米国観光に「トランプスランプ」、旅行者が世界で唯一減少
はじめに
世界の観光産業がコロナ禍からの回復を遂げ、国際旅行者数が増加を続けるなか、米国だけが逆行している。世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)とオックスフォード・エコノミクスの分析によれば、184カ国の経済圏のうち、2025年に外国人観光客の支出が減少したのは米国ただ一国である。2025年1月から11月までに米国を訪れた外国人旅行者数は前年同期比5.4%減の約6,237万人にとどまり、新型コロナウイルス禍の回復基調が始まって以来、初めての減少に転じた。業界では「トランプスランプ(Trump Slump)」と呼ばれるこの現象の背景には、トランプ政権の移民政策強化、関税をめぐる貿易摩擦、そして米国に対する国際的なイメージの悪化がある。
数字が示す「米国離れ」の実態
全体像:世界唯一のマイナス成長
2025年、世界全体の国際旅行者数は前年比4%増加した。フランスは1億500万人、スペインは9,650万人の旅行者を迎え入れ、いずれも過去最高を更新している。一方、米国の外国人旅行者数は約6,800万人にとどまり、2024年の7,240万人から大幅に減少した。米国旅行協会(U.S. Travel Association)は、2025年の国際旅行者数が前年比6.3%減少すると予測していたが、実際の数字もこれに近い水準で推移した。
地域別の減少状況
特に顕著なのがカナダからの旅行者減少である。カナダ統計局のデータによれば、2025年11月にカナダ人が米国から帰国した旅行件数は前年同月比23.6%減少しており、年間を通じてカナダからの訪問者は約2割減となった。トランプ大統領がカナダを「51番目の州」にするとほのめかしたことへの反発から、カナダ国民の間では米国旅行や米国製品のボイコット運動が広がった。
欧州からの旅行者も大きく減少している。西欧全体では2.3%の減少だが、国別に見ると事態はより深刻である。デンマークからの旅行者は21.1%減と最大の落ち込みを記録した。これはトランプ大統領がデンマーク自治領のグリーンランド併合を示唆したことに対する反発が背景にある。ドイツからは11.6%減(一部データでは28.5%減とする報告もある)、英国からは14.8%減、スペインからは24.5%減となった。アジアからは7%減、中国からは11%減、アフリカからは9%減、中米からは6%減と、地域を問わず減少が広がっている。
経済的損失
WTTCの試算によれば、2025年に米国が失った外国人旅行者の支出額は約125億ドル(約1兆8,700億円)に達する。外国人観光客による支出は2024年の1,810億ドルから1,690億ドル未満に減少した。米国旅行協会は、約1,100万人の潜在的な国際旅行者を失ったことで、ホテル、レストラン、小規模事業者に数十億ドル規模の損失が生じていると分析している。
トランプ政権の政策が観光に与えた影響
入国規制と渡航禁止令の強化
トランプ政権は就任直後から、主にアフリカや中東の国々を対象とした渡航禁止令を復活させた。ハイチやイランなど十数カ国からの入国が制限されており、この措置は2026年のFIFAワールドカップ開催時にも適用される見込みで、何千人ものサッカーファンが入国できない可能性が指摘されている。
入国審査の厳格化も旅行者を遠ざける要因となっている。入国時の身体検査や持ち物検査がより侵襲的になり、長時間の拘留や強制退去の事例も報告されている。複数の国が、反LGBTQ+の風潮を理由に自国民に対して米国渡航に関する注意喚起を発出した。
ビザ関連の新規制と負担増
2025年7月4日に署名された「ワン・ビッグ・ビューティフル・ビル法」に基づき、250ドル(約3万7,000円)の「ビザ完全性手数料(Visa Integrity Fee)」が2025年10月に導入された。この手数料はB-1/B-2(観光)、F-1(学生)、H-1B(専門職)など、ビザ免除プログラム(VWP)対象外のすべての非移民ビザ申請者に課される。年間約7,200万人のインバウンド旅行者のうち、VWP対象外の旅行者にとっては大きな負担増となる。
さらに、2025年12月には税関・国境警備局(CBP)がビザ免除プログラム利用者に対し、過去5年分のソーシャルメディアアカウント情報、メールアドレス、電話番号、詳細な家族情報、さらにセルフィー写真の提出をESTA(電子渡航認証システム)経由で求める提案を公表した。プライバシー団体や旅行業界からは、観光への悪影響と表現の自由への懸念の声が上がっている。
関税政策と外交摩擦
トランプ政権による関税引き上げや貿易交渉の強硬姿勢は、経済的な影響にとどまらず、米国に対する国際的な感情の悪化を招いている。調査会社の調べでは、旅行者が米国を訪れたくない理由の第1位は「政治情勢」で、訪米を避ける可能性が高いと回答した人の63%がこの理由を挙げた。次いで「ビザ制限などの規制」が37%、「トランプ大統領の個人的な言動への嫌悪感」が35%、「経済的要因」が28%と続いている。ドイツ人の59%、カナダ人の62%が「政治的環境を理由に米国訪問の可能性が低くなった」と回答しており、特にこれらの国で反米感情が強まっている。
国立公園の料金引き上げ
トランプ政権は国立公園の入場料を外国人向けに値上げする方針も打ち出しており、米国の自然観光資源へのアクセスコスト増加も旅行者離れの一因となっている。
注意点・展望
2026年に向けて、米国の観光産業にはいくつかの重要な転換点が控えている。最大のイベントは2026年夏に米国・カナダ・メキシコの3カ国で共催されるFIFAワールドカップである。ショーン・ダフィー米国運輸長官は最大600万人の訪問者を見込んでいるが、渡航禁止令の対象国からのファンが入国できない問題や、欧州におけるボイコット論(特にドイツではグリーンランド問題をめぐるW杯ボイコット論が浮上している)が大会に影を落とす可能性がある。
また、2026年1月時点で国際旅行者数はさらに前年比4.8%減少しており、「トランプスランプ」が短期的な現象にとどまらず、構造的な問題に発展するリスクも指摘されている。ビザ完全性手数料やソーシャルメディア情報提出の義務化が本格的に運用されれば、旅行者の心理的・金銭的ハードルはさらに上がるだろう。一方で、ワールドカップが開催都市に短期的な経済効果をもたらすことは確実であり、この機会をいかに活用できるかが米国観光産業の試金石となる。
まとめ
2025年、米国は世界184カ国の中で唯一、外国人旅行者の支出が減少した国となった。前年比5.4%減という数字の背景には、トランプ政権による入国規制の強化、250ドルのビザ完全性手数料の導入、ソーシャルメディア情報の提出要求、関税政策をめぐる外交摩擦、そして米国の政治環境に対する国際的な忌避感がある。経済損失は125億ドルに上り、ホテル、レストラン、地域の観光事業者が打撃を受けている。2026年のFIFAワールドカップは回復の契機となり得るが、現行の政策が維持される限り、「トランプスランプ」の克服は容易ではないだろう。
参考資料:
- Foreign tourism to the US drops amid Trump-era policies - Al Jazeera
- A downturn in international travel to the U.S. may last beyond summer - PBS News
- U.S Economy Set To Lose $12.5BN In International Traveler Spend - WTTC
- With fewer Canadian arrivals, inbound U.S. travel will decline - Travel Weekly
- US Tourism Recovery Slows as International Arrivals Plummet - TravelPulse
- Travelers to the U.S. must pay a new $250 ‘visa integrity fee’ - CNBC
- Will a ‘Trump slump’ continue to hit US tourism in 2026 - The Conversation
- Tourism boycott? Europe travel to US drops - Euronews
- Denmark sharp decline in US tourism - Travel And Tour World
- International Travel to the U.S. Has Dropped for 7 Straight Months - Skift
関連記事
訪日客4270万人で過去最多、消費額9.5兆円の背景
2025年の訪日外国人観光客数が初めて4000万人を突破し過去最多を記録。欧米豪からの旅行者が増加する一方、中国からの訪日客は12月に45%減少。インバウンド市場の現状と今後の課題を解説します。
ANAとJALの上級座席競争を需要回復と機材更新戦略から読む
ANAは2026年8月受領の787-9に個室型ビジネスクラス「THE Room FX」を載せ、JALは2027年度から737-8で国内線ファーストクラスを全国展開します。訪日客4268万人、訪日消費9兆4559億円、国内旅行消費26兆7746億円の時代に、航空会社が座席を上質化する収益戦略を読み解きます。
ホルムズ逆封鎖で原油105ドル台 市場が織り込む三つの不足
2026年4月13日朝、WTI先物は時間外で105.51ドルまで上昇しました。発端はトランプ政権によるホルムズ海峡の「逆封鎖」表明です。通航再開ではなく、イラン向け航路の管理強化に踏み込んだことで、供給、船腹、政策余地の三つが同時に不足する構図が意識されました。日本への波及と価格高止まりの理由を解説します。
飲食店ファストパス拡大を支える若者の時間価値と選別消費の構造
飲食店で広がる有料ファストパスは、単なる行列回避策ではありません。価格転嫁が難しい外食店の新収益源である一方、若年層のタイパ志向、訪日客の時間制約、物価高下のメリハリ消費が重なることで需要が生まれています。待ち時間調査、倒産件数、外食市場、訪日客データを基に、普及の背景と公平性の論点を解説。
海外旅行はなぜ減らないのか国際情勢下で続く観光回復の構造を読む
2025年の国際観光客数は15.2億人と推計され、2026年も需要は底堅い見通しです。航空需要の伸び、ビザ緩和、価値志向の旅行、スペインと日本の記録更新を手掛かりに、地政学リスクやオーバーツーリズム、人手不足を抱えながら海外旅行が拡大を続ける理由と、到着者数の数字をどう読むべきかを丁寧に解説します。
最新ニュース
ブラジルがBYD「奴隷労働」認定を撤回した背景と波紋
ブラジル政府が中国EV大手BYDを「奴隷労働」企業に認定後わずか2日で撤回し、認定を主導した労働監督局長を解任した。カマサリ工場建設現場で163人の中国人労働者がパスポート没収・賃金搾取の被害に遭った事件の経緯と、中国との外交関係を優先する政治判断が労働者保護を揺るがす構造的問題を読み解く。
AI半導体株高が再点火した理由 世界株高を支える成長と危うさの正体
日経平均は4月14日に5万7877円へ反発し、米ナスダックも戦争ショック後の下げをほぼ吸収しました。なぜAI・半導体株に資金が戻るのか。TSMC、ASML、Broadcom、半導体ETF、原油高との綱引きを手掛かりに、世界株高の持続条件と崩れやすさを解説します。
Amazonのグローバルスター買収 通信衛星戦略と競争環境整理
Amazonは2026年4月14日、Globalstarを総額115.7億ドルで買収すると発表しました。狙いは衛星通信網、Band n53の周波数、Apple向けサービス、そしてDirect-to-Device市場です。Starlink先行の構図の中で、Amazon Leoが何を得て何が課題として残るのかを整理します。
ANA人事騒動は何だったのか 1997年対立と統治改革の起点
1997年のANA人事騒動は、若狭得治名誉会長、杉浦喬也会長、普勝清治社長の対立が表面化し、社長候補の差し替えまで起きた統治危機でした。背景には規制緩和下での旧運輸官僚主導と生え抜き経営のねじれがありました。1999年の無配、取締役31人から19人への削減、スターアライアンス参加へつながる改革の意味を読み解きます。
ANAとJALの上級座席競争を需要回復と機材更新戦略から読む
ANAは2026年8月受領の787-9に個室型ビジネスクラス「THE Room FX」を載せ、JALは2027年度から737-8で国内線ファーストクラスを全国展開します。訪日客4268万人、訪日消費9兆4559億円、国内旅行消費26兆7746億円の時代に、航空会社が座席を上質化する収益戦略を読み解きます。