医療従事者の給与開示義務化を検討、診療報酬の適正配分へ
はじめに
医師の給与はいくらなのか。看護師の処遇は適切に改善されているのか。こうした疑問に対する回答を得るための制度改革が動き出しています。
厚生労働省は、病院や診療所に医師・看護師らの給与開示を義務付ける議論に着手しました。現在は任意報告となっている職種別給与情報について、2026年末に結論をまとめる予定です。
背景には、診療報酬による賃上げが確実に医療従事者に届いているかを検証したいという思惑があります。本記事では、医療法人の経営情報報告制度の現状と、給与開示義務化の議論について詳しく解説します。
医療法人の経営情報報告制度とは
2023年8月から報告義務化が開始
医療法の改正により、2023年8月1日から医療法人が開設する病院・診療所の経営情報報告が義務化されました。原則としてすべての医療法人が、G-MIS(医療機関等情報支援システム)を用いて毎年度の経営情報を報告しなければなりません。
報告期限は会計年度終了後3ヶ月以内で、医療法人の主たる事務所が所在する都道府県知事に報告します。経営情報はデータベースとして整備され、医療政策の検討に活用されます。
職種別給与は「任意」だが「報告は義務」
現行制度で問題となっているのが、「職種別給与総額及びその人数に関する情報」の取り扱いです。この項目は「任意」とされていますが、報告そのものは義務となっています。
つまり、職種別給与の記載は任意だが、経営情報の報告書を提出しないわけにはいかないという状況です。結果として、職種別給与を記載しない医療法人も多く、一人当たりの賃金水準を正確に把握できない状況が続いています。
任意となった背景
職種別給与が任意報告となった背景には、医療現場の負担への配慮があります。また、小規模医療法人では「薬剤師は1人配置のみ」といったケースもあり、職種別給与がそのまま個人の給与費となってしまうため、個人情報保護の観点からも問題があるとされてきました。
しかし、この任意報告の仕組みでは、診療報酬による賃上げが実際に医療従事者に届いているかを正確に把握することが困難です。
給与開示義務化の議論が始まった背景
診療報酬改定と賃上げの検証
2024年度の診療報酬改定では、医療従事者の賃上げを目的とした「ベースアップ評価料」が新設されました。政府は2024年度に2.5%、2025年度に2.0%のベースアップを目標としています。
しかし、ベースアップ評価料を申請した医療機関でも、対象職員の賃上げ率は2年間で平均3.40%にとどまり、目標の4.5%を下回る結果となりました。小規模医療機関では加算の取得自体が進んでおらず、クリニックでは約4割、訪問看護ステーションでは約43%にとどまっています。
賃上げ原資の配分を検証する必要性
診療報酬で確保された賃上げ原資が、どの職種にどのように配分されているのか。これを検証するには、職種別の給与データが不可欠です。
現状では、看護師向けの処遇改善評価料の収入を看護師に、ベースアップ評価料の収入を他の職種に配分するといった運用も可能です。こうした配分の実態を把握し、適正な診療報酬配分につなげることが、給与開示義務化の狙いのひとつです。
閣僚折衝での合意
上野賢一郎厚生労働相と片山さつき財務相は2025年12月、2026年度予算案の閣僚折衝で、医療従事者の給与開示に関する検討を進めることで合意しました。2026年末までに結論をまとめ、制度化を目指します。
医療従事者の給与の現状
医師の平均年収は1,338万円
令和6年の賃金構造基本統計調査によると、医師の平均年収は1,338万円です。ただし、この調査には副業・アルバイトが含まれていないため、実質的な年収は約1,738万円と推定されます。
勤務先別では大きな差があります。国立病院では1,324万円、公立病院では1,473万円ですが、大学病院は800万円未満と最も低くなっています。一方、開業医の平均年収は約2,700万円で、勤務医の約1.7倍です。
看護師の賃金動向
厚生労働省の調査によると、2024年度は前年度比で所定内給与額が10,300円増加し、2019年比では27,200円の上昇となりました。これは2024年度診療報酬改定によるベースアップ評価料の効果と考えられます。
しかし、35歳の看護師をモデルにした賃金比較では、2019年と比べて2024年は年収でマイナス22万3,127円という調査結果もあります。ベースアップと並行して、賞与や諸手当の減少が進んでいる可能性があります。
医師と他職種の賃金格差
医師と他の医療職種との間には大きな賃金格差があります。ベースアップ評価料の対象から40歳以上の勤務医・歯科医師が除外されていることからも、政策の焦点は医師以外の医療従事者の処遇改善に置かれていることがわかります。
給与開示が義務化されれば、この格差の実態がより明確になり、診療報酬配分の議論に影響を与える可能性があります。
2026年度診療報酬改定の方向性
処遇改善の実効性向上が課題
2026年度診療報酬改定(2026年6月実施予定)では、処遇改善の実効性向上が重要課題となっています。中央社会保険医療協議会(中医協)では以下の論点が議論されています。
- 看護職員処遇改善評価料とベースアップ評価料の統合検討
- 届出書類の簡素化
- 小規模医療機関への対応強化
- 看護職員の夜勤手当の引き上げ
基本診療料への上乗せ案
診療側からは、ベースアップ評価料ではなく、初再診料や入院基本料といった基本診療料に賃上げ分を上乗せする方法が提案されています。この方法であれば、医療機関が必要な職種に配分を決められ、事務負担も軽減されます。
一方で、この方法では賃上げが確実に職員に届いているかの検証が難しくなるという指摘もあります。給与開示の義務化は、こうした検証を可能にする基盤整備でもあります。
医療機関の経営悪化への対応
日本病院会などの調査では、2024年度改定後も医業利益や経常利益が赤字の病院が60%以上に上ることが判明しています。物価・賃金上昇に適切に対応する新たな仕組みの導入を求める声が高まっています。
今後の展望と注意点
プライバシーへの配慮
給与開示が義務化される場合でも、個別の医療法人を特定できるような情報公開は想定されていません。厚生労働省は、データベースの属性等に応じてグルーピングした結果を公表する方針です。
小規模医療法人における個人情報保護の問題も、制度設計において考慮される必要があります。
医療機関への影響
給与開示が義務化されれば、医療機関は職種別の給与データを正確に把握・管理する体制を整える必要があります。人事・給与システムの見直しや、報告業務の負担増加も予想されます。
一方で、透明性の高い給与体系は、人材採用においてプラスに働く可能性もあります。
まとめ
厚生労働省は、病院・診療所に医師や看護師の給与開示を義務付ける議論を開始しました。現在は任意報告となっている職種別給与情報について、2026年末までに結論をまとめる予定です。
この改革の目的は、診療報酬による賃上げが確実に医療従事者に届いているかを検証し、適正な報酬配分につなげることです。2026年度診療報酬改定と合わせて、医療従事者の処遇改善を実効性のあるものにしていく狙いがあります。
医療機関の経営者は、給与データの管理体制を見直し、制度改正に備える必要があります。医療従事者にとっては、自身の処遇が透明化されることで、適切な評価を受けやすくなる可能性があります。
参考資料:
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