三六協定の締結率5割どまり、残業規制緩和の是非を問う

by nicoxz

はじめに

日本の労働時間規制をめぐる議論が再び活発化しています。高市早苗首相は「日本成長戦略会議」を設置し、残業規制の見直しを検討していますが、そもそも残業のための「三六(サブロク)協定」を締結している事業所は約5割にとどまっているという現実があります。

この数字が意味するのは、多くの事業所では法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超える残業自体が存在しないか、あるいは協定の存在を知らないまま違法な残業が行われている可能性です。残業規制の緩和が経済成長に本当に寄与するのか、慎重な検証が求められています。

本記事では、三六協定の実態と残業規制緩和をめぐる議論の背景、そして今後の労働政策の方向性について解説します。

三六協定とは何か

労働基準法が定める労働時間の原則

労働基準法は、労働時間の上限を1日8時間、週40時間と定めています。この法定労働時間を超えて従業員に残業や休日労働をさせる場合には、労使間で「時間外・休日労働に関する協定」を締結し、労働基準監督署に届け出る必要があります。

この協定は労働基準法第36条に基づくことから「三六協定」と呼ばれています。三六協定がない状態で残業を命じることは、たとえ1分でも労働基準法違反となり、6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金の対象となります。

残業時間の上限規制

2019年に施行された働き方改革関連法により、残業時間の上限が法的に規定されました。原則として月45時間、年360時間が上限となります。繁忙期など特別な事情がある場合でも、特別条項付き36協定を締結した上で、年720時間以内、月100時間未満(休日労働含む)、2〜6ヶ月平均80時間以内という厳格な制限があります。

この月100時間、複数月平均80時間という基準は、いわゆる「過労死ライン」を意識して設定されたものです。違反した場合には罰則が適用されるため、企業は労働時間管理の厳格化を迫られています。

三六協定締結率の実態

中小企業で5割を下回る締結率

厚生労働省の調査によると、三六協定を締結している事業所の割合は、大企業で94%に達する一方、中小企業では43.4%にとどまっています。つまり、中小企業の半数以上が三六協定を締結していない状態です。

この数字は何を意味するのでしょうか。三六協定を締結していない理由として最も多いのは「時間外労働・休日労働がない」で43%を占めます。次いで「協定の存在を知らなかった」が35.2%、「締結・届出を失念した」が14%となっています。

締結率の低さが示す可能性

締結率の低さには、2つの解釈が可能です。1つは、多くの事業所では実際に残業が発生しておらず、規制緩和の必要性が限定的であるという見方です。もう1つは、法令遵守の意識が低く、協定なしで違法な残業が行われている可能性です。

厚生労働省の監督指導結果によると、調査対象事業場の81.2%で法令違反が確認され、そのうち42.6%が違法な時間外労働でした。このデータは、後者の可能性も無視できないことを示唆しています。

残業規制緩和をめぐる議論

高市政権の「働きたい改革」

高市早苗首相は2025年10月の就任時、労働時間規制の緩和検討を厚生労働相に指示しました。「心身の健康維持と従業者の選択を前提」としつつ、「多様な働き方を踏まえたルール整備」を進めるという方針です。

首相が新設した「日本成長戦略会議」では、残業上限の引き上げや裁量労働制の拡大など、働き方の柔軟化を多角的に検討しています。これは、経済成長の足かせになっているとの声に応えた動きといえます。

経済界と労働界の温度差

経済界はこの方針を概ね歓迎していますが、注目すべきは経団連でさえ「過労死ライン(月100時間)未満」の規制については「堅持すべき」との立場を示している点です。つまり、緩和議論の焦点は、原則の月45時間や年720時間といった上限の見直しに絞られています。

一方、労働団体からは「過労死の増加につながる」として強い反対の声が上がっています。総務省のデータでは、「就業時間を増やしたい」と考える人は全体のわずか6.4%にとどまり、国民の支持が広がっているとは言いがたい状況です。

労働基準法改正の先送り

当初2026年の通常国会での提出が見込まれていた労働基準法改正案は、先送りが決まりました。厚労省で進んでいた議論は「14日以上の連続勤務禁止」など労働者保護を強化する方向でしたが、高市首相の緩和指示により、方向性の再検討が必要となったためです。

約40年ぶりの抜本改正となるはずだった法案は、成長戦略会議での議論を踏まえ、来年夏に向けて政策の方向性が検討されることになります。

労働時間と経済成長の関係

労働時間は減少傾向

日本の就業者の平均週間就業時間は、2000年の42.7時間から2024年には36.3時間へと、四半世紀で15%減少しています。この間、労働時間の減少によるGDPへのマイナス寄与は約40兆円と試算されています。

しかし同時期に、1時間当たりの実質労働生産性は16.2%上昇し、GDPへのプラス寄与は約77兆円に達しました。つまり、生産性向上が労働時間減少のマイナスを大きく上回っており、「労働時間を減らすと経済が縮小する」という単純な図式は成り立っていません。

長時間労働と生産性の関係

OECDのデータによると、労働時間の長い国ほど労働生産性が低い傾向があります。理論的にも、追加的な労働から得られる生産量の増加分は次第に減少し、残業時の生産性は低下するとされています。

内閣府の分析では、有給休暇取得促進や残業抑制の取り組みを行った企業でも生産性は低下しなかったという結果が出ています。「働き方改革で生産性が下がる」という懸念は、データからは裏付けられていないのです。

2024年問題と業種別の課題

猶予期間終了の影響

2024年4月から、建設業・運送業・医師にも残業時間の上限規制が適用されました。これらの業種は業務の特性から5年間の猶予が設けられていましたが、いわゆる「2024年問題」として様々な影響が生じています。

特に運送業では、ドライバーの年間残業上限が960時間に制限されたことで、物流会社の収益性低下やドライバー不足の深刻化、荷主側の運賃上昇といった問題が顕在化しています。

規制と人手不足の両立

労働時間規制の強化は、人手不足が深刻な業種ほど大きな影響を与えます。単純に規制を緩和すれば解決するわけではなく、生産性向上やデジタル化による業務効率化、適正な価格転嫁といった構造的な対応が不可欠です。

長期的には、労働時間を増やすことがイノベーションや生産性向上への取り組みを後退させ、かえって経済成長にマイナスになるとの見方もあります。

まとめ

三六協定の締結率が5割にとどまるという事実は、残業規制緩和の議論に重要な示唆を与えています。規制によって働き控えが起きているケースは限定的である可能性が高く、緩和の効果は予想より小さいかもしれません。

むしろ重要なのは、法令遵守の徹底と生産性向上の両立です。労働時間と経済成長の関係は単純ではなく、長時間労働が必ずしも経済成長につながるわけではありません。高市政権が進める労働政策の見直しには、データに基づいた冷静な議論が求められます。

参考資料:

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