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by nicoxz

村木厚子氏の仕事と育児両立術「ダメなら辞めよう」の力

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はじめに

日本経済新聞の連載「私の履歴書」で、元厚生労働事務次官の村木厚子氏が自らのキャリアと人生を振り返っています。第20回となる今回は、仕事と育児の両立に悩んだ30代の経験が語られました。

村木氏は1978年に労働省(現・厚生労働省)に入省し、女性政策や障がい者政策に長年携わってきた人物です。2013年から2015年まで厚生労働事務次官を務め、女性として同省初の事務次官となりました。その華々しいキャリアの裏には、仕事と育児の板挟みに苦しんだ時期がありました。「ダメなら辞めよう」という開き直りが、なぜ彼女を救ったのか。その経験には、現代の働く親世代にも通じる重要な示唆があります。

婦人局時代の激務と母子家庭状態

毎日遅くまで続いた仕事の日々

村木氏が30代で配属された婦人局(現・雇用均等・児童家庭局)は、非常に多忙な部署でした。当時の労働省では、20時前に帰宅することすら「早い」と思われるような環境が常態化していました。

さらに厳しかったのは、夫が長野に単身赴任中だったことです。労働省には30歳前後の職員に地方赴任を経験させるルールがあり、同期だった夫は長野へ赴任していました。村木氏は事実上の母子家庭状態で、家事や育児を分担できる人が身近にいませんでした。

保育ママとタクシーの日々

村木氏は保育ママに子どもを預け、ギリギリまで仕事をしてからタクシーで迎えに行くという生活を続けていました。眠っている子どもを連れて帰る毎日は、心身ともに消耗する日々だったといいます。

慣れない部署での業務に加え、中途半端なやり方では仕事の効率も上がらず、涙が出るほど追い込まれることもありました。「仕事を続けられないかもしれない」というところまで追い詰められた時期です。

「ダメなら辞めよう」という転換点

開き直りがもたらした心の余裕

追い詰められた村木氏が出した答えは、「もう少しだけ頑張ってみて、両立できないと判断したら仕事を辞めよう」というものでした。一見すると消極的にも聞こえますが、この「辞めれば解決する」という選択肢を持つことが、心の平穏をもたらしました。

状況はまるで変わっていないのに、悩み苦しむことがなくなったのです。退路を確保したことで、かえって目の前の仕事に集中できるようになりました。完璧を求めすぎず、「今できることをやる」という姿勢に切り替えることができたのです。

生産的に悩むという考え方

村木氏は「悩むなら、生産的に悩もう」という言葉も残しています。漠然とした不安に押しつぶされるのではなく、具体的に何が問題で、何ができるのかを考える。悩みのエネルギーを解決策の模索に向ける発想です。

これは単なる精神論ではなく、限られた時間と体力のなかで優先順位をつけるための実践的な知恵でもあります。すべてを完璧にこなすことは不可能だと認めた上で、何に力を注ぐかを選び取る。その判断力が、後のキャリアを支える基盤となりました。

ジュネーブ出張という決断

1カ月の海外出張を引き受ける

婦人局時代、村木氏にはスイス・ジュネーブへの1カ月間の出張の打診がありました。ILO(国際労働機関)の総会への出席です。夫は単身赴任中で、まさに母子家庭状態のなかでの打診でした。

村木氏は上司から打診を受けたとき、「はい」と答えました。長期間子どもを預かってくれる人を見つけ、娘に「合宿」という言葉を教えて1カ月預けて出張に臨みました。

国際経験がもたらした視野の広がり

この決断は村木氏のキャリアにとって大きな転機となりました。国連の場で日本がどのような立場にあるのかを肌で感じ、自分がこれまでやってきた仕事の意味を初めて俯瞰的に理解できるようになったといいます。

チャンスが来たとき、完璧な条件が整うのを待っていたら永遠に踏み出せません。「できない理由」を並べるのではなく、「どうすればできるか」を考える。村木氏のこの姿勢は、周囲の支援体制を整えながら挑戦するという、現実的なキャリア形成のモデルを示しています。

注意点・展望

個人の努力だけでは限界がある

村木氏の経験は多くの示唆を含んでいますが、仕事と育児の両立を個人の努力や精神的な切り替えだけで解決しようとすることには限界があります。村木氏自身も後年、働き方改革について「長すぎる労働時間を短くすること」が最も重要だと指摘しています。

職場全体の勤務時間の改善や、育児を支える社会的なインフラの整備がなければ、「ダメなら辞めよう」と思える余裕すら持てない人も多いのが現実です。

現代に問いかけるもの

村木氏が経験した1980年代から90年代と比べれば、育児休業制度や保育所の整備は進みました。しかし、長時間労働の問題や、男性の育児参加の不足、保育の質と量の課題は今なお残っています。村木氏の「私の履歴書」は、過去の体験記であると同時に、現代社会への問いかけでもあります。

まとめ

村木厚子氏の「ダメなら辞めよう」という言葉は、完璧主義から自分を解放するための知恵でした。退路を確保することで心に余裕が生まれ、結果的に仕事を続ける力になったのです。「生産的に悩もう」という考え方も、限られた時間のなかで最善を尽くすための実践的なアプローチです。

仕事と育児の両立に悩む方は、まず「辞めるという選択肢もある」と認めてみてください。不思議なことに、その選択肢を持つだけで、目の前の状況に向き合う力が湧いてくることがあります。村木氏の37年に及ぶキャリアが、それを証明しています。

参考資料:

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