中国の半導体技術獲得戦略、韓国・台湾が標的に
はじめに
中国の半導体産業が急速に力をつける裏側で、韓国や台湾からの大規模な技術・人材の流出が深刻な問題となっています。2025年12月、韓国のソウル中央地検はサムスン電子の元役員ら10人を起訴しました。容疑は、サムスンの世界初となる10ナノメートル級DRAM技術を中国メモリ大手CXMT(長鑫存儲技術)に流出させたというものです。
中国は「半導体強国」を目指す国家戦略のもと、巨額の報酬を武器に韓国・台湾の技術者を組織的に引き抜いてきました。さらに米国からの技術獲得も模索しており、世界の半導体サプライチェーンに大きな波紋を広げています。本記事では、中国の半導体技術獲得の実態と、各国の対応策について詳しく解説します。
サムスン技術流出事件の全容
10ナノDRAM技術の流出
2025年12月23日、ソウル中央地検の情報技術犯罪捜査部は、サムスン電子の元副社長を含む10人を産業技術保護法違反および不正競争防止法違反で起訴しました。流出した技術は、サムスンが1.6兆ウォン(約1,700億円)を投じて世界で初めて開発した10ナノメートル級DRAMの製造プロセスです。
起訴によると、CXMTは2016年の設立直後からサムスンの元副社長を研究開発部門の責任者として招聘しました。この元副社長が中心となり、サムスンの主要エンジニアを次々と引き抜く「人材パイプライン」を構築したとされています。インターポールの国際手配を受けた研究者は、CXMTに移籍後、数百に及ぶ製造プロセスの情報をコピーして流出させました。
被害規模は数十兆ウォン
検察はサムスン電子への被害額を「少なくとも数十兆ウォン」と推定しています。2025年だけでもサムスンの売上減少額は約5兆ウォン(約5,300億円)に達するとの試算もあります。引き抜かれた元役員らはCXMT側からサムスン時代の3〜5倍の年俸を受け取っていたとされ、中国企業が技術獲得のためにいかに巨額の投資を行っているかを示しています。
この事件で流出した技術は単なるDRAMにとどまりません。検察は、盗まれた技術がCXMTのHBM(高帯域幅メモリ)開発の基盤になったと主張しており、AI時代の最重要部品であるHBM市場への影響も懸念されています。
台湾・韓国が「草刈り場」となる構造
台湾からの人材流出
中国の人材引き抜きは韓国だけの問題ではありません。2015年に中国が半導体産業の強化方針を打ち出して以降、台湾からは累計3,000人以上の半導体技術者が中国企業に引き抜かれたとされています。
報酬格差が引き抜きの最大の武器です。TSMCの従業員の年間給与中央値が約6万5,000ドルであるのに対し、中国企業は一般エンジニアに3〜5倍、上級幹部にはさらに高額な報酬を提示します。中国の半導体メーカーSMICの共同CEOに転じた元TSMC幹部は、2020年に153万ドルの給与に加え、自社株と住居の提供を受けていたことが明らかになっています。
韓国での組織的な技術流出
韓国産業技術保護院のデータによれば、過去5年間で韓国から海外への技術流出事件は合計397件に達しています。そのうち半導体関連は96件にのぼり、大半が中国向けです。
中国企業が韓国内にR&Dセンターを設立し、現地で直接リクルーティング活動を行うケースも増えています。韓国の研究機関に在籍しながら中国企業と裏で契約を結ぶといった、より巧妙な手法も確認されています。
CXMTの急成長と市場への脅威
DRAMからHBMへの進出
流出技術を活用したCXMTの成長は目覚ましいものがあります。同社は2023年に中国初の10ナノメートル級DRAMの量産を実現しました。2025年にはDDR5メモリの平均良率が80%を突破し、帯域幅6,400Mbpsという国際的な主流製品に匹敵する性能を達成しています。
さらに注目すべきは、CXMTがHuaweiなどの国内顧客に対してHBM3のサンプルを納入したことです。AI半導体の性能を左右するHBMは、これまでSK hynixとサムスンが市場をほぼ独占してきましたが、CXMTの参入により競争環境が大きく変わる可能性があります。同社は上海にHBM後工程の封装工場を建設中で、2026年末の稼働を予定しています。
IPOと市場シェア拡大
CXMTの親会社である長鑫科技は上海証券取引所の科創板(スター・マーケット)への上場申請を行い、受理されました。2026年上半期にもA株市場初の純粋なDRAM上場企業が誕生する見通しです。2025年の前三四半期の売上高は約321億元(約6,700億円)に達し、通期では550億〜580億元が見込まれています。
市場調査機関の予測では、CXMTの世界DRAM市場シェアは2026年に15%に達する可能性があります。合肥と北京の工場を合わせた生産能力は2026年に月産30万枚規模まで拡大する計画です。
各国の対抗策と今後の展望
法規制の強化
韓国政府は半導体技術者の出入国管理を厳格化し、主要技術者のデータベースを構築して海外企業への転職や技術供与を監視する体制を整えています。台湾も国家安全法を改正し、「域外における営業秘密の不正取得」に対して最大12年の懲役と100万〜350万ドルの罰金を科す方針を打ち出しました。
米国はCHIPS法の支援を受ける企業に対し、中国での半導体製造拡大を禁止するとともに、米国市民や永住権保持者が中国の先端半導体生産に関与することを制限しています。しかし、2026年1月にはトランプ政権が先端AI半導体の対中ライセンス基準を緩和する動きも見せており、政策の一貫性が問われています。
技術格差は縮小傾向
韓国の業界調査では「2030年までにすべての主力産業で中国に追い抜かれる」との予測が示されています。特にHBM分野では、韓国企業との技術格差が2〜3年まで縮小しているとの分析があります。半導体の製造装置や素材を含むサプライチェーン全体で見ると、中国の自給率向上は着実に進んでいます。
まとめ
中国による韓国・台湾からの半導体技術獲得は、単なる産業スパイの問題にとどまらず、国家戦略に基づく組織的かつ長期的な取り組みです。サムスンの10ナノDRAM技術の流出事件は氷山の一角に過ぎず、CXMTの急成長が示すように、流出した技術は確実に中国の半導体産業を底上げしています。
韓国・台湾・米国はいずれも法規制を強化していますが、報酬格差という根本的な誘因が存在する限り、人材流出を完全に防ぐことは困難です。今後は技術流出の防止策と並行して、自国の半導体産業の競争力をいかに維持・強化するかが問われることになります。
参考資料:
- Ten former Samsung employees arrested for industrial espionage charges - Tom’s Hardware
- Chinese chipmaker CXMT in crosshairs of South Korean prosecutors - South China Morning Post
- S. Korea indicts 10 over alleged chip tech theft for China - UPI
- China’s aggressive poaching of South Korea’s semiconductor talents - Digitimes
- Taiwan cracks down on China poaching tech talent - Al Jazeera
- United States–China semiconductor standoff - Atlantic Council
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