テレワークの落とし穴、体力低下とコミュニケーション偏りの実態
はじめに
コロナ禍を契機に急速に広まったテレワークは、通勤時間の削減や柔軟な働き方を実現し、多くの人にとって欠かせない選択肢となりました。しかし、普及から数年が経過した今、科学研究が次々とその「副作用」を明らかにしています。
通勤で歩かなくなったことによる体力の急激な低下、チャットツールでの議論の偏り、そしてビデオ通話がもたらす精神的な疲労——。これらの問題は個別に見れば小さく感じるかもしれませんが、長期的に蓄積すると働く人の心身に深刻な影響を及ぼす可能性があります。
本記事では、テレワークが抱える3つの主要なリスクについて、最新の研究データとともに解説します。新しい働き方を持続可能なものにするために、今知っておくべきポイントをお伝えします。
テレワークによる体力低下の実態
歩数が激減、1日わずか2,700歩のケースも
テレワークがもたらす最も顕著な変化は、日常の身体活動量の激減です。筑波大学とタニタが行った調査によると、テレワークに切り替えた社員の1日あたりの歩数は平均で約29%減少しました。テレワーク前は平均約1万1,500歩だった歩数が、在宅勤務後には大幅に減少したのです。
特に深刻なケースでは、1日の歩数が約2,700歩まで落ち込んだ例も報告されています。厚生労働省が推奨する1日8,000歩を大きく下回る水準です。通勤という「意識せずに行っていた運動」がなくなることで、ここまで身体活動量が低下するのです。
座りすぎが健康をむしばむ
スタンフォード大学の研究では、完全在宅勤務の人は対面勤務の人と比べて1日あたり約2時間長く座っていることが明らかになりました。具体的には、在宅勤務者の座位時間は1日9.2時間に対し、対面勤務者は7.3時間です。
完全リモートワーカーの65%が座位行動の増加を報告しており、これは在宅勤務ができない人の46%と比べて明確に高い数値です。さらに、40%のリモートワーカーが運動時間の減少を実感しています。
この運動不足が長期化すると、筋力の低下にとどまらず、糖尿病、脂質異常症、高血圧症、メタボリックシンドロームなどの生活習慣病リスクが高まります。厚生労働科学研究の報告書でも、テレワークが多いほど客観的に評価した身体活動量が少なく、脂質代謝指標が不良であることが確認されています。
通勤をしていた頃と比較すると、1日あたり約350キロカロリーのエネルギー消費差が生じます。これは月あたり約7,000キロカロリー、体脂肪に換算すると月に約1キログラムの増加に相当する数値です。
チャットコミュニケーションに潜む議論の偏り
発言が一部の人に集中する構造的な問題
テレワークでは、SlackやTeamsなどのチャットツールが主要なコミュニケーション手段となります。しかし、チャット形式のコミュニケーションには、対面の会議とは異なる構造的な問題が潜んでいます。
最も大きな問題は、発言者の偏りです。チャットでは、テキストでの表現が得意な人や、積極的に発言する傾向のある人の意見が目立ちやすくなります。対面の会議であれば、表情やうなずきなどの非言語的な反応で参加を示せますが、チャットではテキストを入力しなければ存在感を示すことができません。
この結果、一部の声の大きな人の意見が組織の方針を左右しやすくなり、多様な視点が失われるリスクがあります。
テキストコミュニケーションの限界
チャットでのやり取りには、もう一つ重要な問題があります。非言語コミュニケーションの欠如です。対面であれば、声のトーンや表情、身振りから相手の意図や感情を読み取ることができます。しかし、テキストだけのコミュニケーションでは、ニュアンスが伝わりにくく、誤解が生じやすくなります。
コクヨマーケティングの調査によると、テレワーク環境では業務に直結する情報共有にコミュニケーションが偏り、雑談や何気ない会話が減少する傾向があります。この「業務偏重」のコミュニケーションは、チームの信頼関係構築やイノベーションの土台となる関係性の希薄化につながります。
さらに、チャットでは返信のタイムラグが発生するため、リアルタイムの議論が難しくなります。フレックスタイム制を導入している企業では、メンバーの勤務時間が異なるため、即座のフィードバックが得られず、意思決定のスピードが低下する場合もあります。
ビデオ通話疲れの科学的メカニズム
「Zoom疲れ」は脳への過負荷が原因
テレワークで欠かせないビデオ通話ですが、対面のコミュニケーションとは根本的に異なる負荷を脳に与えることが科学的に明らかになっています。スタンフォード大学の研究チームは、「Zoom疲れ」の4つの主要因を特定しました。
第一に、画面上で顔が大きく表示されることによる「過剰なアイコンタクト」です。通常の会議では、相手との距離がある程度保たれますが、ビデオ通話では顔が画面いっぱいに表示され、不自然な近距離でのアイコンタクトが継続します。
第二に、非言語情報の処理に伴う「認知的負荷」です。画面越しでは音声の微妙な遅延や映像のぎこちなさがあり、脳は限られた情報から多くを読み取ろうとフル稼働します。ビデオ通話中の沈黙が「接続の遅延」なのか「考え中」なのか判断する負担も加わります。
第三に、自分の顔が常に画面に表示される「ミラー効果」です。日常生活で鏡を見続けることはありませんが、ビデオ通話では常に自分の表情を見ることになり、自己評価的な思考が絶えず生じます。
第四に、カメラの前に固定される「移動制限」です。対面の会議であれば、姿勢を変えたり、メモを取るために目線を動かしたりすることが自然にできますが、ビデオ通話ではカメラのフレーム内にとどまる必要があります。
メンタルヘルスへの影響も無視できない
完全リモートワーカーの40%が不安や抑うつの症状が増加したと報告しており、これはハイブリッドワーカーの38%、対面勤務者の35%を上回ります。ドイツのヨハネス・グーテンベルク大学マインツの研究チームが2024年に実施した調査では、パンデミック後の働き方においてもビデオ会議の疲労は継続しており、125人の参加者を対象とした10日間の調査で、その影響が改めて確認されました。
注意点・今後の展望
「テレワーク=悪」ではない
重要なのは、これらの研究はテレワーク自体を否定するものではないということです。テレワークには通勤ストレスの軽減、柔軟な時間管理、ワークライフバランスの向上など、多くのメリットがあります。問題は、テレワーク特有のリスクに対する認識と対策が不十分なまま、新しい働き方に移行してしまったことにあります。
今後求められる対策
体力低下への対策としては、意識的に歩く時間を設けることが基本です。厚生労働科学研究では、オンラインシステムやアプリを活用した介入プログラムが行動変容に効果的であることが示されています。1日30分のウォーキングや、1時間ごとのストレッチを習慣化することが推奨されます。
コミュニケーションの偏りについては、チャットだけに頼らず、定期的な音声通話やビデオ通話を組み合わせること、そして「雑談チャンネル」のような業務外のコミュニケーション機会を意図的に設けることが有効です。
ハイブリッドワーク——出社とテレワークを組み合わせた働き方——が、これらの課題に対する現実的な解決策として注目されています。週に数日の出社で身体活動を確保しつつ、テレワークの柔軟性を維持する方法です。
まとめ
テレワークは現代の働き方に不可欠な選択肢ですが、体力低下、コミュニケーションの偏り、ビデオ通話疲れという3つの「副作用」に対する適切な対策が必要です。
通勤がなくなったことで歩数が最大70%減少するケースや、チャットでの議論が一部の発言者に偏るリスク、ビデオ通話が脳に過剰な負荷をかけるメカニズムは、いずれも科学的に裏付けられた課題です。
これらの課題を認識した上で、意識的な運動習慣の確立、コミュニケーション手段の多様化、そしてハイブリッドワークの導入を検討することが、テレワーク社会を持続可能なものにするカギとなります。新しい働き方のメリットを最大限に生かしながら、そのリスクに備えることが、これからの時代に求められています。
参考資料:
- テレワークの常態化による労働者の筋骨格系への影響や生活習慣病との関連性を踏まえた具体的方策に資する研究(厚生労働科学研究)
- From Bad to Worse: The Impact of Work-From-Home on Sedentary Behaviors(スタンフォード大学)
- テレワークはなぜ疲れるのか― Zoom疲労の原因と対策(吉田秀雄記念事業財団)
- 「Zoom疲れ」の4つの原因と対策をスタンフォード大が紹介(ITmedia)
- テレワークでのコミュニケーションにおける課題点と解決策(コクヨマーケティング)
- テレワーク・自宅待機による運動不足で生活習慣病のリスク(日本生活習慣病予防協会)
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