西側諸国の工業軽視が招く資源戦略の脆弱性
はじめに
2025年12月、オーストラリアの投資家クレイグ・ティンデール氏が発表した論文「物質重視への回帰の必要性――工業軽視で弱体化する西側民主主義諸国」が、金融業界や政策立案者の間で議論を呼んでいます。
過去30年間、西側経済は知的財産、金融商品、ソフトウェアこそが価値創造の頂点であるという前提で運営されてきました。しかしティンデール氏は、この時代が終わりを迎え、「物質の物理的な入手可能性が、信用の入手可能性ではなく、国力の限界を決定する」時代に入ったと主張しています。
本記事では、この議論の背景にある構造的な問題と、ベネズエラなど資源国をめぐる最新の地政学的動向について解説します。
「認知バイアス」と工業の軽視
西側諸国が手放した製造基盤
ティンデール氏の主張の核心は、西側のエリートがスイスの情報機関が指摘するような「認知バイアス」に陥っているというものです。このバイアスとは、工業で資源を国力に変える過程を海外に手放しても問題ないという思い込みを指します。
過去数十年間、西側諸国は鉱業、精錬、製錬、合金製造といった「汚れた」エネルギー集約型の工業プロセスを、コモディティ化された低利益率の事業として海外に外注してきました。この選択は短期的にはコスト削減と株主還元につながりましたが、長期的には戦略的脆弱性を生み出すことになりました。
「ハード・ビファケーション」の到来
ティンデール氏はこの構造変化を「ハード・ビファケーション(硬い分岐)」と呼んでいます。1931年の分岐がポンドと金本位制の分離であったように、2025年の分岐は「ドルと物質・材料の分離」だと表現しています。
つまり、金融経済と物理経済の間に永続的な構造的分離が生じているということです。これまで資本市場は、流動性は常に生産に転換できる、お金は確実に物質を支配するという前提で動いてきました。しかしティンデール氏は、金融的な請求権が拡大し続ける一方で、物理的な生産能力がそれに対応できなくなっているため、この前提はもはや成り立たないと論じています。
中国の圧倒的な加工能力
前例のない産業集中
ティンデール氏の分析によると、2025年時点で中国の資源加工能力の集中度は、産業史上前例のないレベルに達しています。レアアース、リチウム、コバルト、ニッケルなど、現代のテクノロジーに不可欠な素材の精製・加工で中国は支配的な地位を確立しています。
具体的な事例として、2022年にはF-35戦闘機の部品から中国製合金が発見され、国防総省が納入を一時停止する事態が発生しました。また2025年12月には、中国が外国直接製品規則(FDPR)をレアアース磁石に適用し、外国の軍事用途への輸出を明確に拒否する姿勢を示しました。
エネルギー転換のパラドックス
情報技術政策財団(ITIF)の分析によると、化石燃料から風力・太陽光発電への移行を進めることで、西側諸国は米国主導のエネルギーシステムから、中国主導のシステムへの移行を選択していることになります。
北京は風力・太陽光発電ハードウェアの製造に必要なミネラルと重要元素の大部分を支配しており、電気自動車のサプライチェーンも同様です。これは、西側が電力ベースのエネルギーシステムへの移行を試みる中で、中国が主導権を握ることを意味します。
ベネズエラと資源をめぐる地政学
世界最大の石油埋蔵量
ベネズエラは世界最大の石油埋蔵量を保有していますが、マドゥロ政権下での10年以上にわたり、生産量は約200万バレル/日減少し、現在は約100万バレル/日となっています。国営石油会社PDVSAによると、パイプラインは50年間更新されておらず、ピーク生産レベルに戻すためのインフラ更新には580億ドルのコストがかかると試算されています。
米国の戦略的関与
2026年1月、米国はベネズエラへの軍事介入を実施しました。トランプ政権はこの行動について、マドゥロ体制の弱体化、麻薬取引ルートの遮断、ベネズエラの石油へのアクセス確保という3つの目標を掲げています。
マルコ・ルビオ国務長官は「ベネズエラの石油産業が米国の敵対者によって支配されることは許さない」と宣言し、中国、ロシア、イランの名を挙げながら、西半球は「我々のものだ」と主張しました。
再建への課題
石油生産の回復には、民間石油投資家が全額を負担する大規模な投資が必要です。これは、人道的ニーズ、深刻な外貨収入不足、政府とPDVSAの双方における巨額の債務、セクターにおける技術力の喪失を考慮すると、極めて困難な課題です。
MST Financialのエネルギーリサーチ責任者、サウル・カヴォニック氏は、新政権のもとで制裁が解除され、外国投資家が戻ってくれば、中期的には輸出が300万バレルに近づく可能性があると推計しています。
国力産業という概念
21世紀の国力を支える産業
ITIFの分析では、「国力産業」という概念が提唱されています。これは、純粋な防衛生産、軍事・商業両方で使用されるデュアルユース技術、より広い産業基盤を支える基盤産業を含むスペクトラムを指します。
現在、中国は人口14億人の大陸規模の経済と、西側民主主義世界に対する技術経済的覇権の達成を明確に掲げるマルクス・レーニン主義の政治体制を組み合わせた、米国史上類を見ない競争相手として台頭しています。
エネルギーと製造コスト
エネルギーは製造コストにおいて最も重要な投入要素の一つであり、多くの場合トップの投入要素です。したがって、西側の敵対国ブロックが競争力を向上させる可能性がある一方で、西側は自らの立場を損なう可能性があります。
注意点・展望
短期的な解決策の限界
ティンデール氏が指摘する問題は、短期間で解決できるものではありません。鉱山開発、精錬所建設、技術者育成には数年から十数年の時間がかかります。西側諸国が今から投資を開始しても、中国との差を縮めるには相当な時間を要します。
多極化する資源競争
資源をめぐる競争は、米中二極ではなく、より複雑な多極構造へと移行しています。インド、インドネシア、ブラジルなどの新興国も、自国の資源を戦略的に活用する動きを強めています。
日本への示唆
資源に乏しい日本にとって、この構造変化は特に重要な意味を持ちます。サプライチェーンの多様化、リサイクル技術の向上、代替材料の開発など、複合的なアプローチが必要となります。
まとめ
クレイグ・ティンデール氏の論文は、西側諸国が過去数十年間にわたって工業基盤を海外に移転してきたことの戦略的代償を鋭く指摘しています。知的財産や金融への偏重は、短期的な利益をもたらす一方で、物理的な生産能力という国力の基盤を弱体化させてきました。
ベネズエラをめぐる最新の動向は、資源と国力の関係が現代においても極めて重要であることを示しています。「金融経済と物理経済の分離」という「ハード・ビファケーション」の時代において、物質への回帰は単なる選択肢ではなく、国家の生存に関わる課題となっています。
参考資料:
- The Return of Matter: Western Democracies’ Material Impairment - Craig Tindale
- Venezuela after Maduro: Oil, power and the limits of intervention - Al Jazeera
- Trump says US is taking control of Venezuela’s oil reserves - CNN
- Marshaling National Power Industries to Preserve America’s Strength - ITIF
- Venezuela: The Post-Maduro Oil, Gas and Mining Outlook - Americas Quarterly
- Critical Materials: A Strategic Analysis - Republic of Mining
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