日本とASEANが母語AI開発で連携、中国の影響力に対抗

by nicoxz

はじめに

AI技術が社会インフラとして定着する中、言語的多様性の高いASEAN地域において、自国語対応の大規模言語モデル(LLM)開発が重要な課題となっています。日本政府は2026年、ASEAN諸国と連携して各国の現地語を学習したAIの共同開発に乗り出す方針を明らかにしました。まずカンボジアでクメール語対応のLLMを整備し、その後他のASEAN諸国にも展開する計画です。背景には、低コストを武器に新興国で急拡大する中国製AIへの対抗意識があります。本記事では、この取り組みの戦略的意義とASEAN諸国のデジタル主権確保への動きを詳しく解説します。

日本とASEANの母語AI開発プロジェクト

カンボジアでのクメール語AI開発

日本政府は東南アジア諸国連合(ASEAN)と、各国の現地語を学んだ人工知能の共同開発に乗り出します。最初の対象国はカンボジアで、公用語のクメール語を使ったAIの大規模言語モデル(LLM)の整備を日本が支援する計画です。

クメール語は約1,600万人の話者を持つカンボジアの公用語ですが、英語や中国語と比較すると、AIの学習データとなるデジタル化されたテキストが限られています。日本の技術と財政支援により、クメール語の言語的特性を深く理解したAIモデルの構築を目指します。

官民協力の枠組み

2024年7月、日本政府は東南アジアの言語・文化に根ざした生成AIの基盤整備について官民協力の枠組みをつくることを表明しました。各国の大規模言語モデル(LLM)の構築を日本が技術、財政の両面で支える方針です。

この取り組みは、ASEAN各国との協力を深め、アジアにおける日本のAI技術の影響力を強化する戦略の一環として位置づけられています。共同開発や人材育成を通じて、今後の情報社会で基盤となるAI分野での協力体制を深めることが狙いです。

中国製AIの急速な普及とその影響

低コストを武器にした世界展開

中国発のDeepSeek(ディープシーク)によるオープンソース型LLMの開発コストはChatGPTの10分の1以下とされ、これを機にAIの価格競争が激化しています。DeepSeekの中国国外のDAU(1日当たりユーザー数)は2025年2月時点で3,685万人に達し、4割以上が18〜24歳の若年層です。

低コストを武器にした中国製AIエージェントが新興国など世界で急拡大しており、医療、教育、法務、金融など特定の用途や産業分野向けに最適化されたモデル提供において中国系のサービスが多く見られます。

中国のAIモデル開発力

2025年7月の世界人工知能大会で明らかになったデータによると、中国でこれまでに発表された大規模言語モデル(LLM)が1,509種類に上り、国別でトップとなっています。中国の生成AI技術が米国を猛追しており、国内で登録されたAIモデル数は半年で4割増え、米国勢との性能差も縮小しています。

懸念される影響力拡大

中国製AIの普及には、中国当局への情報漏洩や中国のナラティブ(価値観や世界観)の拡大に対する懸念が指摘されています。AIモデルには開発企業やその会社が立地する国の世界観が反映されるため、どの国のAIを使うかは単なる技術選択ではなく、デジタル主権に関わる重要な政策判断となっています。

ASEAN諸国のデジタル主権確保への動き

自国語対応AIの戦略的重要性

非英語対応LLMの研究開発は、言語的多様性の高い東南アジアや南アジアの諸国において特に急務とされています。自国語に対応したAIモデルを持つことは、単なる利便性の向上ではなく、デジタル時代における国家の主権確保に直結する課題です。

東南アジア市場では、インドネシア語、タイ語、ベトナム語などのローカル言語に対応した大規模言語モデルへの最適化が必須となっています。各国は外国製AIに依存せず、自国の言語と文化を深く理解したAIを開発することで、デジタル主権を確保しようとしています。

主要国の独自開発事例

シンガポール:SEA Lion シンガポールはLLaMAをアーキテクチャとしたオープンソースLLM「SEA Lion」の開発を進めています。SEA Lion v3.5は国の公用語である英語・中国語・マレー語・タミル語のほか、ジャワ語・スンダ語などインドネシアで話者の多い諸語を含む13言語に対応しています。

シンガポールは、東南アジアの多様な言語と文化に対応した設計のオープンソースLLMファミリーであるSEA-LIONの開発と採用を推進しており、国を包括的なグローバルAIリーダーとして確立し、多言語・多文化の人々にとって技術がアクセス可能で地域的に関連性のあるものにすることを目指しています。

タイ:パトゥマ タイも自国語対応LLMの独自開発を進めており、第2次AI国家戦略で示されたフラッグシップ・モデルが「パトゥマ」です。文章・音声・画像をそれぞれ生成する機能を持つマルチモーダル型LLMで、タイ語の言語的特性を深く理解したモデルとなっています。

データ主権とローカライゼーション

東南アジア諸国では、データを国内で保存・処理することを好む、または義務付ける傾向にあります。国内での保存・処理が求められる場合があるため、グローバルクラウドソリューションと併せて、オンプレミスや国内クラウドの導入が必要とされています。

これらのデータローカライゼーション要求は、単なる規制ではなく、デジタル時代における国家主権の確保という戦略的判断に基づいています。

日本の支援の意義と課題

技術協力と人材育成

日本がASEAN諸国の母語AI開発を支援する意義は、技術協力だけにとどまりません。共同開発や人材育成を通じて、今後の情報社会で基盤となるAI分野での協力体制を深めることができます。

日本は自然言語処理やAI技術において一定の蓄積がありますが、中国や米国と比較すると大規模言語モデルの開発では後れを取っている面もあります。ASEAN諸国との協力により、多言語対応AIの開発ノウハウを蓄積し、日本自身のAI技術力向上にもつながる可能性があります。

米中のはざまでの戦略的位置づけ

米中の覇権争いのはざまにあるASEAN各国にとって、日本との協力は第三の選択肢として魅力的です。中国製AIの影響力拡大を懸念しつつも、米国一辺倒にならない柔軟な選択を可能にします。

日本にとっても、ASEAN地域でのAI分野での影響力を確保することは、経済安全保障の観点から重要です。AIが社会インフラとして定着する中、この分野での協力関係は長期的な戦略的パートナーシップの基盤となります。

実施上の課題

一方で、母語AI開発には多くの課題もあります。各国の言語データの収集と整備、AIモデルの開発と学習に必要な計算資源の確保、現地の技術者育成など、長期的な取り組みが必要です。

また、オープンソースとするか独自モデルとするか、商業利用をどう位置づけるかなど、ビジネスモデルの設計も重要な課題です。持続可能な形で母語AIの開発と運用を続けるためには、官民の適切な役割分担と資金調達の仕組みが不可欠です。

まとめ

日本とASEANの母語AI開発協力は、単なる技術協力を超えて、デジタル時代における主権確保という戦略的な意義を持ちます。まずカンボジアのクメール語から着手し、ASEAN各国の現地語に対応したAIモデルを共同開発することで、中国製AIの影響力拡大に対抗する狙いがあります。

ASEAN諸国にとっては、自国語に対応したAIを持つことがデジタル主権の確保に直結し、日本にとっては地域でのAI分野での影響力強化と技術力向上の機会となります。米中の覇権争いのはざまで、第三の選択肢としての日本・ASEAN協力の意義は大きく、今後の展開が注目されます。

参考資料:

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