塩野義製薬に学ぶアクティビスト対応と企業統治の新潮流
はじめに
日本の上場企業にとって、アクティビスト(物言う株主)の存在感はかつてないほど高まっています。2024年6月の株主総会シーズンでは、株主提案を受けた企業数が113社と過去最高を更新しました。主要アクティビストが2025年上半期に日本株へ投じた資金は約8,900億円に達し、日本市場への関心は衰える気配がありません。
こうした環境のなかで注目されるのが、塩野義製薬の手代木功会長兼社長CEOの経営姿勢です。手代木氏は「コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤー2019」大賞の受賞者であり、外部ステークホルダーとの対話を経営改革の原動力として活用してきた実績があります。アクティビストを「敵」ではなく「上手に使う」存在として捉える同氏の考え方は、日本企業全体にとって重要な示唆を含んでいます。
アクティビスト新時代と日本市場の変容
急拡大するアクティビスト活動の規模
日本市場におけるアクティビストの活動は、2010年代後半から加速度的に拡大しています。アクティビストファンドの数は2014年の8社から2022年には68社へと急増しました。2024年には年間投資額が1兆円を超え、過去最高を記録しています。
こうした動きの背景にあるのは、日本企業が長年抱えてきた資本効率の課題です。PBR(株価純資産倍率)1倍割れの企業が東証プライム市場の約半数を占めるなか、東京証券取引所は2023年3月に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請しました。この要請がアクティビストにとって追い風となり、企業への働きかけを正当化する根拠を与えることになりました。
さらに、海外のヘッジファンドにとって日本市場は魅力的な投資先として映っています。日本株に特化したアクティビストファンドの収益率は世界平均の1.7倍に達するとの報告もあり、「日本はアクティビスト天国」と評されるほどの状況が生まれています。
対立から対話へ――変わるアクティビストの手法
かつてのアクティビストは、経営陣に対して強圧的な姿勢で臨むケースが目立ちました。しかし近年では、建設的な対話(エンゲージメント)を重視するスタイルへと変化しつつあります。株主提案の内容も、単なる増配や自社株買いの要求にとどまらず、中期経営計画の見直しや事業ポートフォリオの再構築など、企業の持続的成長に関わる提案が増えています。
実際に、アクティビスト出身者を社外取締役に招聘する企業も現れており、「誰と対話するか」ではなく「どのような対話を行うか」が重要な論点となっています。金融庁が2025年6月に公表した「コーポレートガバナンス改革の実質化に向けたアクション・プログラム2025」でも、企業と投資家の「緊張感ある信頼関係」に基づく対話の促進が掲げられました。
塩野義製薬・手代木功社長のガバナンス哲学
「健全な恐怖心」を武器にした経営改革
塩野義製薬の手代木功氏は、社長就任時に低迷していた業績を見事に回復させ、営業利益率を業界トップ水準に引き上げた経営者です。その手法の根幹にあるのが、「健全な恐怖心」をもって経営にあたるという哲学です。
手代木氏は「経営者はいじめられて育つ」と語り、社外のステークホルダーからの厳しい意見を積極的に求めてきました。この姿勢は、2019年に日本取締役協会から「コーポレートガバナンス・オブ・ザ・イヤー」大賞として評価されています。審査では、機関投資家など外部のステークホルダーの目を強く意識し、広く透明でトレースできる対話を心掛けている点が高く評価されました。
取締役会の構成にもこの思想が反映されています。塩野義製薬は取締役11名のうち過半数にあたる7名を社外取締役として選任しており、外部の視点を経営に組み込む仕組みを整えています。これは形式的なガバナンス対応ではなく、経営の質を高めるための実践的な取り組みといえます。
アクティビストを「上手に使う」という発想
手代木氏がアクティビストに対して「上手に使え」という姿勢をとる背景には、外部からのプレッシャーを企業変革のテコとして活用するという合理的な考え方があります。これは単にアクティビストに迎合するということではありません。むしろ、自社の経営課題を客観的に認識し、株主との対話を通じて経営の透明性と説明責任を高めていくという能動的なアプローチです。
塩野義製薬は中期経営計画「STS2030 Revision」において、2026年度から2030年度までのPhase3に向けた成長戦略を描いています。その3つの柱は「新製品・新規事業拡大」「感染症治療薬の成長」「HIVビジネスの伸長」です。2026年3月期の業績見通しでは、売上収益5,000億円、営業利益1,850億円と増収増益を見込んでおり、この堅実な業績が株主との建設的な対話を支える基盤となっています。
株主還元の面でも、DOE(株主資本配当率)4%以上を目標に掲げ、13年連続の増配を実現しています。2024年10月には1株を3株に分割し、個人投資家を含む幅広い投資家層へのアクセスを拡大しました。こうした一連の施策は、アクティビストの要求に受動的に応えるのではなく、自ら先手を打って株主価値向上に取り組む姿勢の表れです。
日本企業が学ぶべき「攻めのガバナンス」
先進企業に見る建設的対話の成功パターン
アクティビストとの対話で成果を上げている企業には、いくつかの共通点が見られます。大日本印刷の事例では、米エリオット・マネジメントに対して「中長期的な成長に資する議論をする」「特別扱いはしない」「動揺しない」という3つの方針を掲げて対話に臨み、結果として株価の大幅な上昇につながりました。
塩野義製薬のケースも同様に、経営の方向性を明確に示したうえで、外部の声に耳を傾けるという「攻め」の姿勢が特徴です。手代木氏は「従業員のためなら死ねる」と語るほど社員を大切にしつつも、株主を含むステークホルダー全体の利益を俯瞰する視点を持ち合わせています。
成功企業に共通するのは、アクティビストの提案を単なる脅威として退けるのではなく、自社の経営課題を再点検するきっかけとして活用している点です。そのためには、日頃から自社の企業価値向上ストーリーを明確に持ち、投資家に対して一貫したメッセージを発信し続けることが不可欠です。
ガバナンス改革の新たなステージ
金融庁は2025年6月に公表したアクション・プログラムのなかで、コーポレートガバナンス・コードの第三次改訂を予告しました。改訂の方向性としては、実務への浸透が進んだ項目の簡略化や、法制化された内容との重複排除によるコードのスリム化が検討されています。
2026年1月からは、コーポレート・ガバナンスに関する報告書の開示内容が見直されることも決まっています。形式的なチェックリストから実質的なガバナンスの質へと評価軸が移行するなか、企業には「なぜその施策を行うのか」という本質的な説明が求められるようになります。
経団連も2025年12月に「持続的な成長に向けたコーポレートガバナンスのあり方」を公表し、企業側の視点からガバナンス改革の方向性を提示しました。企業と投資家の双方が建設的な緊張関係を維持しながら、共に企業価値の向上を目指す時代が本格的に到来しています。
注意点・展望
アクティビストとの対話を推進する流れは不可逆的ですが、いくつかの注意点があります。まず、アクティビストの提案がすべて企業の中長期的な成長に資するわけではないという点です。短期的な株主還元の拡大要求が、研究開発投資や設備投資を圧迫するリスクは常に存在します。塩野義製薬が感染症領域への投資を継続できているのは、手代木氏が「うちがやらねば誰がやる」という明確な事業ビジョンを持ち、それを投資家に説得力をもって伝えてきたからにほかなりません。
また、2025年の弁護士調査によれば、国内主要企業の半数がアクティビストの存在に「自社や株主にデメリットがある」と認識しているという報告もあります。高圧的な要求への規制を望む声もあり、すべての企業がアクティビストを歓迎しているわけではありません。
今後の展望としては、2026年度以降のガバナンス・コード改訂を契機に、企業と投資家の対話の質がさらに問われることになるでしょう。塩野義製薬のように、外部からの圧力を成長のエンジンに変えられる企業とそうでない企業との間で、株式市場における評価の二極化が進む可能性があります。
まとめ
塩野義製薬の手代木功会長兼社長CEOが示す「アクティビストは上手に使え」という考え方は、日本企業のコーポレートガバナンスに新たな視座を提供しています。物言う株主を敵視するのではなく、経営改革の触媒として活用する姿勢は、アクティビスト活動が過去最高水準に達している現在の日本市場において、極めて実践的な指針といえます。
重要なのは、アクティビストとの対話の前提として、自社の企業価値向上に対する明確なビジョンと実行力を持つことです。塩野義製薬が営業利益率業界トップの実績と13年連続増配を両立させているように、業績に裏打ちされた説得力こそが、建設的な対話を可能にする最大の武器となります。ガバナンス改革が形式から実質へと深化するなか、すべての上場企業にとって「株主との対話をいかに経営の力に変えるか」が問われる時代が到来しています。
参考資料:
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