丸紅が国産牛の「おいしさ」をAIで数値化、新たな肉質指標へ
はじめに
総合商社の丸紅が、国産牛の「おいしさ」を科学的に評価する新しい指標づくりに乗り出しています。2026年度から、世代や属性ごとに好まれる肉質をAI(人工知能)で分析し、独自の指標を構築する計画です。
現在の牛肉格付け制度では「A5」に代表される霜降り(サシ)の多さが最上位の評価を受けますが、消費者の嗜好は多様化しており、必ずしも霜降り肉が万人に好まれるわけではありません。丸紅の新指標は、従来の格付けでは捉えきれない「味のおいしさ」を可視化し、消費者の選択肢を広げることを目指しています。本記事では、この取り組みの背景と意義を解説します。
現行の格付け制度と「A5神話」の問題
A5等級が和牛全体の6割を超える異常事態
日本の牛肉格付けは、日本食肉格付協会が定める基準に基づいて行われます。アルファベット(A〜C)は歩留等級(枝肉から取れる肉の割合)を、数字(1〜5)は肉質等級を表します。肉質等級は「脂肪交雑」「肉の色沢」「肉の締まりときめ」「脂肪の色沢と質」の4項目で評価されますが、最も重視されるのが脂肪交雑、つまり霜降りの度合いです。
高単価を狙い、霜降りが入りやすい血統の交配が進んだ結果、和牛のA5等級の割合は年々上昇し、2025年11月時点で去勢和牛の約75%がA5等級に達しました。10年前は3割程度だったことを考えると、驚異的な変化です。
「A5=おいしい」ではない
重要な事実として、肉質等級は見た目の評価であり、味そのものを評価しているわけではないという点があります。A5ランクの牛肉は脂肪分が多く、口溶けの良さが特徴ですが、「脂が多すぎて肉本来の味を楽しめない」という指摘も増えています。
特に高齢者や健康志向の消費者の間では、脂肪分の少ない赤身肉への需要が高まっています。物価高騰の影響で高価格帯のA5等級の消費は鈍化し、焼肉店の倒産増加の一因ともなっています。「A5神話」の崩壊と呼ばれるこの変化は、和牛業界に大きな転換を迫っています。
遺伝的多様性への懸念
霜降りの多さだけを物差しにした品種改良は、遺伝的多様性の喪失というリスクも抱えています。特定の血統に偏った交配が進むことで近交係数が上昇し、受胎率の低下や疾病抵抗力の弱体化といった弊害がすでに報告されています。和牛産業の持続性にとって、改良の方向性を見直すことは喫緊の課題です。
丸紅のAI活用による新指標構想
消費者の嗜好をデータ化
丸紅が目指すのは、消費者の嗜好データに基づく「おいしさ」の科学的な指標です。調理された国産牛を実際に消費者に試食してもらい、アンケートで嗜好データを収集。これをAIで解析し、世代や属性ごとに好まれる肉質の傾向をパターン化します。
例えば「20代は適度な霜降りと肉の風味のバランスを好む」「50代以上は赤身寄りでうまみの強い肉質を好む」といったように、ターゲット層ごとの最適な肉質を明らかにすることが狙いです。
品種改良と飼料改善への応用
この新指標は、単に消費者向けの情報提供にとどまりません。生産者側にとっても、品種改良や飼料改善の方向性を示す重要な指針となります。「霜降り至上主義」から脱却し、多様なおいしさを追求する品種改良が可能になれば、和牛の遺伝的多様性の回復にもつながります。
飼料の配合や飼育環境が肉質にどう影響するかをデータで裏付け、生産者が消費者のニーズに合った牛づくりを行えるようサポートすることも視野に入っています。
丸紅の畜産テック戦略との連携
丸紅はすでに畜産業界向けのデータプラットフォーム「BeecoProgram」を展開しています。スマートフォンのカメラで牛の体重を瞬時に推定できるアプリをAI企業フツパーと共同開発し、2025年10月から試験提供を開始しました。約7,100件の牛体重データで学習した独自AIモデルにより、平均誤差率4.2%、最速0.2秒での推定を実現しています。
今回の「おいしさ指標」は、体重管理や健康管理のデータと連携することで、「この飼育方法で育てた牛がこのおいしさプロファイルを持つ」という、生産から消費までを一貫してデータ管理する仕組みの構築を目指しています。
注意点・展望
「おいしさ」の数値化には、主観的な要素をどこまで客観的に捉えられるかという根本的な課題があります。味覚は個人差が大きく、調理方法や食べ合わせによっても印象が変わります。AIによる分析が万能ではない点は、認識しておく必要があります。
また、新指標の普及には、既存の格付け制度との共存が求められます。生産者にとってA5等級は高値取引の保証であり、新指標がこれに取って代わるのではなく、補完的な役割を果たすことが現実的な方向性でしょう。
日本の畜産業は高齢化や飼料コストの上昇など厳しい環境にあります。テクノロジーを活用した新たな価値創造が、国内畜産業の活性化にどこまで貢献できるか、丸紅の取り組みの成果が注目されます。
まとめ
丸紅によるAIを活用した国産牛の「おいしさ新指標」は、霜降り至上主義からの転換を促す画期的な取り組みです。A5等級の割合が75%を超え、消費者ニーズとの乖離が広がる中、多様な味覚に応える新たな評価軸の登場は、和牛業界に新風を吹き込む可能性があります。
消費者にとっては自分の好みに合った牛肉を選びやすくなり、生産者にとっては多様な市場ニーズに対応する品種改良の指針となります。「A5だから最高」という画一的な価値観を超えた、新しい和牛の楽しみ方が広がることが期待されます。
参考資料:
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