報道写真家・大石芳野が見たソ連とアフガン帰還兵の真実
はじめに
戦争は終わっても、人々の心に刻まれた傷は消えません。日本を代表する報道写真家・大石芳野氏は、半世紀以上にわたって世界各地の紛争地を訪れ、戦禍に生きる人々の姿をカメラに収めてきました。
2026年2月、日本経済新聞の「私の履歴書」で連載を続ける大石氏は、ゴルバチョフ政権下で劇的に変化するソ連への取材と、アフガニスタン帰還兵たちの虚無に満ちた瞳について語っています。自由にものが言えない国には行かないという信念を持っていた大石氏が、ペレストロイカの波を受けてソ連へ飛んだ1990年の経験は、戦争と自由、そして人間の尊厳について深く考えさせられるものです。
この記事では、大石芳野氏の活動を軸に、ソ連のアフガニスタン侵攻が残した傷跡と、ペレストロイカ時代の変革について解説します。
報道写真家・大石芳野の軌跡
戦禍の現場に立ち続けた半世紀
大石芳野氏は1944年生まれの報道写真家です。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、ドキュメンタリー写真の道に進みました。ベトナム、カンボジア、コソボ、スーダン、アフガニスタン、そして沖縄や広島など、訪れた国や地域は100か所以上にのぼります。
その活動は国内外で高く評価されており、2001年には写真集『ベトナム 凜と』で土門拳賞を受賞しました。さらに、芸術選奨新人賞(1994年)、紫綬褒章(2007年)など数々の栄誉を受けています。2004年からは世界平和アピール七人委員会の委員も務めており、東京工芸大学芸術学部の客員教授としても後進の指導にあたっています。
「知りたい、伝えたい」という原動力
大石氏は「私は世界を知りたい。そして知ったことを伝えたい。そのためにカメラがあるのです」と語っています。この言葉に表れているように、大石氏の活動は単なる報道にとどまらず、戦争が人間に何をもたらすのかという根源的な問いに向き合い続けるものです。
代表的な写真集には『無告の民 カンボジアの証言』『戦禍の記憶』『コソボ 破壊の果てに』『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』などがあります。いずれも、戦闘そのものではなく、戦争によって傷つけられた市民の姿に焦点を当てた作品です。
ソ連アフガニスタン侵攻と帰還兵の悲劇
10年に及んだ「ソ連のベトナム」
1979年12月、ソ連のブレジネフ政権はアフガニスタンへの軍事侵攻を開始しました。親ソ政権の支援とイスラーム勢力の抑圧が目的でしたが、アフガニスタンの民衆はゲリラ戦で激しく抵抗します。アメリカも1984年に武器援助法を可決し、反政府ゲリラへの支援を本格化させました。
この戦争は約10年間にわたって続き、アフガニスタンでは全農村の約半分が廃墟と化し、約200万人が死亡したとされています。600万人もの難民が発生し、国土は壊滅的な被害を受けました。ソ連側も約1万5,000人の戦死者と多数の負傷者を出しています。
1988年4月にジュネーヴで和平協定が締結され、ソ連軍は段階的に撤退を開始しました。最後の部隊がアフガニスタンを離れたのは1989年2月15日のことです。
「アフガンツィ」が抱えた深い闘い
帰還兵たちは「アフガンツィ」と呼ばれました。ロシア語で「アフガニスタンの人々」を意味するこの言葉は、次第に社会問題の象徴となっていきます。
1989年11月時点の統計が示す数字は衝撃的です。帰還兵の約3,700人が刑務所に収監され、家庭の75%で離婚や深刻な家族問題が発生していました。帰還兵の3分の2以上が仕事に不満を抱え、頻繁に転職を繰り返しました。学生の90%が学業で問題を抱え、60%がアルコールや薬物の依存症に苦しんでいたのです。
さらに深刻だったのは、帰還兵たちが旧ソ連各地の民族紛争で武装勢力に引き込まれたり、組織犯罪に加わったりするケースが後を絶たなかったことです。戦場で身につけた暴力が、平和な社会への復帰を阻んでいました。大石氏がカメラを通じて捉えた「虚無の瞳」は、まさにこうした帰還兵たちの内面を映し出すものでした。
ペレストロイカが開いた扉
ゴルバチョフの改革がもたらした変化
1985年3月、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任しました。彼が掲げた2つのスローガン、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(立て直し)は、ソ連社会を根底から変えていきます。
ペレストロイカは当初、停滞した経済の立て直しを目的としていました。しかし改革は急速に政治分野にも広がり、複数候補者選挙制の導入や言論の自由化へと発展します。1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに加速したグラスノスチは、それまで隠されていた社会の矛盾を次々と明るみに出しました。
表現の自由、集会の自由、信教の自由、出国の自由など、市民が新たな権利を獲得していく過程は、大石氏のような外国人ジャーナリストにとっても大きな転機でした。「今ならソ連の人々の声を聞ける」という直感は、まさにグラスノスチがもたらした変化の証しです。
民主化の光と影
大石氏が1990年2月にモスクワへ飛んだのは、まさにソ連が最も大きく変わろうとしていた時期です。人々が率直に語り始めた言葉の中には、アフガニスタン戦争への疑問や帰還兵たちの苦悩も含まれていたでしょう。
しかし、ペレストロイカは最終的にソ連の崩壊へとつながりました。市場経済の導入は経済混乱を招き、物価高騰と物資不足が国民の不満を高めます。1991年8月のクーデター未遂を経て、同年12月にソ連は解体されました。改革が目指した「よりよいソ連社会」は実現せず、社会主義体制そのものが終焉を迎えたのです。
戦争の記憶が問いかけるもの
繰り返される帰還兵の悲劇
アフガンツィの問題は、過去の出来事にとどまりません。アメリカのイラク・アフガニスタン戦争では約30万人の帰還兵がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えているとの推計があり、戦死者の4倍以上が帰還後に自ら命を絶っているという統計もあります。
2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻でも、帰還兵の社会復帰問題が深刻化しつつあることが指摘されています。かつてのアフガンツィと同じパターンが繰り返される懸念は、決して杞憂ではありません。
写真が持つ「伝える力」
大石芳野氏の写真が人々の心を動かし続けるのは、戦争の悲惨さを告発するだけでなく、そこに生きる一人ひとりの人間の尊厳を映し出しているからです。帰還兵の虚無の瞳も、戦禍を生きぬく子どもたちの表情も、写真という媒体を通じて見る者に直接語りかけてきます。
報道写真は歴史の証言者です。大石氏が半世紀にわたって積み重ねてきた作品群は、戦争が人間にもたらす代償を私たちに問い続けています。
まとめ
大石芳野氏の取材活動は、戦争の裏側にある人間の物語を伝えるものです。ゴルバチョフのペレストロイカによって開かれたソ連社会で、アフガニスタン帰還兵たちが抱える虚無と苦悩を記録した経験は、報道写真の重要性を改めて示しています。
戦争は戦場だけで終わるものではありません。帰還兵のPTSD、家族の崩壊、社会への不適応といった問題は、時代や国を超えて繰り返されています。大石氏の作品を通じて、戦争が人間に何を残すのかを考えることは、現代を生きる私たちにとっても意義深いことです。
参考資料:
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