企業統治指針改定で「貯蓄から投資」を企業にも促す狙い
はじめに
「貯蓄から投資へ」というスローガンは、これまで主に個人の資産形成に向けて使われてきました。しかし今、この考え方が企業にも適用されようとしています。
金融庁は2026年半ばをめどに、コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)を5年ぶりに改訂する方針です。改訂の柱は、上場企業が現預金をため込みすぎていないか説明を求めること。企業に人材や成長分野への投資を促す狙いがあります。
高市早苗政権が掲げる「資産運用立国」戦略の一環として、大企業から中堅・中小企業まで、リスクマネーを安定供給できる仕組みづくりが進められています。本記事では、この改革の背景と今後の展望を解説します。
コーポレートガバナンス・コード改訂の背景
10年を経た企業統治改革
コーポレートガバナンス・コードは2015年に導入され、2018年、2021年に改訂されてきました。5つの基本原則、31個の原則、47個の補充原則から成り、上場企業はそれぞれの原則について順守状況を表明し、順守していない場合は理由の説明が求められます。
この10年間で一定の成果はありました。社外取締役の設置が進み、取締役会の構成が多様化するなど、形式面での改善は見られます。しかし、原則の形式的な順守にとどまる企業も多く、企業価値向上につながっていないケースが問題視されてきました。
膨らむ企業の現預金
改訂の最大の焦点は、企業がため込んだ現預金の活用です。法人企業統計によると、資本金10億円以上の企業が保有する現預金は2024年度に82兆円と、20年間で約2倍に積み上がりました。
2023年度末には企業の内部留保(利益剰余金)が600兆円を超え、12年連続で過去最高を更新しています。手元の現金・預金も301兆円を超え、初めて300兆円に達しました。
株式市場では「企業は余剰資金を保有し、有効に活用できていない」との見方が広がっており、投資家からの改善要求が強まっています。
改訂のポイント
現預金の使途説明を求める
新たな企業統治指針では、上場企業が現預金を投資に活用できているかを検証し、株主への説明を求める方向で検討されています。
重要なのは、資金の配分先が設備投資だけではないことです。研究開発投資や人的資本への投資も重視されます。人材育成、デジタル化、サステナビリティ対応など、将来の成長に向けた幅広い投資が求められています。
コード全体のスリム化
改訂案では、細かすぎる原則を整理してコード全体をシンプルにする方向です。狙いは、原則を守ることを目的とするのではなく、稼ぐ力を向上させるガバナンスの実践です。
有識者会議では、主に以下の論点が議論されています。
- コードのスリム化・プリンシプル化
- 多様な投資機会を認識した上での経営資源の配分の検証
- 有価証券報告書の定時株主総会前の開示
- 取締役会事務局の機能強化
機関投資家も動き出す
機関投資家の間では、手元資金の有効活用を議決権行使基準に採用する動きが広がっています。
三菱UFJアセットマネジメントは「現金を潤沢に保有する企業について、使途が確認できない場合は説明責任を果たしていないとして代表取締役の選任に反対する」との方針を示しています。企業が現預金をため込んだままでは、経営者の選任そのものに反対票が投じられる時代が来ているのです。
高市政権の資産運用立国戦略
岸田政権からの継承と発展
高市早苗首相は岸田政権以来の「貯蓄から投資へ」を促す「資産運用立国」の路線を継承しています。2025年11月4日には政府の経済政策の司令塔「日本成長戦略本部」が始動し、AI・半導体など17項目が戦略分野に設定されました。
高市首相は成長戦略を加速させるためには金融の力が必要として、片山さつき財務相に対し、資産運用立国・投資立国の実現に向けて、人的投資やインパクト投資を含めたすべての投資を促進し、企業統治の強化や資産運用の高度化などに取り組むよう指示しました。
新戦略策定のための分科会
金融分野では「新戦略策定のための資産運用立国推進分科会」が設置され、2026年半ばの新たな政府戦略とりまとめに向けた議論が始まっています。
政府は閣議決定で新しい資本主義実現本部を廃止し、日本成長戦略本部を設置しました。これにより、成長戦略の司令塔機能が刷新され、より実効性のある政策推進が期待されています。
内部留保問題の本質
設備投資の停滞が最大の問題
内部留保と現預金は異なる概念ですが、両者に共通する問題は、企業が資金を有効活用できていないことです。
過去10年間で有形・無形を合わせた固定資産は約60兆円しか増えておらず、これは現預金の増加額の半分にすぎません。国内での設備投資が伸び悩んでいるために、日本企業は活力を取り戻せないでいるとの指摘があります。
ROE向上への道筋
日本企業のROE(自己資本利益率)が低い理由のひとつは、株主資本が内部留保で膨らんだことです。ROEを上げるためには、ため込んだ資金を成長投資に回すか、株主還元を強化して内部留保を適正規模に圧縮する必要があります。
2024年度以降、積極的な設備投資を計画する企業が増えており、思い切った賃上げを行う企業も出てきています。膨らんだ内部留保の活用に対する期待感が高まっています。
社債市場改革と中小企業への波及
リスクマネー供給の課題
日本では全企業の99%以上を中小企業が占め、全従業者の70%以上が中小企業に勤務しています。しかし、中小企業は資本市場からの資金調達が困難であるなど、大企業と比較して資金調達の手段が限られています。
政府は大企業から地方の中堅・中小企業まで、リスクマネーを安定して供給できるよう社債市場の規制緩和も検討しています。中小企業の円滑な資金調達には、貸手と借り手の間に生じる「情報の非対称性」を緩和することが必要不可欠とされています。
スタートアップ支援策
2025年6月の「規制改革実施計画」では、スタートアップ関連施策として、1億円の有価証券届出書の提出免除基準の引き上げなどが提言されています。投資者保護に留意しつつ、スタートアップ・成長企業への投資を促進する観点から検討が進められています。
今後の展望と注意点
形式から実質へ
コーポレートガバナンス改革は、形式的な対応から実質的な企業価値向上へと軸足を移しつつあります。単に原則を順守するだけでなく、企業がどのように稼ぐ力を高めていくかが問われる時代になりました。
企業にとっては、現預金の使途を明確に説明する準備が必要です。株主や投資家との対話を通じて、成長戦略と資金活用の方針を丁寧に説明していくことが求められます。
投資家は議決権行使の厳格化へ
機関投資家の議決権行使基準は今後さらに厳格化される可能性があります。現預金を有効活用できない企業は、経営陣の選任に反対票を投じられるリスクを認識しておく必要があります。
まとめ
金融庁はコーポレートガバナンス・コードを5年ぶりに改訂し、企業の現預金ため込みにメスを入れる方針です。「貯蓄から投資へ」の流れは、個人だけでなく企業にも広がろうとしています。
高市政権の資産運用立国戦略と連動して、企業統治の強化、社債市場の規制緩和、中小企業への資金供給など、包括的な改革が進められています。
投資家にとっては、企業がどのように資金を活用しているかを注視することが重要です。企業経営者にとっては、現預金の使途を明確に説明し、成長投資と株主還元のバランスを取ることが求められます。
参考資料:
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