三六協定の締結率は5割止まり|残業規制見直し議論の行方
はじめに
日本の労働環境をめぐり、残業規制の在り方が改めて注目を集めています。高市早苗首相が設立した「日本成長戦略会議」では、2019年に導入された時間外労働の上限規制について見直しを検討する方針が示されました。
「規制が経済成長の足かせになっている」という声がある一方で、実際には残業を可能にする「三六協定」を締結している事業所は全体の約5割にとどまっています。この現状は、規制緩和の議論に重要な視点を投げかけています。
本記事では、三六協定の基本から締結率の実態、そして今後の政策議論の行方まで、包括的に解説します。
三六協定とは何か
労働基準法第36条に基づく労使協定
三六協定(サブロク協定)とは、労働基準法第36条に基づく労使協定のことです。正式名称は「時間外労働・休日労働に関する協定」であり、企業が従業員に法定労働時間を超えて働かせる場合に必要となります。
労働基準法は、労働時間の上限を「1日8時間・週40時間」と定めています。この法定労働時間を超えて従業員を働かせるためには、労働者の過半数で組織する労働組合、または労働者の過半数を代表する者と書面で協定を締結し、所轄の労働基準監督署長に届け出る必要があります。
時間外労働の上限規制
2019年4月に施行された働き方改革関連法により、時間外労働には厳格な上限が設けられました。具体的には以下のような制限があります。
原則的な上限
- 月45時間、年360時間
特別条項付き36協定を締結した場合
- 年720時間以内
- 単月100時間未満(休日労働含む)
- 複数月平均80時間以内(休日労働含む)
- 月45時間超は年6回まで
これらの規制に違反した場合、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金という罰則が科されます。従来は行政指導にすぎなかった残業規制が、法的強制力を持つようになったのです。
締結率5割の実態
なぜ半数の事業所が未締結なのか
三六協定の締結率が約5割にとどまっている背景には、いくつかの要因があります。
まず、小規模事業所では残業自体がほとんど発生しないケースが多いことが挙げられます。従業員数が少ない事業所では、業務量が限られており、法定労働時間内で業務が完結することも珍しくありません。
また、三六協定の存在自体を知らない事業者も一定数存在します。特に個人事業主や家族経営の小規模事業所では、労働法規に関する知識が十分でないケースがあります。
さらに、労働者の過半数代表者の選出手続きが煩雑であることも、締結率が伸び悩む一因となっています。適正な手続きを経ずに選出された代表者との協定は無効となるため、正しい運用には一定の労務管理知識が必要です。
業種・企業規模による差異
厚生労働省の調査によると、中小企業の約6割が三六協定を締結していないという結果が出ています。一方、大企業ではほぼすべての事業所が協定を締結しています。
この差は、人事・労務部門の体制の違いを反映しています。大企業では専門の担当者が労務管理を行い、法令遵守体制が整っています。しかし中小企業では、経営者自身が多くの業務を兼務しており、労働法規への対応が後手に回りがちです。
規制緩和議論の背景
高市早苗政権の方針転換
2025年10月に就任した高市早苗首相は、労働時間規制の緩和検討を指示しました。「心身の健康維持と従業者の選択を前提」としつつ、「多様な働き方を踏まえたルール整備」を図る方針です。
首相が設立した「日本成長戦略会議」では、残業上限の引き上げや裁量労働制の拡大など、働き方の柔軟化を多角的に検討しています。この方針を受け、厚生労働省は労働基準法改正案の2026年通常国会への提出を見送りました。
当初、約40年ぶりの抜本的な見直しとして、「14日以上の連続勤務禁止」など労働者保護を強化する方向で議論が進んでいました。しかし、政権交代により方向性が逆転し、規制緩和へと舵が切られたのです。
経済界と労働界の反応
この方針転換に対し、経済界は概ね歓迎の姿勢を示しています。人手不足が深刻化する中、労働時間規制が事業運営の制約になっているという声は以前からありました。
一方、労働団体からは強い反発が上がっています。「過労死の増加につながる」という懸念が示され、規制緩和には慎重であるべきとの主張がなされています。
興味深いのは、総務省のデータです。「就業時間を増やしたい」と考える人は全体の6.4%にとどまっており、労働者自身が長時間労働を望んでいるわけではないことがわかります。
中小企業と働き方改革の課題
しわ寄せ問題
働き方改革は、中小企業に特有の課題をもたらしています。残業が発生する主な理由として最も多いのは「取引先への対応(納期、就業時間外の連絡など)」です。
大企業が残業削減に取り組んだ結果、短納期発注や急な仕様変更といった形で、下請の中小企業に「しわ寄せ」が生じるケースが報告されています。大企業の働き方改革が、中小企業の負担増につながるという構造的な問題があるのです。
人材確保と生産性向上の両立
国内雇用の約7割を担う中小企業ですが、時間あたりの労働生産性は大企業よりも低い水準にあります。限られた人員で業務を回すため、残業に依存しがちな体質が根付いている企業も少なくありません。
2023年4月からは、月60時間を超える時間外労働の割増賃金率が中小企業にも50%以上に引き上げられました。残業コストの上昇により、業務効率化や人員増強の必要性が高まっています。
注意点・今後の展望
規制緩和の是非を考える視点
三六協定の締結率が5割にとどまっている現状は、規制緩和議論に重要な示唆を与えます。そもそも協定を締結していない事業所では、現行の規制が事業の制約になっているとは言えません。
規制緩和の恩恵を受けるのは、すでに協定を締結し、上限近くまで残業をさせている事業所に限られます。つまり、緩和の必要性は一部の企業・業種に限定される可能性があります。
今後の政策動向
労働基準法の改正議論は仕切り直しとなりましたが、完全に消えたわけではありません。日本成長戦略会議での検討結果を踏まえ、今後新たな法案が提出される可能性があります。
また、業種別の対応も注目されます。2024年4月からは、建設業・自動車運転業務・医師などへの上限規制が適用開始されました。これらの業種では、年間の残業上限が960時間に設定されるなど、業種特性に応じた柔軟な対応がとられています。
まとめ
三六協定の締結率が約5割にとどまっている現状は、残業規制見直し議論において重要な事実です。規制が経済成長の足かせになっているという主張は、協定を締結し上限まで残業させている企業には当てはまりますが、そうでない多くの事業所には関係がありません。
働き方改革の本来の目的は、長時間労働を是正し、労働者の健康を守りながら生産性を向上させることです。規制緩和を議論する際には、締結率の実態を踏まえた冷静な分析が求められます。
今後の政策動向を注視しつつ、自社の労務管理体制を見直す機会として、この議論を捉えていただければ幸いです。
参考資料:
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