日銀がETF売却を開始、100年超の出口戦略が始動
はじめに
日本銀行は2026年1月、保有する上場投資信託(ETF)と不動産投資信託(REIT)の市場売却を開始しました。1月の売却額は簿価ベースでETFが53億円、REITが1億円でした。
日銀は2010年代から異次元緩和の一環としてETFを大量購入し、保有額は簿価で37兆円、時価で70兆円超に膨れ上がりました。これは東証上場企業の株式時価総額の約7%に相当する規模です。
今回の売却開始は、中央銀行による前例のないリスク資産購入がようやく出口に立ったことを意味します。本記事では、日銀のETF売却の背景、具体的な売却計画、そして市場への影響について解説します。
日銀のETF保有はなぜ問題なのか
異次元緩和の「負の遺産」
日銀のETF購入は、2010年に白川方明総裁の下で始まりました。当初は年間4,500億円という控えめな規模でしたが、2013年に黒田東彦総裁が就任して「異次元緩和」が始まると、購入額は段階的に拡大しました。
最終的に、年間購入枠は6兆円(2020年のコロナ危機時には上限12兆円)にまで膨らみました。株価が下落すると日銀が買い支えるという構図が定着し、市場では「日銀プット」と呼ばれるようになりました。
コーポレートガバナンスへの影響
日銀は株式を直接購入するのではなく、日経平均やTOPIXに連動するETFを通じて間接的に株式を保有しています。しかし、その規模が巨大化したことで、実質的に多くの上場企業の大株主となりました。
問題は、日銀が議決権を行使しないため、株主としてのガバナンス機能を果たさないことです。経営者に対するチェック機能が働かず、資本効率の改善や株主還元への圧力が弱まるという副作用が指摘されてきました。
中央銀行の信認問題
中央銀行がリスク資産を大量に保有することは、世界的に見ても異例です。株価が大きく下落すれば日銀のバランスシートが毀損し、最終的には国民負担につながる可能性もあります。
金融政策の正常化を進める上で、ETF保有の出口をどうするかは避けて通れない課題でした。
売却計画の全体像
2025年9月の決定
日銀は2025年9月19日の金融政策決定会合で、保有ETFとREITの市場売却を決定しました。これは植田和男総裁の下で進められてきた金融政策正常化の一環です。
2024年3月にはマイナス金利政策の解除と長短金利操作(YCC)の撤廃、ETF新規購入の停止が決まりました。今回の売却決定により、異次元緩和の最後の「出口」が開かれたことになります。
具体的な売却ペース
ETFの売却ペースは、簿価ベースで年間約3,300億円(時価換算で約6,200億円)に設定されています。これは東証プライム市場全体の売買代金に占める割合としてはわずか0.05%程度です。
REITについては、簿価ベースで年間約50億円(時価換算で約55億円)のペースで売却されます。
完了までに100年以上
現在の売却ペースを維持した場合、ETFの売却完了までに約113年、REITは約131年かかる計算です。植田総裁も「100年以上かかる」と認めています。
「市場に影響を与えない」ことを最優先にした結果、極めて緩やかなペースとなりました。市場関係者の中には「年1〜2兆円規模なら市場は吸収可能」との見方もありますが、それでも40〜70年の長期戦となります。
売却の具体的な仕組み
売却方法と担当機関
売却は三井住友信託銀行が担当しています。同行は日銀から入札でこの役割を落札しました。
具体的な売却方法は、市場の流動性が高い時間帯を選び、少量ずつ分散して売却する形式と見られています。大口の売り注文が一度に出ることで株価が急落することを避けるためです。
売却の基本方針
日銀は売却にあたり、以下の3つの基本方針を定めています。
- 市場等の情勢を勘案し、適正な対価によること
- 日銀の損失発生を極力回避すること
- ETF等の市場に攪乱的な影響を与えることを極力回避すること
現在の保有ETFは簿価37兆円に対し時価70兆円超であり、含み益は30兆円以上あります。この含み益がバッファーとなり、多少の株価下落があっても損失は発生しにくい状況です。
緊急時の対応
市場が大きく混乱した場合には、売却額の一時的な調整や売却の一時停止を行うことができます。2008年のリーマンショックのような危機が発生した場合は、売却を凍結する可能性があります。
また、金融政策決定会合において売却ペースを見直すことも可能とされており、柔軟な対応ができる仕組みになっています。
市場への影響
短期的な影響は限定的
1月の売却額は53億円と、市場全体から見れば微々たる規模です。東証プライム市場の1日の売買代金は数兆円規模であり、日銀の売却がその0.05%程度では、株価への直接的な影響は限定的です。
実際、売却開始後も日経平均株価は上昇基調を維持しており、2月3日には最高値圏に到達しています。市場は日銀の売却を冷静に受け止めていると言えます。
長期的な構造変化
長期的には、いくつかの構造変化が予想されます。
まず、日銀という「安定株主」が徐々に退出することで、株式市場の流動性構造が変化します。これまで日銀が買い支えていた局面では、民間投資家が代わりに買い手となる必要があります。
また、コーポレートガバナンスの観点では、議決権を行使する株主の比率が高まることで、経営者への規律が強まる可能性があります。これは中長期的には株式市場の質的向上につながると期待されています。
金利上昇との複合効果
日銀は2025年12月に政策金利を0.75%に引き上げており、2026年中には1.0〜1.5%への追加利上げが予想されています。
金利上昇は株式市場にとってマイナス要因となりますが、ETF売却との複合効果がどのように表れるかは不透明です。円高が進行すれば輸出企業の業績に影響し、株価の下押し圧力となる可能性もあります。
海外事例との比較
香港政府の成功例
1998年のアジア通貨危機の際、香港政府は株式市場を防衛するために大量の株式を購入しました。その後の出口戦略として、政府はETFを組成し、国民に割引価格で販売するという方法を採用しました。
この「トラッカーファンド」は、長期保有者に対して1年後と2年後に合計12%分のボーナスユニットを付与する仕組みを設け、売却圧力を分散させることに成功しました。
日本での応用可能性
日本でも、日銀保有ETFを国民に広く保有してもらう案が提案されています。例えば、NISAなどの優遇制度と組み合わせて、個人投資家に割引価格で販売する方法です。
この方法であれば、市場売却による株価への悪影響を最小限に抑えつつ、「貯蓄から投資へ」という政府の方針とも整合します。ただし、現時点では日銀は市場売却の方針を堅持しています。
まとめ
日銀によるETF売却の開始は、異次元緩和という壮大な実験が最終局面を迎えたことを象徴しています。37兆円という巨額の資産を100年以上かけて売却するという計画は、その規模の異例さを物語っています。
短期的には市場への影響は限定的と見られますが、長期的には株式市場の構造や企業統治のあり方に変化をもたらす可能性があります。投資家としては、金利上昇やETF売却といった金融政策正常化の動きを注視しつつ、中長期的な視点で市場環境の変化に対応していくことが重要です。
参考資料:
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