久米宏さん死去、テレビ報道に革命をもたらした名キャスター

by nicoxz

はじめに

テレビ朝日系報道番組「ニュースステーション」のキャスターとして知られるフリーアナウンサーの久米宏さんが、2026年1月1日に肺がんのため亡くなりました。81歳でした。所属事務所「オフィス・トゥー・ワン」が1月13日に公式サイトで発表しました。

久米さんは「ザ・ベストテン」「ぴったしカン・カン」で人気を博した後、「ニュースステーション」で18年半にわたりメインキャスターを務め、日本のテレビ報道に新しいスタイルを切り開きました。

この記事では、久米宏さんの功績と、半世紀にわたる放送人生を振り返ります。

久米宏さんの経歴

TBSアナウンサーとしてスタート

久米宏さんは1944年7月14日、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)で生まれました。早稲田大学を卒業後、1967年にTBSにアナウンサーとして入社しています。

入社後は、1970年から永六輔さんの「土曜ワイドラジオTOKYO」で実質的なラジオの仕事をスタート。ここから放送人としてのキャリアが始まりました。

「ザ・ベストテン」で人気者に

TBS時代に久米さんの名を広く知らしめたのが、音楽番組「ザ・ベストテン」です。1978年の番組開始当初から1985年まで、黒柳徹子さんとともに司会を務めました。

番組はオリジナリティあふれる演出、中継での歌唱、黒柳さんと久米さんの絶妙な掛け合いなどが人気を集め、1年足らずで常時30%近い視聴率を獲得する人気番組となりました。

黒柳さんは久米さんの訃報を受け、「私には親友という人が、いるようで、いなかった。あなたは、その中で『ザ・ベストテン』以来本当の親友だった」とコメントを発表しています。

クイズ番組でも活躍

久米さんは「ぴったしカン・カン」など、クイズ番組の司会でも人気を博しました。軽妙な語り口と機転の利いたトークで、視聴者を楽しませました。

「ニュースステーション」での革命

民放報道の新しいスタイルを確立

1979年にフリーとなった久米さんは、1985年10月から「ニュースステーション」のメインキャスターに就任しました。「今までにない全く新しい報道番組を目指す」「中学生にも分かる」番組作りを信念に掲げてのスタートでした。

久米さんは、ニュース番組に独自の視点や語り口を持ち込んだ草分け的存在です。歯に衣着せぬコメントや親しみやすい語り口で高い視聴率を獲得し、民放報道番組のあり方に大きな影響を与えました。

テレビ朝日は「日本のテレビ報道における新しいスタイルのニュース番組を切り開いていただきました」と評価しています。

18年半の長寿番組に

「ニュースステーション」は2004年3月まで18年半続き、放送回数4795回、平均視聴率14.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しました。後継番組「報道ステーション」へと受け継がれ、現在も続く長寿枠となっています。

報道ステーションのキャスター大越健介さんは「時に厳しく、そして痛快に、縦横無尽のスタジオワークでニュースの本質に迫る姿は、テレビ報道の革命児そのものでした」とその功績を称えました。

番組最終回の伝説

2004年3月26日の番組最終日、久米さんはエンディングで「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲み干し、「本当にお別れです。さようなら!」と手を振って18年半のキャスター生活にピリオドを打ちました。この演出は多くの視聴者の記憶に残っています。

受賞歴

1990年5月には、ニュースステーションのキャスターとしての業績に対し、第27回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞しました。司会者としての活動が評価され、テレビ部門とラジオ部門の両方でギャラクシー賞を受賞しています。

ラジオでも支持を集めた晩年

「久米宏 ラジオなんですけど」

テレビの第一線を離れた後も、久米さんはラジオで活躍を続けました。2006年10月からTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」を担当し、2020年6月まで約14年にわたって放送を続けました。

最終回では「1970年に永六輔さんの番組に拾ってもらったことで仕事を始めてから、ぴったり50年。半世紀にわたって十分やった」と振り返っています。

番組終了の理由

久米さんは番組終了の理由について「ここ数年、集中力とか記憶力が落ちてきたので、『下り坂になって止めるのではなく、良い時に番組を終えることが、リスナーにとっても出演者にとっても良い思い出になる』という持論に沿った」と語っていました。

妻・麗子さんからの追悼コメント

妻の麗子さんは訃報発表に際し、「久米は、最後まで”らしさ”を通したと思います」とコメントを寄せました。

「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように」と、久米さんらしい最期だったことを明かしています。

「自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います」と、半世紀にわたる放送人生を総括しました。通夜および葬儀は、遺族の意向により近親者で執り行われたとのことです。

各界からの追悼の声

黒柳徹子さん

「ザ・ベストテン」で名コンビを組んだ黒柳徹子さんは、40年以上前の2ショット写真を公開し、「あなたとのナマ放送の厳しいやりとり懐かしいです。本当は涙もろく優しい人だった。久米さん、『さよなら』は言いたくない、いつか会える時が来たら、続きを話しましょう」と追悼しました。

TBSラジオ

久米さんが長年活躍したTBSラジオは「放送に新しい風を吹き込んだ」と追悼し、半世紀以上にわたる貢献に感謝の意を表しました。

報道ステーション

「ニュースステーション」の後継番組である「報道ステーション」は、訃報を受けて「特別版でお送りします」と告知。冒頭から約40分にわたって久米さんを追悼し、かつての「ニュースステーション」を再現する演出も行われました。

まとめ

久米宏さんは、エンターテインメントから報道まで、幅広いジャンルで活躍した稀有な放送人でした。「ザ・ベストテン」では黒柳徹子さんとの名コンビで音楽番組を盛り上げ、「ニュースステーション」では民放報道に新しいスタイルを確立しました。

「中学生にも分かる」という信念のもと、難しいニュースを分かりやすく伝える姿勢は、その後のテレビ報道に大きな影響を与えました。18年半にわたるキャスター生活、そして「ラジオなんですけど」での14年間を通じて、約50年にわたり放送の第一線で活躍し続けた久米さんの功績は、日本の放送史に刻まれています。

ご冥福をお祈りいたします。

参考資料:

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