含めて解決策を探ります。特に団体案件は、一人分の席が欠けるだけで商品全体が成立しません。

旅行会社向けの現在のANA booking policyでも、代理店による架空予約や見積目的の仮予約を禁じています。裏返せば、販売現場ではそれほど席の仮押さえが競争の武器になりやすいということです。デジタル化した今なお、販売チャネルでの予約品質管理が重視されるのは、座席という商品が時間とともに消える在庫であり、需要の取り合いが本質的に変わっていないからです。

片野坂氏のような現場経験者が後に経営トップへ進んだことにも意味があります。航空会社では、安全や運航だけでなく、需要の束ね方と流通の仕組みを理解していることが経営判断に直結するからです。営業現場で学ぶのは値引きの技術ではなく、限られた供給をどの顧客にどう配るかという経営そのものです。

デジタル化と規制緩和が変えた販売の主戦場

1990年代後半の転換点

1990年代半ばから、航空流通の地盤は大きく動き始めます。ANA年表では、1995年4月に電話発券「P2チケットサービス」、同年10月にインターネット「全日空WWW」の独自情報サービス開始が記録されています。1991年にはファミリーマート、1994年にはミニストップで国内線航空券の発売が始まっており、販売接点は旅行会社の店頭だけではなくなっていきました。

JTB側でも、1996年にコンビニ端末を通じた旅行商品販売、1998年にインターネットによる旅行販売開始と、流通のデジタル化を急ぎました。つまり、航空会社が直販を強め、旅行会社もオンライン化するという二方向の変化が同時に起きたのです。営業担当にとっては、代理店への席供給だけでなく、どのチャネルでどの需要を取るかを考える時代に入ったことを意味します。

規制面では、2000年の需給調整規制廃止によって新規参入や運賃設定の自由度が高まりました。国交白書は、スカイマークやAIRDOなどの参入と、平均運賃の大幅低下を規制緩和の成果として挙げています。供給と価格が動きやすくなると、従来の「席を押さえる営業」だけでは差別化できません。需要予測、収入管理、ブランド、チャネル戦略が営業の中核へ移っていきます。

チケットレス化とオンライン予約の普及

ANAは2004年9月の発表で、羽田新ターミナル移転に合わせて「スマートeサービス」を開始し、旅行代理店や市内カウンターで購入した利用客にも国内線チケットレスサービスを拡大すると表明しました。この発表では、国内線チケットレスサービスを1995年4月に日本で初めて導入したと説明しています。紙の航空券を事前に受け取る手間がなくなることは、販売フローそのものを変える出来事でした。

現在のANA国内線案内でも、予約と販売はウェブサイト、空港カウンター、予約案内センター、指定旅行会社で搭乗355日前から受け付けるとあります。つまり、直販が主流になったあとも、旅行会社は消えたのではなく、法人需要や複雑旅程、団体、手配旅行の窓口として役割を残しました。2025年にはANAがSabre経由のNDC販売を始め、世界40超の国・地域の旅行会社向けに予約・発券機能を広げています。旅行会社は旧来型の単純仲介から、デジタル接続された専門販売チャネルへ再定義されつつあります。

オンライン旅行会社の台頭も大きな変化でした。エアトリの沿革では、1995年に前身会社を創業した当初、大手旅行会社主導の市場で苦戦したこと、その後2003年に国内航空券の仕入れ先として事業がつながったことが語られています。ここから分かるのは、航空券流通が店頭からネットへ移る過程でも、根幹には依然として「仕入れ」と「座席配分」の論理があったということです。画面の裏側では、昔ながらの航空営業の発想が生き続けていました。

いま振り返る航空営業の意味

座席確保から需要設計への転換

片野坂氏の回想が面白いのは、個人の経験談でありながら、日本の航空会社がどのように稼ぎ方を変えてきたかを一場面で示しているからです。規制と供給制約が強い時代には、営業の価値は座席を確保する力にありました。規制緩和とデジタル化が進むと、価値は需要予測、チャネル戦略、価格最適化、顧客体験の設計へ移っていきました。

しかし前者が消えたわけではありません。欠航や混雑、イベント集中、インバウンド急増の局面では、いまでも航空会社には「限られた席をどう配るか」という古典的な問題が戻ってきます。予約システムが高度化しても、最終的には希少な在庫の配分が営業と経営の核心であることは変わりません。

旅行会社の役割の再定義

旅行会社もまた、時代とともに役割を変えました。切符の代理販売からパッケージ造成へ、店頭販売からオンライン販売へ、そして現在は法人出張、団体、複雑旅程、付帯サービスまで含むソリューション提供へと重心を移しています。JTBやANAの資料を並べると、直販拡大と旅行会社の再編は対立ではなく、流通の分業の組み直しだったことが見えてきます。

その意味で、営業担当が地下鉄で代理店や企業を回り、年末年始の団体席を取りに走った時代は、古くて非効率な過去ではありません。需要を束ねる人、供給を持つ人、両者をつなぐ人の間で価値が生まれるという、航空ビジネスの原型です。片野坂氏の原点は、DX以前の営業論としてではなく、供給制約産業の本質を学ぶ材料として読み直す価値があります。

注意点・展望

この種の回想を読む際に注意したいのは、当時の販売構造を現在の感覚で単純化しないことです。いまは個人直販が強くても、1980年代の国内線では旅行会社が需要形成の中心にいました。また、規制緩和前の航空会社は、現在ほど自由に路線や運賃を組めませんでした。したがって、当時の営業現場を「アナログで非効率だった」と片づけるのは正確ではありません。

今後の展望としては、旅行会社の役割はさらに二極化しそうです。標準的な単純予約は直販やOTAが担い、法人、団体、国際接続、障害対応、付帯商材販売のような複雑案件では専門チャネルの価値が残ります。ANAのNDC展開はその方向を示しています。営業担当に求められる力も、昔のような席取りの根性論ではなく、チャネルごとの需要特性を読み、限られた在庫を最も高い価値で販売する設計力へ移っていくでしょう。

まとめ

片野坂真哉氏の営業時代のエピソードは、旅行会社が航空券販売の主役だった時代の空気をよく伝えています。繁忙期の団体席を確保できるかどうかが営業の信用を左右し、大阪から札幌に直行で入れなければ東京経由で商品を成立させる。そこには、規制に縛られた供給、旅行会社中心の流通、団体需要の大きさという当時の業界構造が凝縮されています。

その後、規制緩和とネット化、チケットレス化が進み、航空営業の主戦場は座席確保から需要設計へ移りました。それでも、希少な席をどう配るかという課題は今も変わりません。回想の価値は懐古ではなく、航空会社の商売が本質的に「時間とともに消える在庫」をどう売るかにあることを、もっとも分かりやすく教えてくれる点にあります。

参考資料:

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