常石造船、東ティモールに第3の海外拠点、中韓に対抗する戦略とは
はじめに
日本の造船業が岐路に立たされています。かつて世界シェア40%を誇った日本の造船業は、中国54.7%、韓国28.1%に大きく引き離され、わずか12.8%まで縮小しました。政府は造船業復活を掲げて国内勢の連携を推進する一方、広島県福山市の常石造船は独自の道を選びました。2025年に東ティモールでの造船所建設を発表し、2026年着工を目指すこの戦略は、人材不足と鋼材価格高騰という構造的課題に対する常石造船なりの回答です。本記事では、この海外展開戦略の背景と意義を詳しく解説します。
東ティモール造船所建設計画の詳細
第3の海外拠点となる東ティモール
常石造船は2025年1月26日、現地法人「ツネイシ・ティモール・シップビルディング」の登記を完了しました。この会社は東ティモールに造船所を建設するための調査などを行う準備会社で、2026年にも新工場の建設工事を開始する計画です。2030年までに、カムサマックス型換算で年10隻程度のばら積み貨物船を建造できる体制を目指しています。
東ティモールのラモスホルタ大統領は2025年8月27日に常石造船を訪問し、「国内での雇用創出は最優先事項であり、常石造船のプロジェクトに大いに期待している」と述べました。この発言は、両者にとってウィンウィンの関係が構築できる可能性を示しています。東ティモールは2025年にASEANに加盟する見通しで、経済発展に向けて産業基盤の整備を急いでいます。
フィリピン・中国に続く海外展開
常石造船の海外進出は今回が初めてではありません。同社は1994年にフィリピン・セブ島にTSUNEISHI HEAVY INDUSTRIES (CEBU) INC.を設立し、船台2基と建造ドック1基を備えた造船所を運営しています。3万トンから18万トン級のばら積み貨物船を中心に建造し、最大で年間30隻の建造能力を持つまでに成長しました。
2003年には中国・浙江省に常石集団(舟山)造船有限公司(TZS)を設立。3万トンから10万トン級のばら積み貨物船を中心に、コンテナ運搬船やプロダクトタンカー、タグボートも建造しています。現在、常石造船の海外建造比率は7割超に達しており、2024年の建造数は国内の常石工場6隻に対し、フィリピン17隻、中国19隻と、海外が8割を占めています。
日本造船業が直面する構造的課題
中国・韓国との競争激化
世界の造船業は過去25年間で劇的に変化しました。2000年当時、日本と韓国はそれぞれ新造船竣工量で約40%のシェアを握り、中国は1桁に過ぎませんでした。しかし2023年、中国は世界市場で初めてシェア50%を超え、世界一の座を確立しました。2024年の受注シェアでは中国70%、韓国16%、日本9%と、さらに格差が拡大しています。
日本造船工業会は「中国や韓国の造船業は政府による各種支援措置を背景に低船価で受注を獲得しており、公平であるべき国際競争環境が大きく歪められている」と主張しています。韓国は経営難に陥った旧大宇造船海洋に1兆円を超える巨額の公的金融支援を実行し、中国は「一帯一路」構想のもとで造船業を国家戦略の中核産業と位置づけています。
中国は現状バルク船やコンテナ船といった比較的汎用的な船舶を安価で大量に生産し、韓国はコンテナ船やLNG船など大型・高付加価値船に特化しています。日本は建造能力、受注量ともに苦戦を強いられている状況です。
人材不足と技能継承の問題
国土交通省によると、造船・舶用工業の人材は2019年10月時点で約6,400人不足しており、2023年には約2万人の人材が足りなくなると推測されています。造船・舶用工業の職種は有効求人倍率(2019年度)が2.5倍以上と高く、特に「塗装」「鉄工」「仕上げ」は4倍以上となっています。
人材不足は単なる労働力の問題にとどまりません。熟練工の減少は生産効率の低下を招くだけでなく、技能の継承にも深刻な影響を及ぼします。2019年3月末時点で、造船分野で働く外国人就労者は2,873人おり、その約90%が溶接の仕事に従事しています。特定技能制度を活用した外国人労働者の受け入れで一定の補填は進んでいますが、根本的な解決には至っていません。
鋼材価格の高騰
2021年以降、鋼材価格の高騰が造船コストを直撃しています。日本造船所が国内鉄鋼ミルと交渉中の厚板価格は、トン当たり最大15〜16万円と、2020年度の2倍近くに達する可能性があります。鋼材費は建造コスト全体の約3割を占めるため、単純計算で全体の建造費が3割増えることになります。
新造船の成約価格は約15年ぶりの高値圏にありますが、これは2020年以降の鋼材高と人件費の上昇に加え、LNGタンカーやコンテナ船などの発注急増が価格を押し上げた結果です。しかし、価格転嫁が十分にできず、資機材費や外注加工費の上昇も重なって採算悪化が深刻化しています。
常石造船の海外戦略の意義
コスト競争力の確保
常石造船が海外シフトを進める最大の理由は、国内での採算確保が困難になっているためです。人材不足による人件費上昇、鋼材価格の高騰、労働力確保の限界など、日本国内での造船事業は構造的に厳しい状況に置かれています。フィリピンや東ティモールは、相対的に人件費が低く、若い労働力が豊富です。
常石造船はフィリピンと中国の造船所において、技術者の育成やサプライチェーンを一から作り上げた実績があります。この経験とノウハウが、東ティモールでも活かされることになります。単なる労働力の確保ではなく、現地で高度な技能を持つ造船人材を育成し、持続可能な生産体制を構築することが狙いです。
設計人材のグローバル連携
常石造船が持つ強みの一つが、設計人材を含む約1,000人規模の技術チームです。これらの設計人材は国内外の拠点と連携し、船舶の設計から生産まで一貫したサポートを提供します。デジタル化(DX)の進展により、設計データの共有や3D設計情報の連携が可能になり、物理的な距離を超えた協業が実現しています。
日本の造船業界では、設計工程における上流(基本設計)から下流(生産設計)までの3D設計情報の連携を目指す取り組みが進んでいます。バーチャル空間上に船主、造船所、舶用メーカーが集まり機器の配置などを調整できるメタバースの構築も検討されています。常石造船は、こうした技術を活用し、日本の設計力と海外の製造力を組み合わせた国際分業体制を構築しています。
規模に勝る中韓勢への対抗策
常石造船の年間建造能力は、フィリピン30隻、中国も同程度、東ティモールが稼働すれば年10隻が加わり、合計で70隻超の規模になります。これは単独の造船会社としては大きな規模ですが、それでも中国や韓国の大手造船グループには及びません。
しかし、常石造船の戦略は単純な規模拡大ではありません。ばら積み貨物船という特定の船種に特化し、標準化された設計と効率的な生産体制により、安定した品質と納期を実現しています。また、フィリピン、中国、東ティモールという地理的に分散した拠点を持つことで、地政学リスクの分散やサプライチェーンの柔軟性も確保できます。
東ティモール進出の背景とタイミング
ASEAN加盟の意義
東ティモールは2025年にASEANへの加盟が見込まれており、これは同国経済にとって大きな転換点となります。ASEAN加盟により、域内の貿易障壁が低減され、投資環境が改善されます。常石造船にとっても、ASEAN域内での事業展開がしやすくなり、部材調達や製品輸出の面でメリットがあります。
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した比較的新しい国で、人口約130万人、天然ガスや石油資源を有していますが、製造業の基盤は脆弱です。造船所の建設は、同国にとって初の本格的な重工業施設となり、雇用創出と技術移転の面で大きな期待が寄せられています。
日本企業の投資始動
常石造船の東ティモール進出は、ASEAN加盟を見据えた日本企業の投資が本格的に始動したことを象徴しています。政治的安定性、若い労働力、親日的な姿勢など、東ティモールは製造業の進出先として潜在力があります。常石造船が先駆者となることで、他の日本企業の進出を促す可能性もあります。
注意点と今後の課題
インフラと人材育成の課題
東ティモールは製造業の基盤が未発達であり、電力、水道、港湾設備などのインフラ整備が十分とは言えません。造船所の運営には大量の電力と水、重量物を扱える港湾施設が不可欠です。常石造船は、これらのインフラ整備を東ティモール政府と協力して進める必要があります。
また、造船は高度な技能を要する産業です。フィリピンや中国での経験が活かせるとはいえ、東ティモールで一から人材を育成するには時間とコストがかかります。溶接、塗装、鉄工、仕上げなど多様な職種の技能者を確保・育成し、日本と同等の品質基準を満たす体制を構築することが求められます。
地政学リスクと供給網の安定性
東ティモールは独立後20年余りで政治的には安定してきましたが、隣国インドネシアとの関係や国内政治の動向には注意が必要です。また、部材のサプライチェーンをどう構築するかも課題です。鋼材や舶用機器の調達を日本、中国、ASEAN諸国からどのように行うか、効率的かつリスク分散された供給網の設計が重要になります。
国内造船業への影響
常石造船の海外シフトは、日本国内の造船業や関連産業への影響も懸念されます。国内の常石工場の建造数は年6隻と、ピーク時から大幅に減少しています。海外での生産拡大が国内の雇用減少や技術空洞化につながる可能性があります。常石造船は、国内では高付加価値船や技術開発に特化し、海外では量産型の船舶を建造するという棲み分けを進める必要があります。
まとめ
常石造船の東ティモール造船所建設は、日本造船業が直面する構造的課題に対する現実的な対応策です。人材不足と鋼材価格高騰により国内での採算確保が困難になる中、海外に生産拠点を展開し、コスト競争力を維持する戦略は理にかなっています。
フィリピン、中国に続く第3の海外拠点として東ティモールを選んだのは、ASEAN加盟による投資環境改善、若い労働力の確保、地政学リスクの分散などを総合的に判断した結果でしょう。設計人材1,000人を軸に、国内外の拠点を有機的に連携させる国際分業体制は、規模に勝る中韓勢に対抗する独自の戦略と言えます。
政府が推進する国内造船業の統合・連携とは異なる道を選んだ常石造船ですが、この海外戦略が成功するか否かは、今後数年の取り組みにかかっています。2026年の着工、2030年の年10隻体制確立という目標が達成されれば、日本の造船会社が生き残るための一つのモデルケースとなるでしょう。
東ティモールにとっても、初の本格的な重工業施設として雇用創出と技術移転をもたらす常石造船のプロジェクトは、経済発展の起爆剤となる可能性があります。両者の協力関係が深まり、持続可能な造船産業が東ティモールに根付くことを期待したいと思います。
参考資料:
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