実質賃金プラス定着が遠のくイラン情勢と物価高
はじめに
2026年1月、日本の実質賃金は13カ月ぶりにプラスへと転じました。2026年春闘でも5%超の高水準な賃上げが続き、ようやく「賃金と物価の好循環」が定着するかに見えました。しかし、2月末に勃発した米国・イスラエルによるイラン攻撃とそれに伴うホルムズ海峡封鎖が、原油価格の急騰を引き起こしています。
民間エコノミストの間では、2026年度の消費者物価上昇率の予想を相次いで上方修正する動きが広がっています。せっかくプラスに転じた実質賃金が再びマイナスに逆戻りするリスクが高まっているのです。
本記事では、最新の物価・賃金データとイラン情勢による原油高の影響を整理し、実質賃金プラス定着の見通しを検証します。
2月CPIは3年11カ月ぶりの2%割れ——束の間の物価鈍化
エネルギー補助が押し下げに寄与
2026年2月の全国消費者物価指数(CPI)は、生鮮食品を除く総合(コアCPI)で前年同月比1.6%上昇となりました。これは3年11カ月ぶりに2%を下回る水準です。総合指数も前年同月比1.3%の上昇にとどまっています。
この大幅な鈍化の主因は、政府による電気・ガス代補助の再開です。2月請求分からエネルギー価格が大きく押し下げられ、見かけ上の物価上昇率は大きく低下しました。一方で、生鮮食品およびエネルギーを除く総合指数は前年同月比2.5%上昇と、基調的なインフレ圧力は依然として残っていることを示しています。
1月の実質賃金は13カ月ぶりプラス
厚生労働省が3月8日に公表した毎月勤労統計調査によると、2026年1月の実質賃金は前年同月比1.4%増と、13カ月ぶりにプラスへ転換しました。市場予想の0.9%増を上回る結果です。CPI総合ベースでは1.6%増と2カ月連続のプラスでした。
特筆すべきは、パートタイムを除く一般労働者の基本給(所定内給与)が過去最高の伸びを記録した点です。春闘による賃上げの波及効果が統計にも表れ始めていました。
イラン情勢の緊迫化——原油価格は一時120ドル近辺に
米・イスラエルのイラン攻撃とホルムズ海峡封鎖
2026年2月28日、米国とイスラエルがイランへの軍事攻撃に踏み切りました。これを受けて3月2日にはイラン革命防衛隊がホルムズ海峡の封鎖を宣言。世界の石油生産量の約2割が通過する要衝が事実上の封鎖状態に陥りました。
WTI原油先物価格は攻撃前の1バレル約67ドルから急騰し、3月9日には一時120ドル近辺まで上昇。その後やや落ち着いたものの、3月中旬時点でも98〜102ドル台の高水準で推移しています。
日本への影響は特に深刻
日本は原油輸入の約94%を中東地域に依存しており、タンカーの約8割がホルムズ海峡を経由しています。このため、中東の地政学リスクが日本のエネルギー安全保障に直結する構造的な脆弱性を抱えています。
野村総合研究所の木内登英氏の分析によると、原油価格が1バレル130ドルまで上昇するシナリオでは、実質GDPを1年目で0.58%、2年目で0.96%押し下げると試算されています。消費者物価への影響は初年度で0.63%ポイントの上昇圧力となる見通しです。
民間予測が示す物価シナリオの変化
2026年度CPI予想は平均2.1%に上方修正
イラン情勢を受け、民間エコノミストは2026年度の消費者物価上昇率の予測を相次いで修正しています。現時点の民間予測平均は2026年度のコアCPIで2.1%上昇を見込んでおり、原油高騰前の予測から上方修正された形です。
第一生命経済研究所の星野卓也氏は、資源価格高騰が深刻化した場合、実質GDPを1.0%程度押し下げるリスクがあると指摘しています。また、ガソリン価格は1リットルあたり204円程度まで上昇する可能性があり、家庭用洗剤が9.6%、野菜全般が約1.8%の価格上昇につながるとの試算も示されています。
賃上げ5%超でも物価高に追いつけるか
2026年春闘の第1次集計では、賃上げ率が5.26%と3年連続で5%を超える高水準を記録しました。トヨタ自動車の6年連続満額回答をはじめ、大手製造業を中心に高水準の回答が相次いでいます。
しかし、問題は中小企業との格差です。組合員300人未満の中小労組の賃上げ率は5.05%と大手には及ばず、実際の中小企業の妥結見込みは3〜4%台にとどまるとの見方もあります。物価が2%を超えて推移する場合、中小企業の従業員を中心に実質賃金のマイナスが続く構図が懸念されます。
注意点・展望
政府の物価高対策が「食われる」リスク
政府は電気・ガス代の補助を通じて物価抑制を図っていますが、原油高によってその効果が相殺される懸念があります。第一生命経済研究所の熊野英生氏は「イラン攻撃による原油高騰で政府の物価高対策が食われる」と指摘しており、追加的な財政出動が必要になる可能性があります。
長期化シナリオのリスク
日本総合研究所の分析では、中東からの原油・LNG輸入が途絶した場合、石油備蓄等は約260日で払底し、GDPを3%弱押し下げるとの試算もあります。ホルムズ海峡の封鎖が長期化すれば、日本経済へのダメージは計り知れません。
今後のカギは中東情勢の行方
トランプ米大統領はイランにホルムズ海峡の再開を迫る最後通告を出しており、外交的解決の道筋がつけば原油価格は落ち着く可能性があります。一方で、事態がさらにエスカレートした場合、原油価格が130ドルを超える展開も否定できず、日本の物価シナリオは大きく狂うことになります。
まとめ
2026年1月に13カ月ぶりにプラスへ転じた実質賃金ですが、イラン情勢の緊迫化による原油高がその定着を脅かしています。春闘で5%超の賃上げが続く一方、原油高による物価押し上げが2026年度のCPIを2%超に引き戻す見通しです。
実質賃金のプラス定着には、中東情勢の早期安定化と、中小企業を含む賃上げの裾野拡大の両方が不可欠です。今後はホルムズ海峡を巡る外交交渉の進展と、4月以降の物価統計の推移に注目が集まります。家計への影響を最小限に抑えるため、政府の機動的な対応が求められる局面です。
参考資料:
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