丸紅が世界初、水素吸蔵合金で国際輸送に成功
はじめに
丸紅が世界で初めて、水素吸蔵合金を使った水素の国際輸送を実現しました。オーストラリアの南オーストラリア州で再生可能エネルギーから製造したグリーン水素を合金に吸蔵させ、コンテナ船でインドネシアまで輸送する実証事業を完了しています。
水素はカーボンニュートラル実現の鍵を握るエネルギーとして注目されていますが、その輸送方法は大きな技術課題です。今回の実証は、液化水素やアンモニアとは異なる「第三の輸送手段」の実用化に向けた重要な一歩となります。その仕組みと可能性について詳しく解説します。
水素吸蔵合金による輸送の仕組み
合金が水素を「吸い込む」メカニズム
水素吸蔵合金とは、水素と反応しやすい金属と反応しにくい金属を組み合わせた特殊な合金です。この合金は、一定の温度・圧力条件で水素分子を固体の結晶構造の中に取り込むことができます。
仕組みとしては、合金の表面で水素分子が原子レベルに分解され、金属原子の隙間に入り込みます。温度を上げたり圧力を下げたりすると、吸蔵した水素を再び放出できるため、「水素のスポンジ」のような役割を果たします。
常温・低圧という穏やかな条件で水素の吸収と放出が可能なため、高圧タンクや極低温設備が不要で、安全性に優れているのが特徴です。
他の水素輸送方法との比較
現在、水素の長距離輸送には主に3つの方法が検討されています。
液化水素方式は水素を-253℃に冷却して液体にする方法で、川崎重工業が豪日間の輸送実証を行っています。体積を約800分の1に圧縮できますが、極低温の維持に莫大なエネルギーが必要です。
アンモニア方式は水素を窒素と結合させてアンモニアに変換する方法です。液化アンモニアの体積あたり水素密度は液化水素の1.5〜1.7倍と高く、大規模輸送に適しています。ただし、利用時に水素を分離する「脱水素」工程でエネルギーロスが発生します。
MCH(メチルシクロヘキサン)方式はトルエンに水素を結合させる方法で、常温常圧で輸送可能です。千代田化工建設が商用化を推進しています。
水素吸蔵合金方式はこれらと比較して、変換ロスが少なく安全性が高いという利点があります。一方、合金自体が重いため、重量あたりの水素密度が低く、大規模輸送には課題が残ります。
丸紅の実証事業の全容
プロジェクトの概要
この実証事業は環境省の「水素サプライチェーン構築に向けた包括的支援事業」に採択され、2022年1月に開始されました。丸紅の子会社であるSmartestEnergy Australiaが、エネルギーマネジメントシステムと蓄電池を活用して、南オーストラリア州の余剰再生可能エネルギーから安価で安定したグリーン水素を製造しました。
製造されたグリーン水素は水素吸蔵合金タンクに充填され、コンテナ船でインドネシアへ輸送されました。インドネシアのジャカルタ近郊にある丸紅が運営する工業団地で、燃料電池を通じて長期間にわたる電力供給が行われました。
関税処理に1年を費やした課題
実証事業で大きな障壁となったのが、水素吸蔵合金の関税処理です。水素を吸蔵した合金は従来の貿易品目に該当せず、各国の税関での分類や手続きの調整に約1年を要しました。
水素の国際輸送においては、技術的な課題だけでなく、こうした制度面の整備が実用化の鍵を握ることが改めて浮き彫りになりました。
副次的成果:水素混焼試験も実施
南オーストラリア州の製造拠点では、2025年9月から隣接する天然ガス発電所にグリーン水素を供給し、オーストラリア初の水素混焼試験も実施されました。水素のサプライチェーン全体を通じた多面的な実証が進んでいます。
注意点・展望
水素吸蔵合金方式は、合金の重量問題から大規模な国際輸送には現時点では適していません。丸紅も当面は離島向けなど中規模の水素輸送を想定しています。東南アジアの島しょ地域や、送電網が届きにくい遠隔地への電力供給手段として有望視されています。
一方で、水素吸蔵合金の技術開発は進んでおり、より軽量で吸蔵量の多い新素材の研究も各所で進行しています。現在の実用合金では重量比4%程度の水素を吸蔵できますが、これが改善されれば適用範囲が大幅に広がる可能性があります。
日本政府は2050年カーボンニュートラルの実現に向けて水素社会の構築を推進しており、多様な輸送手段の確立は重要な政策課題です。液化水素、アンモニア、MCH、そして水素吸蔵合金と、それぞれの方式が用途に応じて使い分けられる未来が見えてきました。
まとめ
丸紅が世界初の水素吸蔵合金による国際輸送に成功したことは、水素サプライチェーンの選択肢を広げる重要な成果です。常温・低圧で安全に輸送できるこの技術は、離島や遠隔地への水素供給に適しています。
大規模輸送には合金の重量が課題となりますが、中規模の分散型エネルギー供給の手段として実用化が期待されます。水素社会の実現に向けて、多様な輸送技術の発展を見守っていく必要があります。
参考資料:
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