JTがたばこ依存脱却へ、食やAIなど新事業20社設立
はじめに
日本たばこ産業(JT)が、たばこ事業に次ぐ新たな収益の柱を育てる動きを加速させています。食のプロデュースや人工知能(AI)の開発など、国内外で約20社の子会社を設立し、2050年を見据えた長期的な事業創造に取り組んでいます。
売上収益の約9割をたばこ事業が占めるJTにとって、喫煙率の低下や規制強化が進む中での多角化は経営上の最重要課題です。M&A(合併・買収)に頼らず、社内から新たな事業の芽を育てるという独自のアプローチに注目が集まっています。
JTの新規事業戦略「心の豊かさ」
パーパス経営への転換
JTは2023年2月に「心の豊かさを、もっと。」という新たなグループパーパスを発表しました。このパーパスは単なるスローガンではなく、中長期戦略の策定、新規事業開発、サステナビリティ活動のすべてにおける指針として位置づけられています。
従来のJTは「たばこ会社」というアイデンティティが強く、事業の多角化も医薬事業や加工食品事業といった既存の枠組みの中で進められてきました。しかし、新パーパスのもとでは「心の豊かさ」という広い価値軸で事業領域を再定義し、たばこにとらわれない事業創造を目指しています。
D-LABの役割
新規事業創造の中核を担うのが、2020年に設立されたコーポレートR&D組織「D-LAB」です。D-LABは「JTグループがまだ見ぬ心の豊かさ」の探索・創造を使命とし、長期的な視点でイノベーションを推進しています。
注目すべきは、D-LABが常時100件以上のプロジェクトを運営し、試行錯誤を繰り返している点です。大企業にありがちな慎重な意思決定ではなく、スタートアップのようなスピード感で仮説検証を進めるアプローチを採用しています。
多角化の具体的な取り組み
食のプロデュース事業
JTの新規事業の中で特に注目されているのが、食の領域です。東京・西麻布に展開するレストラン「七ひろ」は、旬の食材を活かした新しい日本料理を提供し、ミシュランにも選出されるなど高い評価を得ています。
たばこメーカーが高級レストランを手がけるのは意外に思えるかもしれませんが、JTはもともと加工食品事業を展開しており、食に関する知見やネットワークを蓄積してきました。2023年に冷凍食品子会社テーブルマークを日清食品に売却した一方で、より付加価値の高い食のプロデュースへと軸足を移しています。
AI・テクノロジー分野
JTはAI開発にも積極的に取り組んでいます。D-LABを中心に、テクノロジーを活用した新たな価値創造に挑戦しており、JTの執行役員は「ヒト・モノ・カネ・情報・AI」の5つの経営資源を活用するテクノロジー戦略を掲げています。
特に注目されているのが、植物由来の成分を短時間で抽出する「COLDRAW」という独自技術です。この技術を応用したノンアルコール飲料の開発も進められており、「ソバーキュリアス」(あえて飲まない選択をするライフスタイル)の潮流に乗った事業展開が期待されています。
インキュベーションプラットフォーム「D-0.」
2025年6月には、リバネスとの共同で「D-0.(ディーゼロ)」というインキュベーションプラットフォームを始動しました。科学技術に根ざした情熱を持つ研究者、起業家、クリエイターと連携し、未来の生活を豊かにする新たなアイデアや事業の創出を目指しています。
D-0.は外部の知見を積極的に取り込むオープンイノベーションの仕組みであり、JTの社内リソースだけでは到達できない領域にアプローチする戦略的な施策です。
たばこ事業の現状と将来
好調な業績の裏側
JTのたばこ事業は現在も好調です。海外市場を中心にシェアを維持・拡大しており、収益性も高い水準を保っています。加熱式たばこ「Ploom X」は2026年末までに40以上の市場に展開する計画で、2028年までにRRP(リスク低減製品)事業の黒字化を目指しています。
しかし、長期的な視点では楽観できません。世界的な喫煙率の低下傾向は続いており、各国の規制強化も相まって、たばこ事業だけでの持続的成長は難しいというのがJT経営陣の認識です。
M&Aに頼らない成長
JTの新規事業戦略で特筆すべきは、M&Aに依存しない方針です。過去にはテーブルマークの買収や海外たばこ会社の大型買収など、M&Aによる成長を志向してきました。しかし、新規事業については社内から種をまき、じっくり育てるアプローチを選択しています。
これは時間がかかる一方で、企業文化の変革や人材育成にもつながるメリットがあります。約20社の子会社を通じて社員が起業家精神を発揮する場を設けることで、大企業病を防ぐ効果も期待されています。
注意点・展望
JTの新規事業は現時点ではまだ「芽」の段階であり、たばこ事業に代わる収益の柱に成長するまでには相当の時間を要します。約20社の子会社のすべてが成功するわけではなく、事業の選別や撤退判断も今後求められるでしょう。
また、2025年に医薬事業を塩野義製薬に移管するなど、JTは非中核事業の整理も同時に進めています。新規事業への投資と既存事業の効率化をいかに両立させるかが、経営の腕の見せどころです。
2050年というJTが見据える時間軸は、四半期決算に追われる株式市場からは理解されにくい面もあります。しかし、たばこ産業の構造的な変化を見据えた長期戦略として、投資家や業界関係者の注目度は高まっています。
まとめ
JTの「たばこ以外」への挑戦は、売上の9割を占める主力事業が将来的に縮小するリスクに備えた先手の戦略です。食のプロデュース、AI開発、インキュベーションプラットフォームなど、「心の豊かさ」を軸にした多様な事業が約20社の子会社で育ちつつあります。
M&Aではなく社内起業で新たな柱を育てるアプローチは時間がかかりますが、企業文化の変革と人材育成を同時に実現する効果が期待されます。たばこ大手の大胆な変革の行方は、日本企業の長期戦略のモデルケースとなる可能性があります。
参考資料:
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