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by nicoxz

丸紅がAIで牛肉の「おいしさ」を数値化、新指標の狙い

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はじめに

日本の牛肉市場で、長年の常識が変わろうとしています。総合商社の丸紅が、国産牛の「おいしさ」をAI(人工知能)で数値化し、新たな品質指標として確立する構想を進めています。2026年度からの本格始動を目指すこの取り組みは、世代や属性ごとに好まれる肉質の傾向をデータとして可視化し、品種改良や飼料改善にもつなげるものです。

現在の牛肉格付けは「霜降り」の度合い、すなわち脂肪交雑の量を中心に評価されています。しかし、消費者の嗜好は多様化しており、必ずしも霜降りが多いほどおいしいと感じるわけではありません。本記事では、丸紅の新指標構想の背景にある業界課題、AI技術を活用した畜産DXの最前線、そして今後の牛肉市場への影響を詳しく解説します。

現行の牛肉格付け制度と「霜降り偏重」の課題

「A5ランク」は味の評価ではない

日本の牛肉格付けは、日本食肉格付協会(JMGA)が定める基準に基づいて行われています。格付けは「歩留等級(A~C)」と「肉質等級(5~1)」の組み合わせで15段階に分類されます。歩留等級は枝肉からどれだけの食用部分が得られるかを示し、肉質等級は「脂肪交雑(BMS=ビーフ・マーブリング・スタンダード)」「肉の色沢」「肉の締まり及びきめ」「脂肪の色沢と質」の4項目で判定されます。

ここで重要なのは、この格付けに「味」を直接評価する項目が含まれていないという点です。A5ランクは「脂肪交雑が多く、見た目が美しい」ことを意味しますが、それが必ずしも「おいしい」と同義ではありません。実際、格付けの4項目はいずれも主に目視で判断される指標であり、口溶けや風味、旨味の深さといった消費者が感じる「おいしさ」は評価対象外です。

A5等級の急増と消費者ニーズのミスマッチ

近年、和牛の改良・飼養技術の向上により、A5等級の割合が急増しています。日本食肉格付協会のデータによると、2025年11月時点で去勢和牛の74.9%がA5等級に達しています。10年前にはわずか3割程度だったことを考えると、驚異的な変化です。この背景には、高騰する飼料費などの生産コストに見合う高単価を確保するため、霜降りが入りやすい血統の交配を進めてきた畜産農家の経営判断があります。

しかし、消費者のニーズは生産現場と逆の方向に動いています。高齢化や健康志向の高まりにより、脂肪が少ない赤身肉への需要が増加しています。物価高騰を背景にした生活防衛意識も加わり、国内でのA5消費は鈍く、価格は伸び悩んでいます。日本農業新聞の報道によれば、小売業者からは「顧客の赤身志向が高まっており、サーロインやバラは需要減」という声が上がっています。生産サイドが上位等級を追求する一方で、消費者が求めるものとのギャップが広がっているのが現状です。

丸紅のAI新指標構想と畜産DXの最前線

消費者の嗜好をAIでデータ化する試み

丸紅が構想する新指標は、従来の格付けとは根本的に異なるアプローチを採用しています。AIを活用して消費者の嗜好データを分析し、世代や属性ごとに「どのような肉質が好まれるか」を数値化するものです。例えば、若い世代は適度な霜降りとジューシーさを好み、高齢者は赤身の旨味と柔らかさを重視するといった傾向を科学的に把握することが可能になります。

この指標は単なる消費者調査にとどまりません。得られたデータを品種改良や飼料改善にフィードバックし、「消費者が本当においしいと感じる肉」を生産段階から設計するという、サプライチェーン全体の最適化を目指しています。霜降りの量だけでなく、脂肪の質(オレイン酸含有量など)、赤身の旨味成分、食感といった多面的な要素を統合的に評価する仕組みが構築される見込みです。

丸紅が築いてきた畜産DX基盤

丸紅がこのような大規模な構想を実現できる背景には、同社がこれまで積み上げてきた畜産DXの基盤があります。丸紅は2023年に酪農・畜産業界向けのデータベースを活用した新サービス開発を発表し、生産者の経営状況、センサーで取得した牛の健康状態、飼料在庫状況、出荷記録など、従来はバラバラに管理されていたデータを統合する「BeecoProgram」の構築を進めてきました。

2025年には、AI開発企業のフツパーと共同で、スマートフォンのカメラで牛の体重を推定するアプリを日本で初めて開発しています。iPhone ProのLiDARセンサーを活用し、側面から1枚撮影するだけで平均誤差率4.2%、最速0.2秒で体重を算出できるこのアプリは、7,100頭以上の体重データを学習しています。これらのデータは、BeecoProgram上に蓄積され、個体ごとの成長状況の可視化に活用されています。

さらに、丸紅は2021年からファームノートホールディングスとの協業を通じて、飼料・肥料・保険といったグループのネットワークを組み合わせた包括的な畜産DXサービスの提供にも取り組んでいます。こうした複数年にわたるデータ蓄積とプラットフォーム構築の実績が、今回の「おいしさ指標」という新たな挑戦を支える土台となっています。

業界全体で進むAI活用の潮流

丸紅の取り組みは、畜産業界全体でAI技術の活用が加速する潮流の中に位置づけられます。近畿大学生物理工学部の松本和也教授が開発した「AIビーフ技術」は、肥育中の牛からわずかな量の血液を採取し、血液中の135種類のタンパク質をAIで分析することで、出荷前に肉質を予測する画期的な技術です。サシの状態だけでなく、枝肉重量やオレイン酸含有量まで予測可能で、2024年12月には事業化を担うスタートアップ「ビーフソムリエ」が設立されました。

福島県では帯広畜産大学と連携し、成育途中の牛の超音波画像データからAIが将来の枝肉断面を推定するシステムの開発も進んでいます。また、帯広畜産大学発ベンチャーのMIJ laboは、枝肉断面の画像解析による品質評価サービスを提供しています。

スマート畜産市場全体の規模も拡大傾向にあります。国内のスマート酪農・畜産市場は2023年度に約94.5億円でしたが、2027年度には約132.5億円(2022年度比114.3%)に達すると予測されています。労働力不足や技術継承の困難さという構造的課題を抱える畜産業界にとって、AI・データ活用による生産性向上は避けて通れないテーマです。

注意点・展望

丸紅の新指標構想には大きな期待がかかる一方で、いくつかの課題も存在します。まず、「おいしさ」は極めて主観的な概念であり、文化的背景や個人の経験によって大きく異なります。AIで統計的な傾向を把握できたとしても、それを万人に通用する「指標」として確立するには、膨大なデータ収集と継続的な検証が必要です。

また、既存の格付け制度との共存も重要な論点です。現在の制度は長年にわたり牛肉取引の基盤として機能しており、急激な変更は流通現場に混乱をもたらす恐れがあります。新指標は既存制度を置き換えるのではなく、補完する形での導入が現実的です。

今後の展望としては、丸紅が2026年度から本格的にデータ分析を開始することで、消費者の嗜好と生産現場をつなぐ新たなフィードバックループが形成されることが期待されます。これにより、「霜降り一辺倒」ではない多様な和牛の価値が消費者に伝わり、畜産農家にとっても新たな市場機会が生まれる可能性があります。

まとめ

丸紅が推進する「おいしさ」の新指標構想は、日本の牛肉業界が長年抱えてきた格付け制度と消費者ニーズのミスマッチという構造的課題に、AI技術で切り込む画期的な試みです。BeecoProgram をはじめとする畜産DX基盤の蓄積、フツパーとの体重推定アプリ開発といった実績を土台に、消費者の「本当のおいしさ」をデータ駆動で追求する姿勢は、業界全体の変革を促す可能性を秘めています。

消費者にとっては、自分の好みに合った牛肉を選びやすくなるという直接的なメリットがあります。畜産農家にとっても、霜降り以外の価値を市場に訴求できる新たな道が開かれます。2026年度からの本格始動に向け、丸紅のAI新指標がどのような形で牛肉市場を変えていくのか、今後の動向に注目です。

参考資料:

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