村木厚子氏の軌跡に学ぶ女性キャリアの現実
はじめに
元厚生労働事務次官の村木厚子氏が、日本経済新聞の連載「私の履歴書」で自身の人生を振り返っています。1978年に労働省(現厚生労働省)に入省し、お茶くみからキャリアをスタートさせた村木氏は、仕事と家庭の両立、冤罪事件という逆境を乗り越え、厚生労働省のトップである事務次官にまで上り詰めました。
入省4年目の26歳で労働省同期の村木太郎氏と結婚し、出産後わずか6週間で職場復帰したエピソードは、当時の女性官僚が直面した現実を物語っています。本記事では、村木氏のキャリアを通じて、日本の女性活躍推進の歩みと現在の課題を考えます。
村木厚子氏のキャリアと挑戦
お茶くみから始まった官僚人生
村木厚子氏は1955年高知県生まれ。高知大学文理学部経済学科を卒業後、1978年に労働省に入省しました。最初の配属先は職業安定局で、入省当初は「女性だから」という理由でお茶くみを割り当てられました。当時はそれが当たり前の時代でしたが、村木氏はこの経験を「あきらめない原点」として後に振り返っています。
その後、労働基準監督署や外務省出向など、地方・海外での経験を積みながら、一貫して「働く」という領域でキャリアを築きました。女性の雇用促進に注力し、厚生省との統合後は福祉分野にも活動を広げています。
同期との結婚と早期の職場復帰
村木氏は自身を「恋愛体質ではない」と語り、結婚は遅くなると考えていました。しかし、入省4年目の1982年、26歳のときに労働省の同期であった村木太郎氏と結婚しました。同期入省の仲間として勉強会や飲み会を重ねるなかで、太郎氏は「信頼できる親友」のような存在だったといいます。
29歳で長女を出産した際には、産後わずか6週間で職場に復帰しました。当時は育児休業制度が整備される以前であり、女性が出産後すぐに職場に戻ることは珍しくありませんでした。しかし、制度が未整備だったからこそ、周囲のサポートと本人の強い意志がなければ両立は不可能だったといえます。
仕事と育児の両立という現実
「母子家庭状態」の30代
村木氏のキャリアで最も多忙だったのは30代です。35歳で次女を出産した後も仕事を続けましたが、夫の太郎氏が長野に赴任していた時期は「母子家庭状態」が続きました。長女が小児てんかんを発症するという困難にも直面し、心身ともに厳しい日々を送っています。
それでも仕事と育児を両立できた背景には、夫の「2人で働いているのだから、家事も育児も2人でやるべき」という考え方がありました。家事の分担を自然と共有できたことが、村木氏のキャリア継続を支えた大きな要因です。
女性官僚としてガラスの天井を突破
2008年、村木氏は厚生労働省で4人目の女性局長として雇用均等・児童家庭局長に就任しました。その後、内閣府政策統括官、社会・援護局長を歴任し、2013年7月には厚生労働事務次官に就任しています。厚労省の事務方トップという要職に女性が就くことは、日本の行政組織において画期的な出来事でした。
冤罪事件と復活
164日間の勾留
2009年6月、村木氏は障害者郵便制度悪用事件に関連し、虚偽有印公文書作成の容疑で大阪地検特捜部に逮捕されました。自称障害者団体「凛の会」に偽の障害者団体証明書を発行した疑いでしたが、村木氏は一貫して無実を主張しました。164日間にわたる勾留生活を送ることになります。
証拠改ざんの発覚と無罪判決
2010年9月10日、大阪地裁は村木氏に無罪判決を言い渡しました。さらに、大阪地検特捜部の主任検事がフロッピーディスク内の文書ファイルの更新日時を改ざんしていたことが発覚し、検察組織の信頼を根底から揺るがす大事件へと発展しました。主任検事は証拠隠滅罪で懲役1年6月の有罪判決を受け、特捜部長と副部長も犯人隠避罪で有罪となっています。
この事件は日本の刑事司法制度のあり方を問い直すきっかけとなり、取り調べの可視化(録音・録画)の議論を加速させました。村木氏は「検察は人の人生を左右させる強大な権力を持っている。権力を使う際は恐れをもってほしい」と語っています。
村木氏が語る女性活躍の課題
3つの構造的障壁
村木氏はジェンダーギャップ改善が進まない根本的な原因として、3つの構造的問題を指摘しています。第一に長時間労働の慣行、第二に子育て環境の不整備、第三に労働市場の流動性の低さと年功序列型の人事制度です。
「答えは分かっていた」と村木氏は述べています。働く人が増え、税・社会保険料を納める人が増えればいい。そしてそれは女性だと。しかし、分かっていながら改革が遅れたことへの反省をにじませています。
「ゆるく働く」ことへの警鐘
村木氏は、女性が「ゆるく働く」思想に安住することのリスクも指摘しています。短時間勤務や時短制度の活用は重要ですが、キャリアの成長機会を自ら狭めてしまう可能性があるためです。制度を利用しつつも、自身の専門性やスキルを高め続けることの重要性を訴えています。
注意点・今後の展望
変わりつつある職場環境
村木氏が入省した1978年と現在では、女性を取り巻く職場環境は大きく変化しています。育児休業制度の整備、男性の育休取得の推進、テレワークの普及など、制度面での前進は確実にあります。しかし、女性管理職比率の国際比較では日本は依然として低い水準にあり、構造的な課題が残っています。
次世代へのメッセージ
村木氏の「私の履歴書」は、制度が不十分な時代にキャリアを切り開いた女性の記録です。冤罪事件という理不尽な逆境を経験してなお、社会のために活動を続ける姿勢は、世代を超えたメッセージとなっています。退官後も津田塾大学や日本社会事業大学で教壇に立ち、伊藤忠商事や住友化学で社外取締役を務めるなど、幅広い分野で活躍を続けています。
まとめ
村木厚子氏のキャリアは、日本の女性活躍推進の歴史そのものです。お茶くみからスタートし、事務次官にまで上り詰めた歩みには、制度の壁を個人の努力と周囲のサポートで乗り越えてきた現実があります。
同期の夫との結婚や産後6週間での職場復帰というエピソードは、当時の女性官僚が直面した困難を象徴しています。同時に、パートナーとの対等な関係や「2人で育てる」という価値観が、キャリア継続の土台となったことも示しています。日本の働き方改革が真に実効性を持つためには、制度の整備だけでなく、職場や家庭における意識の変革が不可欠です。
参考資料:
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