村木厚子が語るキャリアの原点と国連経験
はじめに
日本経済新聞の名物連載「私の履歴書」で、2026年3月から元厚生労働事務次官の村木厚子氏が自身のキャリアを振り返っています。連載第16回では、入省初期の労働基準局での労働時間短縮への取り組みや、1981年の外務省国際連合局への出向経験が語られました。
村木氏といえば、2009年の郵便不正事件での冤罪逮捕と無罪判決、その後の事務次官就任という劇的なキャリアで知られています。しかし、その原点には入省間もない時期の経験が深く刻まれています。本記事では、村木氏の初期キャリアから現在に至るまでの歩みと、日本の働き方改革との関わりを独自に掘り下げます。
労働時間短縮との出会い――1980年代の日本
年間2200時間の壁
村木氏は1978年に労働省(現・厚生労働省)に入省しました。高知大学文理学部経済学科を卒業後、男女雇用機会均等法の施行前という時代に、「一生働き続けるには公務員が最適」という考えからこの道を選んだとされています。
入省3年目に配属された労働基準局では、労働時間の短縮が主要課題でした。当時の日本の会社員の年間平均労働時間は約2200時間に達しており、フランスやドイツの1600時間台、アメリカやイギリスの1900時間台と比べて突出していました。この数字を2100時間に引き下げることが目標とされていたのです。
働き方への「こだわり」の原点
この時期の経験が、村木氏にとってワークライフバランスの問題に取り組む原点となりました。1980年代の日本では、長時間労働は当然のこととされ、「企業戦士」という言葉が称賛をもって使われていた時代です。
その後、日本政府は1986年の「前川リポート」で「先進国並みの年間総労働時間の実現」を提言し、1987年の労働基準法改正で法定労働時間を週40時間に短縮する方針を打ち出しました。1992年には「労働時間短縮促進法」(時短促進法)が施行され、年間1800時間という目標が掲げられました。
村木氏が労働基準局で携わった仕事は、まさにこうした歴史的な政策転換の出発点にあったのです。
国連出向が変えた「仕事の全体像」
初の海外、ニューヨークへ
入省4年目の1981年、村木氏は外務省国際連合局への出向を命じられます。初めての海外勤務先はニューヨーク。国連総会への参加が主な任務でした。
労働省では、疑問があれば係長や課長にすぐ相談できる環境がありました。しかし国連の現場では、自分の判断で動くことが求められるなど、仕事の進め方がまったく異なっていたといいます。
チームでの役割と視座の変化
国連ではチーム体制で業務にあたり、村木氏は最も若い立場として会議終了後のプレスリリース収集や、辞書を引きながらの電報作成・送信を担当しました。一見すると地味な仕事ですが、国際社会における日本の立場を直接感じ取る機会でもありました。
この経験を通じて、それまで目の前の業務に集中していた村木氏は、自分の仕事が社会全体の中でどのような意味を持つのかを俯瞰的に理解できるようになったとされています。「日本に戻っても何も怖いものはないと思えるようになった」という述懐は、国際経験がもたらす視野の広がりを端的に表しています。
冤罪を乗り越えた不屈のキャリア
郵便不正事件と164日の勾留
村木氏のキャリアで最も衝撃的だったのが、2009年の郵便不正事件です。厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を務めていた村木氏は、自称障害者団体「凛の会」に偽の障害者団体証明書を発行したとして、大阪地方検察庁特捜部に逮捕されました。
164日間にわたる勾留の末、2010年9月に大阪地方裁判所で無罪判決が言い渡されました。さらに、担当検事による証拠改ざんが発覚し、検察官3人が逮捕・起訴されるという前代未聞の事態に発展しました。
復帰から事務次官へ
無罪判決後、村木氏は厚生労働省に復帰。内閣府政策統括官、社会・援護局長を経て、2013年7月に厚生労働事務次官に就任しました。女性として歴代2人目の事務次官就任であり、冤罪からの完全復帰を象徴する人事として大きな注目を集めました。
2015年9月の退官後は、津田塾大学客員教授を務めるほか、複数の企業の社外取締役・監査役、社会福祉関連団体の要職に就き、女性活躍推進や障がい者支援の分野で精力的に活動を続けています。
日本の働き方改革の現在地
40年越しのテーマ
村木氏が入省当時から取り組んできた労働時間の問題は、40年以上が経過した現在も日本社会の重要課題であり続けています。統計上の平均労働時間は1980年代の2100時間台から2010年代には1700時間台へと減少しましたが、これはパートタイム労働者の増加による影響が大きく、フルタイム労働者の実質的な労働時間はほとんど変わっていないという指摘があります。
村木氏自身も、東京新聞のインタビューで働き方改革の成功のカギについて語り、「答えは分かっていたのに」対応が遅れた面があると指摘しています。長時間労働の是正、柔軟な働き方の実現、そして少子化対策との関連性など、村木氏のキャリアを通じた問題意識は今日の政策議論にも直結しています。
「私の履歴書」が伝えるもの
今回の連載では、新人時代のお茶くみの経験や、育児と仕事の両立に苦しんだ30代の記憶なども率直に語られています。男女雇用機会均等法以前に入省した女性官僚が、どのようにしてキャリアを築き上げたのか。その軌跡は、現代の働く人々にとっても多くの示唆を含んでいます。
まとめ
村木厚子氏の「私の履歴書」は、単なる一個人の回顧録にとどまりません。1980年代の労働時間短縮への取り組み、国連での国際経験、冤罪事件を経ての復帰、そして事務次官への就任という一連の歩みは、日本の労働行政の歴史そのものと重なります。
入省初期に芽生えたワークライフバランスへのこだわりが、40年以上にわたるキャリアを貫く軸となっている点は注目に値します。連載はまだ続いており、今後も村木氏ならではの視点から日本の労働政策の変遷が語られることが期待されます。
参考資料:
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