村木厚子氏が歩んだ障害者雇用政策の道のり
はじめに
元厚生労働事務次官の村木厚子氏が、日本経済新聞「私の履歴書」で自身のキャリアを振り返っています。2026年3月の連載第21回では、1997年に41歳で障害者雇用対策課長に就任した当時のエピソードが語られました。
村木氏は高知大学を卒業後、1978年に旧労働省に入省し、女性政策や障害者雇用など社会的弱者の支援に深く関わってきた官僚です。課長という役職の重みを感じながら、初めて足を踏み入れた障害者分野でどのような経験を積んだのか。本記事では、村木氏のキャリアと日本の障害者雇用制度の歩みを独自調査に基づいて解説します。
村木厚子氏のキャリアと障害者雇用への取り組み
旧労働省入省から課長就任まで
村木厚子氏(旧姓・西村)は1955年、高知県に生まれました。高知大学文理学部経済学科を卒業後、1978年に旧労働省に入省しています。入省当時は女性キャリア官僚がまだ珍しい時代であり、お茶くみを割り当てられるなど、ジェンダーによる壁に直面する場面もあったと語られています。
そうした環境の中でも着実にキャリアを重ね、1997年に障害者雇用対策課長に就任しました。これが村木氏にとって初めての課長ポストであり、また障害者分野を担当する初めての経験でもありました。
「コバンザメ作戦」と現場主義
村木氏は障害者雇用対策課長として、障害者雇用の奥深さを知ることになります。連載で語られた「コバンザメ作戦」とは、関連する政策や制度改正の動きに機敏に便乗し、障害者雇用の推進につなげる戦略的なアプローチを指すとみられます。
霞が関の官僚にとって、限られた予算と人員で政策を前進させるには、こうした柔軟な発想が不可欠です。他省庁や他部署の動きに敏感になり、タイミングを逃さず障害者雇用の議論を組み込んでいく手法は、村木氏の実務家としての資質を物語っています。
その後の要職と冤罪事件
障害者雇用対策課長の後、村木氏は福祉基盤課長、障害保健福祉部企画課長を経て、2008年に厚生労働省4人目の女性局長として雇用均等・児童家庭局長に就任しました。
しかし2009年6月、郵便不正事件(障害者団体向け割引郵便制度の悪用事件)で逮捕・起訴されるという衝撃的な事態に見舞われます。検察による証拠改ざんが発覚し、2010年9月に無罪が確定。この冤罪事件は日本の司法制度の問題点を浮き彫りにし、大きな社会的議論を呼びました。
復職後は内閣府政策統括官、社会・援護局長を歴任し、2013年7月からは厚生労働事務次官に就任。2015年9月の退官まで、省のトップとして手腕を発揮しました。
日本の障害者雇用制度の変遷と現在
法定雇用率の段階的引き上げ
日本の障害者雇用率制度は、企業に一定割合の障害者を雇用することを義務づける仕組みです。民間企業の法定雇用率は段階的に引き上げられてきました。
2021年3月以降は2.3%でしたが、2024年4月に2.5%へ引き上げられ、2026年7月にはさらに2.7%に到達する予定です。この引き上げにより、従業員37.5人以上を雇用するすべての事業主が障害者雇用義務の対象となります。
雇用数は過去最高も課題は山積
厚生労働省の調査によると、民間企業の障害者雇用数と実雇用率は過去最高を更新し続けています。しかし、法定雇用率を達成している企業は大手に偏っており、従業員500人未満の中小企業の半数以上が法定雇用率に達していないという課題があります。
企業が直面する主な課題は以下の通りです。
- 業務の確保: 障害のある従業員に適した業務を見つけ、継続的に提供すること
- 定着支援: 採用した障害者が長期的に働き続けられる環境の整備
- 合理的配慮: 個々の障害特性に応じた職場環境や業務プロセスの調整
- キャリア形成: 障害のある従業員の成長機会とキャリアパスの設計
「義務」から「戦略」への転換
近年注目されているのが、障害者雇用を単なる法的義務ではなく、経営戦略として位置づける「ニューロダイバーシティ経営」という考え方です。発達障害を含む多様な脳の特性を持つ人材の強みを活かし、イノベーションや生産性向上につなげようという発想です。
村木氏が課長として障害者雇用に取り組んだ1990年代後半から約30年が経過し、障害者雇用をめぐる議論は「雇うかどうか」から「いかに活かすか」へと大きく進化しています。
村木氏の退官後の活動と共生社会への貢献
多方面での社会貢献
退官後の村木氏は、全国社会福祉協議会会長、全国老人クラブ連合会会長、中央共同募金会会長など、福祉分野の要職を歴任しています。また、伊藤忠商事や住友化学の社外取締役も務め、民間企業のガバナンスにも関わっています。
さらに、内閣官房孤独・孤立対策担当室の政策参与として、コロナ禍以降に深刻化した社会的孤立の問題にも取り組んでいます。
「あきらめない」姿勢の原点
村木氏のキャリアを貫くのは、「あきらめない」という姿勢です。入省直後のお茶くみ問題、障害者雇用の現場での試行錯誤、そして冤罪事件からの復帰。いずれの局面でも、困難に直面しながらも前を向き続けた姿勢が、結果的に日本の社会政策の発展に大きく貢献しました。
注意点・展望
障害者雇用を取り巻く環境は大きな転換期を迎えています。2026年7月の法定雇用率2.7%への引き上げは、多くの中小企業にとって新たな対応を迫るものです。
ただし、数値目標の達成だけに注力するのは危険です。形式的な雇用にとどまり、障害のある従業員が実質的に戦力として活躍できない「雇用のミスマッチ」が起きれば、企業にとっても当事者にとっても不幸な結果となります。
今後は、村木氏が現場で学んだような柔軟な発想と粘り強い取り組みが、企業の現場でもますます求められるでしょう。テクノロジーの活用による業務のマッチング、リモートワークの普及による通勤バリアの解消など、新たな可能性も広がっています。
まとめ
村木厚子氏の「私の履歴書」は、日本の社会政策の歴史を一人の官僚の視点から照らし出す貴重な記録です。1997年に障害者雇用対策課長として初めてこの分野に足を踏み入れた経験は、その後のキャリア全体を通じて共生社会の実現に取り組む原動力となりました。
2026年7月には法定雇用率が2.7%に引き上げられ、障害者雇用はより多くの企業にとって経営課題となります。村木氏の「コバンザメ作戦」のように、既存の枠組みにとらわれない柔軟な発想で障害者雇用を推進していくことが、真の共生社会の実現につながるのではないでしょうか。
参考資料:
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