複数の遺言書が見つかったら?相続争いを防ぐ法的知識
はじめに
「家族のために」と思って作成した遺言書が、かえって家族の絆を引き裂く原因になる――。相続の現場では、そうした皮肉な事態が少なくありません。とりわけ、被相続人が複数の遺言書を残していた場合、どの遺言が有効なのかをめぐって相続人同士が激しく対立し、「争族」と呼ばれる深刻なトラブルに発展するケースが後を絶ちません。
家庭裁判所に持ち込まれる遺産分割事件は年々増加しており、令和6年には15,379件に達しました。これは平成12年の8,889件から約1.7倍に膨れ上がった数字です。しかも、紛争となる遺産額の約76%は5,000万円以下と、決して富裕層だけの問題ではありません。本記事では、複数の遺言書が存在する場合の法的な取り扱いから、実際の訴訟手続き、そして争族を未然に防ぐための対策までを詳しく解説します。
複数の遺言書が見つかった場合の法的ルール
民法1023条が定める「後の遺言優先」の原則
複数の遺言書が発見された場合、最も重要な法的根拠となるのが民法第1023条です。同条第1項は「前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす」と規定しています。
つまり、遺言者の「最終意思」を尊重するという考え方に基づき、日付の新しい遺言書が原則として優先されます。たとえば、1通目の遺言で「自宅不動産を長男に相続させる」と書かれていたものが、2通目の遺言で「自宅不動産を次女に相続させる」と変更されていた場合、2通目の内容が有効となります。
ただし、ここで注意すべき重要なポイントがあります。後の遺言が前の遺言を「すべて無効にする」わけではないという点です。2通の遺言書の内容が互いに矛盾しない部分については、前の遺言も後の遺言もともに有効です。たとえば、1通目で「自宅不動産を長男に」と定め、2通目で「預貯金を次女に」と定めている場合は、両方の遺言がそれぞれ有効となります。
遺言の種類による優劣はない
よく誤解されがちですが、公正証書遺言と自筆証書遺言の間に「効力の強弱」はありません。公正証書遺言は公証人が作成に関与するため信頼性が高いと考えられがちですが、法律上の効力としてはどちらも同等です。したがって、先に公正証書遺言が作成されていたとしても、その後に有効な自筆証書遺言が作成されていれば、抵触する部分については後の自筆証書遺言が優先されます。
この点は実務上も非常に重要です。公正証書遺言があるから安心だと思っていた相続人が、後から発見された自筆証書遺言によって相続分が変更されるケースは珍しくありません。
日付が同一の場合の扱い
では、2通の遺言書の日付が同じだった場合はどうなるのでしょうか。作成された時間の前後が判断できる場合は、後に作成された遺言が優先されます。しかし、時間の先後が判断できない場合、互いに抵触する部分についてはどちらの遺言も効力が発生しないと解されています。この場合、抵触部分については遺産分割協議によって相続人全員で話し合って決めることになります。
抵触の判断基準
最高裁判所は、遺言の「抵触」について広い解釈を示しています。単に後の処分を実現しようとするときに前の遺言の執行が客観的に不能となる場合にとどまらず、「諸般の事情により観察して後の生前処分が前の遺言と両立せしめない趣旨のもとにされたことが明らかである場合」も抵触に含まれるとしています。つまり、形式的に矛盾していなくても、実質的に両立しない内容であれば後の遺言が優先される可能性があるのです。
遺言をめぐる訴訟の実際と相続対策
遺言無効確認訴訟と遺言有効確認訴訟
複数の遺言書の有効性が争われる場合、裁判所に訴訟を提起することになります。代表的なものが「遺言無効確認訴訟」と「遺言有効確認訴訟」です。
遺言無効確認訴訟は、特定の遺言書が法的に無効であることの確認を求める訴訟です。たとえば、後に作成された遺言書について「作成時に遺言者は認知症が進行しており、遺言能力がなかった」として無効を主張するケースがあります。これが認められれば、前の遺言書が有効ということになります。
一方、遺言有効確認訴訟は、特定の遺言書が有効であることの確認を求めるもので、実務上はまれなケースとされています。
これらの訴訟では、遺言者の遺言能力(遺言内容を理解し判断する能力)が大きな争点となります。認知症の診断を受けていた場合でも、遺言の内容が単純であれば、その内容を理解し判断する能力があったと認められるケースもあります。裁判所は、主治医の見解、介護認定審査の記録、長谷川式認知症簡易スケール(HDS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)の結果などを総合的に判断します。
調停前置主義と訴訟の流れ
遺言の有効性をめぐる紛争は「家庭に関する事件」に該当するため、原則として調停前置主義が適用されます。これは、訴訟を提起する前にまず家庭裁判所で調停を試みなければならないという制度です。
一般的な手続きの流れは以下のとおりです。
- 当事者間の協議: まず相続人同士で話し合いを行います
- 家庭裁判所での調停: 協議がまとまらない場合、家庭裁判所に遺言無効確認調停を申し立てます
- 地方裁判所での訴訟: 調停が不成立となった場合、地方裁判所に訴訟を提起します
ただし、関係者間の対立が激しく、調停で解決する余地がないと裁判所が判断した場合は、調停を経ずに訴訟手続きに進むことが認められる場合もあります。なお、遺言に関する訴訟の管轄裁判所は家庭裁判所ではなく地方裁判所である点にも注意が必要です。
遺留分侵害額請求という選択肢
遺言の有効性自体を争うのではなく、「遺留分侵害額請求」という方法もあります。遺留分とは、法定相続人に最低限保障される相続分のことです。2019年7月1日の民法改正により、従来の「遺留分減殺請求」から「遺留分侵害額請求」に変更され、請求が金銭によって解決される仕組みに改められました。
ただし、兄弟姉妹には遺留分が認められていない点は重要です。遺留分を請求できるのは配偶者、子、直系尊属(親)に限られます。したがって、兄弟姉妹間で遺言の内容に不満がある場合、遺留分侵害額請求ではなく、遺言の有効性自体を争うか、遺産分割協議で解決を図ることになります。
争族を防ぐための具体的な対策
相続トラブルを未然に防ぐためには、遺言書の作成段階からいくつかの対策を講じることが重要です。
付言事項の活用
遺言書には「付言事項」を記載することができます。付言事項とは、法的な効力はないものの、遺言者の気持ちや遺言内容の理由を相続人に伝えるための記載です。たとえば、「次女には介護で世話になったので多めに相続させたい」といった理由を明記することで、他の相続人の理解を得やすくなります。
ただし、付言事項に否定的な表現や侮辱的な内容を含めると、かえって感情的な対立を生む原因になりかねないため、注意が必要です。
公正証書遺言の活用
公正証書遺言は、公証人が法律実務の経験に基づいて作成するため、形式不備による無効のリスクが低く、原本が公証役場で保管されるため紛失や改ざんの心配もありません。また、家庭裁判所での検認手続きが不要であるため、迅速に相続手続きを進めることができます。
法務局の自筆証書遺言書保管制度
2020年7月に開始された法務局の自筆証書遺言書保管制度を利用すれば、自筆証書遺言のデメリットである紛失や改ざんのリスクを軽減できます。法務局が遺言書を保管するため、検認手続きも不要になります。
注意点と今後の展望
複数の遺言書をめぐる相続トラブルは、今後も増加が見込まれます。高齢化の進行に伴い、遺言能力が問題となるケースが増えていることに加え、自筆証書遺言書保管制度の普及によって遺言書の作成件数自体が増加する可能性があるためです。
特に注意すべきは、遺言者が「家族のため」と考えて複数回にわたり遺言書を書き直すケースです。遺言者の善意に反して、残された遺言書の間で矛盾が生じ、相続人間の紛争を招く結果になることがあります。遺言書を作成する際には、以前の遺言書を明示的に撤回する文言を入れるなど、専門家の助言を得ながら慎重に進めることが求められます。
また、デジタル遺言制度の導入も議論されており、公正証書遺言のデジタル化は2025年から順次進められ、2026年末までの実装が見込まれています。こうした制度改革が、遺言書の管理や有効性の判断にどのような影響を与えるかも注目されます。
まとめ
複数の遺言書が発見された場合、民法1023条に基づき、原則として日付の新しい遺言が優先されます。ただし、矛盾しない部分については両方の遺言がともに有効であり、遺言の種類(公正証書か自筆証書か)による優劣もありません。
遺言の有効性をめぐる訴訟は、調停前置主義のもと、まず家庭裁判所での調停を経てから地方裁判所で争われるのが通常の流れです。家族間の争いを避けるためには、遺言書作成時に付言事項で理由を丁寧に説明すること、公正証書遺言や法務局の保管制度を活用すること、そして何より専門家に相談しながら明確な遺言書を作成することが重要です。相続は誰もが直面しうる問題であり、「うちは大丈夫」という思い込みこそが最大のリスクとなりえます。
参考資料
- 遺言書が2通見つかりました。この場合、どちらが有効なのでしょうか? - 遺産相続サポート
- 遺言が複数見つかったら/日付の先後・遺言の効力・有効無効の判断 - 相続の窓口
- 複数の遺言書が見つかったら? - 遺産相続手続きガイド
- 遺言無効確認請求訴訟の概要 - 相続法律ガイド
- 遺言無効確認訴訟とは?不公平な遺言書が無効となるケースや手続き - ベリーベスト法律事務所
- 遺言「有効」確認訴訟 - 永田町法律税務事務所
- 遺産相続でトラブルに!「争族」になりやすいケースとその対策 - りそなグループ
- 遺留分侵害額請求とは?手続き・時効・費用をわかりやすく解説 - 税理士法人チェスター
- 遺言書に気持ちを込める付言事項とは/遺産争族にしない付言事項 - 相続の窓口
- 司法統計をもとに解説:相続争いに関する基礎知識 - HT税理士法人
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