「未来省」構想が問いかける将来世代への責任と気候政策

by nicoxz

はじめに

2025年1月、スイスのチューリヒで地球温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」に基づく新たな機関が発足する——。これはアメリカのSF作家キム・スタンリー・ロビンソン氏が2020年に出版した小説『未来省』の筋書きです。現世代の世界市民と同じ権利を持つ将来世代の代弁者を自任し、脱炭素に必要な政策や技術を総動員する組織という設定は、フィクションながら現実の政策論議に示唆を与えています。

高市早苗政権が発足した日本では、エネルギー安全保障と脱炭素の両立が課題となっています。「未来省」という発想は荒唐無稽に見えるかもしれませんが、将来世代の視点を政策決定に組み込む「フューチャーデザイン」という手法は、すでに日本の自治体や財務省で実践が始まっています。

この記事では、気候変動対策における将来世代への責任という視点から、日本が取り組むべき課題と可能性について考察します。

SF小説『未来省』が描いた世界

2000万人の命を奪った大熱波

キム・スタンリー・ロビンソンの『未来省』(原題:The Ministry for the Future)は、2020年に出版されたSF小説です。物語は近未来のインドを襲う大熱波から始まります。この災害で2000万人もの命が失われ、それが人類にとっての転機となります。

小説では、国連に「未来省」という組織が設立されます。この機関は将来世代の利益を代表する役割を担い、地球工学(ジオエンジニアリング)、デジタル通貨、経済政策、政治交渉など、あらゆる手段を動員して気候変動に立ち向かいます。

世界的な評価と影響力

本作はバラク・オバマ元大統領が2020年のベストブックに選び、ビル・ゲイツ氏も推奨したことで注目を集めました。著者のロビンソン氏は2021年のCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)にパネリストとして招かれるなど、フィクションが現実の政策議論に影響を与えた稀有な例となっています。

106章から成る長編は、直線的な物語というより、世界各地の人々や事件を点描しながら進むシミュレーション風の構成が特徴です。環境科学だけでなく、経済や宗教まで巻き込む情報量で、現代から2050年代までの気候危機を描いています。

フューチャーデザインという日本発の試み

将来世代の代弁者を作る

『未来省』の発想はフィクションですが、類似した考え方が日本で生まれています。「フューチャーデザイン」は、経済学者の西條辰義氏が提唱した思考法で、将来世代は現在の政策決定に意思を反映できないという問題意識に立っています。

その発想は単純です。将来世代の利益を守る人がいないのであれば、「将来世代になったつもり」の人間を作って将来世代の代理をさせればいいというものです。西條氏たちは、この役割を担う人を「仮想将来世代」または「仮想将来人」と呼びました。

岩手県矢巾町の画期的な実践

仮想将来世代の仕組みを初めて政策的な意思決定に応用したのが岩手県矢巾町です。2015年度に大阪大学との共同研究協定を締結し、フューチャーデザインの実践を開始しました。

矢巾町では、水道事業の持続可能性が課題でした。「水道サポーター」と呼ばれる町民グループが8年間取り組んでも解決できなかった問題が、フューチャーデザインを取り入れたワークショップで突破口を見出しました。

注目すべきは、町民自らが「周辺地域の上下水道整備はしない」「水道料金を上げる」という提言を出したことです。現世代にとっては負担増となる決定を、将来世代の視点に立つことで合意できたのです。

2019年には役場に「未来戦略室」が設置され、2023年には「未来戦略課」に格上げされました。まさにフィクションの「未来省」が自治体レベルで実現した形です。

財務省での活用開始

フューチャーデザインは国の政策立案にも広がりつつあります。財政制度等審議会でも議論のテーマとなり、財務省ではフューチャーデザイン活用のための取り組みを開始しています。

2023年2月には財政制度等審議会の資料として「将来世代の視点(フューチャーデザイン)」が取り上げられました。持続可能な社会を実現するための政策決定手法として、注目度が高まっています。

日本の気候変動政策の現状

新たな削減目標

日本は2025年2月に新たな温室効果ガス削減目標を掲げました。2035年度に2013年度比で60%削減、2040年度に73%削減という野心的な目標で、2050年のカーボンニュートラル実現に向けた直線的な経路を示しています。

2026年度からは、二酸化炭素の直接排出量が一定規模以上の事業者に対して、排出量取引制度への参加が義務付けられます。業種ごとの特性を考慮した政府指針に基づき、排出枠が無償で割り当てられる仕組みです。

環境基本計画の転換

2024年5月に閣議決定された第六次環境基本計画は、環境保全を通じた「現在及び将来の国民一人一人のウェルビーイング/高い生活の質の向上」を最上位目的として掲げました。将来世代への配慮が明確に位置付けられた点で、従来からの進化といえます。

高市政権のエネルギー政策

原子力重視の姿勢

2025年10月に発足した高市早苗政権は、エネルギー政策において明確な方向性を示しています。高市首相は「エネルギー自給率100%」を目指すとして、次世代革新炉と核融合炉の早期実装を訴えています。

所信表明演説では「国産」の脱炭素エネルギーの重要性に言及し、原子力発電やペロブスカイト太陽電池、核融合発電などを候補として挙げました。電気事業連合会の林欣吾会長は、原子力発電活用への積極姿勢を「非常に心強い」と評価しています。

太陽光発電への選別的姿勢

一方で、太陽光発電など再生可能エネルギーについては選別的な姿勢を示しています。高市首相は「これ以上私たちの美しい国土を外国製の太陽光パネルで埋め尽くすことには猛反対だ」と述べ、再エネ補助制度の見直しを示唆しました。

ただし、日本勢が強みを持つペロブスカイト太陽電池については開発・普及を推進する立場です。中国製パネルによる大規模メガソーラー開発が自然環境を破壊している点を問題視し、補助金制度の「大掃除」が必要だとしています。

脱炭素と経済安全保障の両立

高市政権のエネルギー政策は、脱炭素と経済安全保障の両立を目指すものといえます。化石燃料への依存による海外への国富流出やエネルギー安全保障の問題を指摘し、原子力発電の推進などを通じてエネルギー自給率を引き上げる方針です。

ただし、原子力発電所の再稼働や建て替えには安全性の確保と国民の不安払拭が不可欠であり、今後どの程度進むかは不透明な部分も残ります。

注意点・展望

「勝負の10年」の重要性

気候変動対策は「勝負の10年」を迎えています。1.5℃目標を達成するには、2050年までに世界の二酸化炭素排出量を実質ゼロにし、2030年までに2010年比で約45%削減することが必要とされています。

日本が掲げた2035年60%削減、2040年73%削減という目標は野心的ですが、達成には産業構造の転換を含む大きな変革が求められます。

将来世代の視点をどう組み込むか

フューチャーデザインの実践が示すように、将来世代の視点を政策決定に組み込むことで、現世代の短期的利益を超えた選択が可能になります。矢巾町の水道料金値上げの事例は、その可能性を示す好例です。

しかし、全ての政策領域でこうした手法を導入することは容易ではありません。国や自治体に「将来省」「将来課」のような専門部署を設置し、仮想将来世代の視点から政策を検証する仕組みづくりが求められています。

技術革新と制度設計の両輪

気候変動対策には、技術革新と制度設計の両方が必要です。原子力や核融合、ペロブスカイト太陽電池といった技術開発を進めると同時に、排出量取引制度やカーボンプライシングといった経済的インセンティブの設計も重要です。

『未来省』が描いたように、あらゆる政策や技術を総動員するアプローチが、現実の気候変動対策にも求められています。

まとめ

SF小説『未来省』が描いた将来世代の代弁機関という発想は、日本のフューチャーデザインという形で現実の政策に取り入れられつつあります。岩手県矢巾町の「未来戦略課」から財務省の取り組みまで、将来世代の視点を政策決定に組み込む試みは着実に広がっています。

高市政権のエネルギー政策は、原子力を軸にエネルギー自給率向上と脱炭素の両立を目指すものです。技術開発の選択に議論はあるものの、将来を見据えたエネルギー安全保障という視点は重要です。

「未来省はいかが」という問いかけは、単なる組織新設の提案ではありません。政策決定において将来世代の利益をどう守るか、現世代の私たちに突き付けられた根本的な問いなのです。気候変動という人類共通の課題に向き合う上で、フィクションから学ぶべきことは多いといえるでしょう。

参考資料:

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