常石造船の東ティモール進出に見る海外シフト戦略の全貌

by nicoxz

はじめに

日本の造船業界で今治造船とジャパンマリンユナイテッド(JMU)の統合が進む中、国内大手の常石造船は独自路線を貫いています。2025年末に発表された東ティモール造船所建設計画は、同社の海外シフト戦略の集大成といえるでしょう。国内建造量ランキングでは9位にとどまる常石造船が、海外拠点を含めれば国内3位の建造量を誇る背景には、30年にわたる海外展開の蓄積があります。本記事では、東ティモール進出の狙いと、フィリピン・中国に続く海外戦略の成功要因を独自調査で明らかにします。

東ティモール造船所建設計画の全容

建設スケジュールと規模

常石造船は2026年にも東ティモールで新たな造船所の建設を開始し、2030年までに年10隻程度のばら積み貨物船を建造できる体制を目指しています。すでに2025年1月26日には現地法人「ツネイシ・ティモール・シップビルディング」の登記を済ませており、具体的な候補地の選定を進めています。カムサマックス型換算で最大年間10隻規模の建造体制を早期に確立する方針です。

なぜ東ティモールなのか

東ティモールは2025年にASEAN(東南アジア諸国連合)加盟を果たしたばかりの新興国です。この加盟により関税や貿易面での優遇措置が期待でき、日本企業の投資が本格化し始めています。常石造船の選択は、ASEAN統合による経済メリットを最大限活用する戦略といえるでしょう。また、東ティモールのラモスホルタ大統領は2025年8月27日に常石造船を訪問しており、政府レベルでの強力なバックアップが期待できる環境が整っています。

第3の海外拠点としての位置づけ

この東ティモール造船所は、中国(浙江省舟山市)とフィリピン(セブ島)に続く常石造船の第3の海外拠点となります。三拠点体制により、リスク分散と生産能力の最適配分が可能になります。地政学リスク、為替変動、各国の労働市場環境の違いに柔軟に対応できる体制が構築されることになるでしょう。

常石造船の海外シフト戦略の歴史

フィリピン進出の先見性(1994年〜)

常石造船の海外シフトは1994年のフィリピン・セブ島造船所設立から始まりました。当時は日本の造船業が世界トップシェアを誇っていた時代で、海外展開に積極的な企業は少数派でした。常石造船はグループ海運会社の航路上にあったセブ島に約23万平方メートルの広大な沿岸用地を確保し、長期的視点で投資を開始しました。

現在、フィリピン拠点のツネイシ・ヘビー・インダストリーズ(セブ)は2つの建造バース(船台)と1つのビルディングドックを備え、主に18万トン級バルクキャリアを年間最大30隻建造できる能力を持ちます。2024年の建造実績は常石工場6隻に対してフィリピン工場17隻と、すでに海外が主力となっています。

技術移転と人材育成への投資

常石造船の海外戦略で特筆すべきは、技術者の育成とサプライチェーン構築に一から取り組んだ点です。フィリピンでは造船経験のない現地人材を雇用し、日本から派遣された熟練技術者が指導する体制を構築しました。設計子会社では将来的に1,000人規模を想定して人員を倍増する計画もあり、単なる安価な労働力の活用ではなく、現地に根差した技術基盤の確立を目指しています。

海外建造比率7割超の実現

現在、常石造船の海外建造比率は7割を超えています。2023年の竣工量ランキングでは世界12位・国内3位で、9割以上を海外工場で建造しています。国内建造量だけを見れば9位ですが、海外拠点を合わせれば今治造船、JMUに次ぐ3位の建造量を誇ります。三井造船(現・三井E&Sホールディングス)も常石造船を「海外展開で大きな成功を収めている数少ない造船会社」と評価しています。

今治陣営とは一線を画す独自路線

今治造船・JMU統合の背景

2026年1月5日、今治造船はJMUの株式を60%まで引き上げ、完全子会社化を完了しました。この統合により、両社合計で日本の国内造船能力の半分以上を占める巨大グループが誕生しました。背景には、中国・韓国勢との競争激化により、従来の提携や協業では限界があるという危機感があります。日本の造船市場シェアは2024年時点で10%台まで低下しており、世界トップだった時代は遠い過去となりました。

政府主導の造船業再編

国土交通省は2025年12月に「造船業再生ロードマップ」を発表し、業界の連携・統合を通じて2035年までに国内建造能力を1800万総トンと倍増させる目標を掲げています。「国家造船所」構想など政府主導の施設建設・維持も検討されており、まさに官民一体での業界再編が進んでいます。

常石造船が統合に参加しない理由

一方、常石造船はこうした国内再編の動きには加わっていません。その理由は明確です。国内での雇用創出や設備投資には限界があり、人材不足や鋼材価格の高騰で国内操業度を上げることが難しいからです。常石造船の奥村幸生社長は「規模に勝る中韓勢にどう対抗するのか、この数年の取り組みが重要」と述べており、国内統合よりも海外展開による競争力強化を選択しています。

日本造船業を取り巻く厳しい環境

人材不足の深刻化

造船業における最大の課題は人材不足です。技術者の数は韓国よりも多いものの、各社に分散しており1社あたりの人数は少ない状況です。特に技術開発・イノベーション(RD&I)人材が不足しており、製品開発力や顧客対応力に課題を抱えています。特定技能制度を活用した外国人労働者受け入れで一定の補填は進んでいますが、根本的な解決には至っておらず、長期的な人材確保や教育体制の整備が不可欠です。

鋼材価格高騰の直撃

2021年以降、鋼材価格の高騰が造船コストに直撃しています。加えて資機材費や外注加工費の上昇も重なり、採算悪化が深刻化しています。供給過剰問題と鋼材価格高騰により価格競争が厳しい市場環境であり、収益を出しづらい状況が続いています。

中国・韓国の圧倒的シェア

造船市場は中国と韓国による寡占状態です。2017年の受注量世界シェアでは韓国が45%、中国が30%を獲得したのに対し、日本はわずか7%でした。中国では2019年に中国船舶集団(CSSC)と中国船舶重工集団(CSIC)が統合して規模を拡大させており、国有企業の強みを活かした戦略が功を奏しています。

ただし、2024年には韓国大手3社が久しぶりに最終黒字を記録し、中国と日本も増益基調となるなど、業界全体の業績は回復しています。日本にとっては、この回復局面をどう活かすかが問われています。

注意点と今後の展望

東ティモールのカントリーリスク

東ティモールは2002年に独立した若い国であり、政治・経済の安定性には不確実性が残ります。インフラ整備も発展途上であり、造船所運営に必要な電力供給、港湾施設、物流網などの整備状況が事業成功のカギを握ります。ASEAN加盟により改善が期待されるものの、現地政府との継続的な協力関係構築が不可欠です。

技術者育成の長期コミットメント

フィリピンでの30年の経験が示すように、海外拠点での技術者育成には長期的な投資とコミットメントが必要です。東ティモールでは約20名の新入社員(土木・機械・電気などの工学系卒業生)がすでにフィリピンのベテラン指導者から訓練を受けており、フィリピン拠点との統合的な人材育成戦略が展開されています。2Dおよび3D設計ツールへの習熟を早期に実現する体制が整えられていますが、本格的な技術基盤確立には10年以上かかる可能性があります。

脱炭素化への対応

造船業界全体が直面する課題として、CO2排出ゼロへの対応があります。日本は「造船が滅べば国も滅ぶ」という危機感のもと、脱炭素技術で中国・韓国の寡占を打開しようとしています。常石造船も次世代型船舶に注力しており、中国拠点では世界初のメタノール燃料5,900TEU型コンテナ運搬船の建造に挑んでいます。環境規制強化は技術力で差別化する好機でもあり、海外拠点での環境対応船建造能力の構築が競争力強化につながるでしょう。

まとめ

常石造船の東ティモール造船所建設は、30年にわたる海外展開戦略の到達点です。国内再編が進む中で独自路線を貫く同社の選択は、日本造船業の生き残り戦略の多様性を示しています。人材不足や鋼材高騰で国内操業が困難な中、ASEAN新加盟国への投資により新たな成長基盤を構築する戦略は合理的といえます。

フィリピンでの成功体験を活かし、現地に根差した技術基盤の確立と人材育成に長期投資する姿勢は、単なるコスト削減とは一線を画すものです。三拠点体制によるリスク分散と生産最適化が実現すれば、中韓の規模に対抗する「海外力」がさらに強化されるでしょう。

今治陣営の国内統合路線と常石造船の海外展開路線、どちらが日本造船業の未来を切り開くのか。この数年の取り組みが、業界全体の命運を左右することになります。

参考資料:

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