原発安全設計の盲点、「大地震はない」前提の危うさ
はじめに
2011年3月11日の東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所事故は、日本の原子力安全に対する根本的な問い直しを迫りました。作家の池澤夏樹さんは事故直後、「原発の設計者は『大きい地震はないことにしよう』とつぶやきはしなかったか」と問いかけ、安全とは本来近づくべき目標なのに、もうここにあると宣言してしまっていたと指摘しました。国会の事故調査委員会も、当局と事業者が安全対策を先送りしてきたと結論づけています。あれから13年が経過した現在、日本の原発安全設計はどう変わったのでしょうか。本記事では、福島事故の教訓、新規制基準の導入、そして真の安全性向上に向けた課題を解説します。
福島第一原発事故が明らかにした「安全神話」の問題
安全対策の先送り
福島第一原発事故の根本原因の一つは、安全対策が繰り返し先送りされてきたことです。2008年、東京電力の関連会社は福島第一原発に最大15.7メートルの津波が到達する可能性を試算しました。原発の敷地は海抜10メートルであり、大規模な津波対策が必要でした。
しかし、この技術的提言は東京電力の経営陣によって却下されました。土木技術者の専門的判断が、科学的根拠なく覆されたのです。また、2009年には原子力安全・保安院が大規模津波の可能性を指摘しましたが、東京電力は津波対策の実施を拒否しました。
東京電力自身の根本原因分析によれば、シビアアクシデント(過酷事故)対策は効果の評価が難しいため後回しにされ、一方でプラント稼働率に影響する対策が優先されたと認めています。経営陣にとって、稼働率向上が重要な経営目標だったためです。
「安全神話」の構造
「安全神話」とは、原子力発電所は絶対に安全であるという前提に立ち、リスクの存在を認めない姿勢を指します。この神話の問題点は、以下のように整理できます。
1. リスクの隠蔽 原子力発電には本質的にリスクが存在しますが、「安全神話」はそのリスクを国民や地域住民に説明せず、霧の中に隠し続けました。リスクを認めることが原子力の存在を否定することにつながると恐れたためです。
2. 安全対策の停止 「すでに安全である」という前提に立つと、さらなる安全対策を講じる必要性が失われます。本来、安全とは継続的に追求すべき目標ですが、「安全神話」はその努力を止めてしまいました。
3. 想定外の多用 「安全神話」の下では、想定を超える事象に対する備えが不十分でした。福島事故後、「想定外だった」という言葉が繰り返されましたが、十分な想定と対策が行われていれば防げた事故だったのです。
国会事故調査委員会の指摘
国会に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)は、黒川清委員長のもと独立した調査を実施し、2012年に報告書を公表しました。報告書は以下の7つの提言を行いました。
- 国会による規制当局の監視
- 政府の危機管理体制の見直し
- 被災住民に対する政府の対応
- 電気事業者の監視
- 新しい規制組織への要求事項
- 原子力法規制の見直し
- 独立調査委員会の活用
国会事故調は、「絶対安全」の前提から脱却し、過去の事故の教訓に基づいて合理的な対策を講じていれば、福島第一原発事故は起こらなかったと結論づけています。
原発の耐震設計と地震対策の実態
従来の耐震設計の考え方
日本は世界有数の地震国であり、原子力発電所の耐震設計は極めて重要です。従来の耐震設計では、以下の考え方が採用されていました。
基準地震動の設定 基準地震動とは、「施設を使用している間に極めてまれではあるが、発生する可能性があり、施設に大きな影響を与えるおそれがあると想定することが適切な地震動」と定義されます。この基準地震動に対して、安全上重要な施設の機能が失われないよう設計されます。
硬い岩盤への設置 原子力発電所は、地震の揺れが大きく増幅される表層地盤ではなく、地盤を掘り下げて硬い岩盤の上に建設されます。これにより、地震時の揺れを小さく抑えることができます。
自動停止システム 原子力発電所内には複数の感震器が設置されており、大きな揺れを感知すると原子炉を自動的に停止する仕組みになっています。
バックチェックの問題
2006年9月、耐震設計審査指針が改訂されました。これに伴い、既存の原子力発電所に対して新しい指針への適合性を確認する「バックチェック」が実施されることになりました。
しかし、バックチェックには重大な問題がありました。より厳格な「バックフィット」(既存施設を最新基準に適合させることを法的に義務付ける制度)ではなく、「バックチェック」という緩やかな手法が採用されたのです。これは、原子炉の運転を継続しながら、電力会社に自主的に改訂指針への適合を促すものでした。
原子力安全委員会は、バックチェックを「法令に基づく規制行為の外側で、原子力事業者が自主的に実施する活動として位置づける」としました。つまり、法的拘束力がなかったのです。ただし、3年以内にバックチェックに合格しなければ運転停止もあり得るとの厳しい指示も出されていました。
深層防護(多重防護)の不備
原子力発電所の安全は、「深層防護」(Defense in Depth)という概念に基づいています。これは国際原子力機関(IAEA)が提唱する5層の防護レベルから成ります。
深層防護の5層:
- 異常の防止
- 異常の拡大防止
- 影響緩和(設計基準事故対策)
- シビアアクシデント対策
- 防災措置
福島第一原発事故では、この深層防護が機能しませんでした。直接的な原因は、外部事象(地震・津波)への想定と対策が不十分だったこと、そして長期間の全交流電源喪失への備えがなかったことです。
特に問題だったのは、第4層のシビアアクシデント対策が効果的に機能しなかったことです。電源喪失により原子炉を冷却できなくなると、第1層から第3層は容易に突破され、最終的な物理的障壁である格納容器と原子炉建屋の境界機能も維持できませんでした。
新規制基準の導入と変化
2013年7月の新規制基準
福島第一原発事故を受けて、2012年9月に原子力規制委員会が発足しました。規制委員会は、福島事故の教訓と海外の知見を反映した新規制基準を策定し、2013年7月8日に施行しました。
新規制基準の主な内容
1. 設計基準の大幅強化 従来の安全対策を大幅に強化しました。具体的には以下が含まれます。
- 耐震性・耐津波性の強化: 各発電所ごとに想定される最大規模の地震動(基準地震動)と津波(基準津波)を策定し、それに耐えられる設計を義務付け
- 竜巻・火山対策: 新たに竜巻や火山の影響を考慮
- 内部溢水対策: 配管破断などによる施設内の浸水への対策
- 活断層調査の厳格化: 後期更新世以降(約12万〜13万年前以降)の活動性を調査し、重要施設は活断層の真上に設置しない
2. シビアアクシデント対策の義務化 従来は事業者の自主的な取り組みだったシビアアクシデント対策を、法的に義務化しました。
- 防潮堤・防波壁の設置
- 水密扉への交換
- 電源車、消防車などの配備
- フィルタ付きベント設備の設置
- 緊急時対策所の整備
3. バックフィット制度の導入 すでに許可を受けた既存の原子力施設に対しても、最新の規制基準への適合を法的に義務付けるバックフィット制度が導入されました。これにより、基準を満たさない施設は運転できなくなりました。
継続的安全改善の思想
新規制基準の根底には、従来の「安全神話」からの決別があります。重要な思想転換は以下の点です。
リスクはゼロにできないことの承認 新規制基準は、リスクを完全にゼロにすることはできないと明確に認めています。その上で、安全性を継続的に向上させることを求めています。
定期的な安全性評価の義務化 事業者は定期的に総合的な安全性評価を実施し、原子力施設の安全性を向上させることが求められています。
世界最高水準の基準 新規制基準は「世界最高水準の厳しさ」を持つとされています。ただし、これは「世界で最も安全」を意味するわけではなく、あくまで基準を満たすことが最低限の要件であることに注意が必要です。
残された課題と今後の展望
規制基準への「形式的適合」の問題
福島事故から10年後の検証委員会は、電力会社に「新規制基準に適合すれば十分という意識」があると批判しました。これは、安全追求を怠ったために発生した事故の教訓が活かされていないことを意味します。
基準に適合することは最低限の要件であり、事業者は自ら積極的に安全性向上に取り組むべきです。しかし現実には、規制に対応することで精一杯という状況も見られます。
組織文化の変革
技術的な基準の強化だけでは十分ではありません。福島事故では、以下のような組織文化の問題が明らかになりました。
- 経営判断が技術的判断を覆す構造
- 稼働率優先の経営姿勢
- 悪いニュースが上層部に届かない組織風土
- 規制当局との癒着
これらの組織文化を変革し、安全を最優先する企業風土を確立することが不可欠です。
規制当局の独立性と専門性
原子力規制委員会は、従来の原子力安全・保安院が経済産業省の一部であったことの反省から、独立性を持つ組織として設立されました。しかし、真の独立性と専門性を維持し続けることは容易ではありません。
国会事故調の提言の一つは「国会による規制当局の監視」でした。規制当局が事業者や政治的圧力から独立し、科学的・技術的判断を貫けるよう、継続的な監視が必要です。
住民の安全と避難計画
深層防護の第5層は「防災措置」、つまり万が一事故が発生した場合の住民避難です。しかし、実効性のある避難計画の策定は多くの原発立地地域で課題となっています。
特に、高齢者や障害者、医療機関の患者など、避難に支援が必要な人々への対応は十分とは言えません。ハード面の安全対策だけでなく、ソフト面での防災体制の整備が求められます。
透明性と情報公開
「安全神話」を打破するには、リスク情報を隠さず、住民と共有することが重要です。原子力事業者と規制当局は、以下のような透明性を確保する必要があります。
- トラブル情報の速やかな公開
- 安全性評価の詳細な説明
- 住民参加型の安全対策検討
- 国際的な知見の積極的な導入と共有
注意点:「基準適合」と「絶対安全」の違い
新規制基準に適合した原発について、「世界最高水準の基準をクリアしたから安全」という説明がされることがあります。しかし、これは新たな「安全神話」につながる危険があります。
原子力規制委員会自身が強調しているように、基準適合は「絶対安全」を意味しません。基準は最低限の要件であり、事業者は基準を超えた自主的な安全向上努力を継続すべきです。
また、想定を超える事象は常に起こり得ます。「想定」自体を不断に見直し、最新の科学的知見を取り入れ続ける姿勢が求められます。
まとめ
福島第一原発事故は、「大きい地震はないことにしよう」という前提、すなわち「安全神話」の危うさを明らかにしました。安全とは、すでに達成されたものではなく、継続的に追求すべき目標です。
事故後、日本の原子力規制は大きく変わりました。2013年の新規制基準は、耐震・耐津波性の強化、シビアアクシデント対策の義務化、バックフィット制度の導入など、世界的に見ても厳格な内容となっています。また、「リスクはゼロにできない」ことを前提に、継続的な安全性向上を求める思想が導入されました。
しかし、基準の強化だけでは不十分です。組織文化の変革、規制当局の独立性維持、実効性のある避難計画、透明性の確保など、多くの課題が残されています。特に重要なのは、「規制基準に適合すれば十分」という形式主義に陥らず、自ら積極的に安全性を高める姿勢です。
原子力発電の是非については様々な意見がありますが、少なくとも原発が存在し運転される以上、「安全神話」に頼らず、リスクを正直に認め、科学的・技術的知見に基づいて継続的に安全性を向上させる努力が不可欠です。福島事故の教訓を風化させず、真摯に学び続けることが、私たち社会全体に求められています。
参考資料:
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