駐在員配偶者の就労制限がもたらす人材流出リスク
はじめに
日本企業の海外赴任制度が、時代の変化に取り残されています。共働き世帯が主流となった現代において、一部の企業では依然として配偶者の現地就労を禁止するなど、「男性駐在員と専業主婦」を前提とした規則が存在しています。この制度的な硬直性は、グローバルに活躍できる優秀な人材を失うリスクを高めており、企業の国際競争力にも影響を及ぼしかねない状況です。本記事では、駐在員の配偶者が直面するキャリアの課題と、企業に求められる制度改革について詳しく解説します。
駐在員制度に残る時代遅れの前提
共働き世帯の増加と制度のギャップ
現在の30代以下の女性の多くは、長期的にキャリアを継続することを当然と考えています。しかし、配偶者の海外赴任に伴い、仕事を辞めるよう求められる場面は依然として少なくありません。駐妻カフェの調査によると、駐在員のほぼ半数が配偶者のキャリア中断に対して「不安」を抱えていることが明らかになっています。
日本企業の多くは、20〜30年前に設計された単身赴任または専業主婦を前提とした制度を今も使用しています。家族帯同を暗黙の前提とし、配偶者の現地就労を認めない規則を設けている企業も存在します。このような規則は、配偶者が独自のキャリアを持つことが一般的になった現代において、もはや現実に即していません。
企業側の規制が生む障壁
配偶者が海外で働く際の障壁は、ビザの制約だけではありません。赴任先の国が配偶者ビザでの就労を認めている場合でも、駐在員の雇用主が配偶者の現地就労を禁止するケースがあります。これは企業が「家族帯同手当」などの福利厚生を提供する前提として、配偶者が専業主婦であることを想定しているためです。
こうした企業側の規制は、配偶者にとって自己実現の機会を奪うだけでなく、家計にも大きな影響を与えます。例えば、年収700万円を得ていた配偶者が3年間の赴任期間中に仕事を休む場合、機会損失は2,100万円にも上ります。
配偶者キャリアの中断がもたらす影響
経済的損失と心理的負担
配偶者が海外赴任に同行するために退職や休職を選択すると、経済的な損失に加えて、キャリアの空白期間が生じます。帰国後の再就職や復職が必ずしも保証されていない状況では、長期的なキャリア形成に大きな支障をきたします。
2009年のPermits Foundation調査では、117カ国で3,300人の帯同配偶者を対象に調査を実施しました。その結果、現地で働いていない回答者の75%が「働きたい」と希望しており、90%が赴任前は雇用されていたことが判明しています。これは、多くの配偶者が望まずにキャリアを中断している実態を示しています。
海外赴任の失敗リスク
配偶者のキャリア問題は、海外赴任そのものの成否にも影響します。KPMGの調査によると、デュアルキャリアカップルの問題により、58%の従業員が海外赴任の機会に自ら手を挙げる可能性が低くなり、34%が赴任失敗のリスクが高まると感じています。
さらに、国際企業の70%近くが、配偶者のキャリアへの影響が海外職務への人材誘致能力に影響すると認識しており、28%以上が配偶者のキャリア懸念により駐在員が早期帰国し、任務が未完了となる問題に直面しています。実際、海外赴任が失敗する最大の理由は「不幸な配偶者」であるとされています。
グローバル人材としての価値と企業の対応
駐在経験者の市場価値
海外駐在経験を持つ人材は、業務遂行能力、マネジメントスキル、国際的なコミュニケーション能力という「三つの強み」を備えた希少な人材として、転職市場で高く評価されています。企業がグローバル展開を進める中で、こうした人材の確保は競争力の源泉となります。
しかし、配偶者のキャリアを犠牲にすることを前提とした赴任制度では、優秀な人材が海外赴任を辞退するリスクが高まります。個人は移民政策に基づいてキャリア決定を行うため、カップルの一方のみがキャリアと収入の機会を追求でき、他方が追求できない場合、海外赴任は魅力的ではありません。
先進的な企業の取り組み
一部の先進的な企業は、配偶者のキャリア継続を支援する新たな仕組みを導入し始めています。具体的には以下のような施策が挙げられます。
まず、配偶者同行休職制度や再雇用制度の導入です。国家公務員では既に、配偶者が海外で働く、事業を営む、または外国の大学で6カ月以上学ぶ場合に最長3年間の休職が認められています。民間企業でも、こうした制度を参考に柔軟な休職・復職制度を設ける動きが出ています。
次に、EOR(Employer of Record)サービスの活用です。これは、配偶者が海外赴任先で日本の企業に勤務し続けることを可能にする海外雇用サービスです。企業は現地法人を設立することなく、配偶者の雇用契約を継続できるため、女性のキャリア継続を支援し、人材流出を防ぐ効果があります。
また、配偶者の現地就労を積極的に支援する企業も増えています。赴任前のキャリアカウンセリング、現地での求職支援、就労許可取得のサポートなど、包括的な支援体制を整えることで、配偶者の雇用機会を高めています。
配偶者ビザと就労制限の実態
国ごとに異なるビザ規制
配偶者が海外で働く際の障壁は、赴任先の国によって大きく異なります。日本の場合、外国人労働者の配偶者は「家族滞在」の在留資格を取得しますが、原則として報酬を伴う活動は禁止されており、週28時間以内のアルバイトが許可される程度です。
一方、日本人または永住者の配偶者の場合は、配偶者ビザで特別な就労制限なくフルタイム勤務が可能です。高度専門職の配偶者については、独自の在留資格を取得して時間制限なく就労することも認められています。
このように、ビザの種類によって就労の自由度が大きく異なるため、赴任先でのキャリア継続の可否は、赴任する側の在留資格やポジションにも左右されます。
保護主義の高まりと就労環境
近年、各国で自国の雇用を守るための保護主義的な政策が強化されており、外国人配偶者の就労許可取得がより困難になっています。カップルが海外に移住する際、適切な雇用を確保するだけでなく、受入国が課す就労許可やビザ制限の迷路を乗り越える必要があり、二つのキャリアを管理する課題は指数関数的に複雑になっています。
人材確保と制度改革の必要性
企業が直面するジレンマ
企業は、グローバル展開のために優秀な人材を海外に派遣したいという需要と、従業員とその家族の生活の質を保証する責任との間でジレンマに直面しています。配偶者のキャリアを犠牲にすることを前提とした従来の制度では、もはや時代のニーズに応えられません。
夫婦で持続可能なキャリアを築きたいと考える社員に企業が対応できなければ、グローバルに活躍する人材を失う恐れがあります。特に、女性管理職の登用を推進する企業にとって、配偶者の海外赴任により優秀な女性社員が退職を余儀なくされる状況は、ダイバーシティ推進の観点からも大きな損失です。
柔軟な制度設計への転換
企業に求められるのは、20〜30年前の単身赴任モデルから脱却し、デュアルキャリアカップルの現実に即した柔軟な制度設計への転換です。具体的には、以下のような施策が考えられます。
配偶者の現地就労を原則として認める方針への転換が第一歩です。就労を禁止する規則がある場合は、その必要性を再検討し、時代に即した柔軟な運用に改めるべきです。
次に、配偶者の就労支援を人事制度の一部として組み込むことです。現地での求職活動支援、ネットワーキングの機会提供、リモートワーク環境の整備など、配偶者が自身のキャリアを継続できるよう積極的に支援します。
また、家族帯同を強制しない選択肢の尊重も重要です。以前は「家族帯同が当然」とされていましたが、現在では家族帯同を強制することは人権侵害にあたる可能性があります。単身赴任、一時帰国の頻度増加、短期ローテーション制など、多様な働き方を認める必要があります。
注意点と今後の展望
制度改革の課題
配偶者のキャリア支援を強化するには、企業側にも相応のコストと労力がかかります。EORサービスの利用料、キャリアカウンセリングの提供、求職支援のための人材確保など、追加的な投資が必要です。しかし、これらのコストは、優秀な人材を失うコストや赴任失敗による損失と比較すれば、長期的には投資価値があると言えます。
また、企業文化の変革も不可欠です。「駐在員は家族を連れて行くもの」「配偶者は専業主婦であるべき」といった暗黙の前提を払拭し、多様な家族形態とキャリアパスを尊重する組織文化を醸成する必要があります。
グローバル人材戦略の再構築
今後、企業がグローバル競争で優位に立つためには、人材戦略の抜本的な見直しが求められます。デュアルキャリアカップルに対応した柔軟な赴任制度、配偶者のキャリア継続支援、多様な働き方の選択肢提供など、総合的な施策パッケージが必要です。
国際企業の事例では、配偶者向けのキャリア支援プログラムを充実させることで、海外赴任の成功率が向上し、優秀な人材の確保につながっている例が報告されています。日本企業も、こうした先進事例に学び、グローバル人材戦略を再構築する時期に来ています。
まとめ
日本企業の海外赴任制度に残る「専業主婦前提」の規則は、共働き世帯が主流となった現代において、もはや時代遅れです。配偶者の現地就労を制限する企業の方針は、優秀なグローバル人材の確保を困難にし、海外赴任の失敗リスクを高めています。
企業には、デュアルキャリアカップルの現実に即した柔軟な制度設計への転換が求められます。配偶者の現地就労支援、休職・復職制度の整備、EORサービスの活用など、多様な施策を組み合わせることで、従業員とその家族の双方が満足できる海外赴任を実現できます。
グローバル展開を進める企業にとって、人材戦略の見直しは喫緊の課題です。時代に即した柔軟な制度を整備し、優秀な人材が安心してグローバルに活躍できる環境を整えることが、企業の持続的な成長につながります。
参考資料:
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